04 「はせを」の道

 あれから。

 八百屋お七はそのにふさわしいとして、刑に処された。

 付け火の下手人は死刑。

 その定法は変えられず、かつ、処刑の方法は火刑である。


さん……」


 はその火刑の場に来ていた。

 ここまで関わり合いになった。

 同情の気持ちもあった。

 だがそれよりもなお。


「気持ちを伝える。想いを伝える。それは……」


 つい口に出るそれは、の悔恨である。

 何故か。

 それは、がそれを伝えるを、それもふみだけではなく、その場で声で伝えることもできるを知っているからである。


「だけど……に……そんな力が、あるのだろうか……」


「火を付けよ!」


 役人が命を下し、役人の手下が「へいっ」と返事をして、持っていた松明を放った。

 放った先は、――八百屋お七の磔になった棒の下。


「燃える」


 野ざらしの中、は風で流れた煙で目がみるにもかかわらず、ずっと目を見開いたまま、お七を見ていた。

 目は、たしかに沁みていて、痛い。

 でもそれよりも、心だ。

 心に沁みる。


さん……」


 お七は口をぱくぱくとさせ、何か言いたそうだった。


「何だ」


 何が言いたいのだろう。

 それは分からない。

 おそらく、煙で喉をいるのだろう。


「何か」


 何か、この娘が言いたいこと、伝えたいことを表すことはできないか。

 そう思った刹那、の脳裏に、十七の文字が浮かんだ。


 ――野ざらしを 心に風の む身かな


 吟じたその句は風に乗り、ひょっとしたら、お七の耳に届いたのかもしれない。

 何故なら、その瞬間、お七は笑ったから。


さん――」


 八百屋お七。

 享年、十六歳。

 情の濃い少女だったと伝えられる。

 その情の濃さは、怒りのあまり、放火に出るという過激さを孕んでいた。

 彼女の犯したことは犯罪だが、にとってはそれだけでなく、彼に――世界との向き合い方を考え直させ、ある境地へと進むのを後押しした。



 は名乗りを変えた。

 そしてかねてからの夢をかなえるために、旅に出ることにした。

 ちょうど、郷里から母の死を告げられていたこともある。


「まずは――東海道を下って、郷里――伊賀へ」


 思い立ったは河合に、暫しの別れを告げた。


「先生、本気ですか」


「本気だとも」


 惣五郎はに師事していたため、先生と呼ぶ。

 はそこで改めて、名乗りを変えたから、その名で呼んで欲しいと告げた。


「何ゆえ、そんな名に」


「いやなに。元々、家に植わっていたもので……つい、愛着が芽生えて」


 と、は告げた。

 惣五郎はそうですかと何か得心したような表情をして、「なら私も」と言って、以前から考えていた号を述べた。


「曽良。河合曽良とお呼びください」


「そうか」


 芭蕉はひとしきりうなずき、それから別れを告げた。


「では曽良、私は旅に出る。そして……俳諧をもうちょっと磨くつもりだ」


「磨く」


 曽良のきょとんとした表情に、芭蕉は説明の必要を感じた。


「五・七・五の十七文字で、もっと切々と、それでいて剽げた、なんというかその……漢詩のような格調もありつつ、連歌のような面白みのある、そういう句ができると思うのだ」


 そういう「句」があれば、お七がその想いをもっと端的に、それでいて洒落ている感じで伝えることができれば。


「人はもっと幸せになれるかもしれない。否、幸せになれなくとも、その気持ちを表すことができる」


「…………」


 その沈黙をしおに、芭蕉は旅立った。

 曽良はついていきたそうな表情をしていたが、芭蕉は振り切った。

 今回の旅で、芭蕉はその俳諧の新たな境地を見出そうとしている。

 もしそれが見出せれば。


「曽良を連れて、また新たな土地へと巡る旅をするのも、良いかもしれない」


 歩き出した芭蕉の目に、ちらと庄之介の顔が見えた。


「あの者も、可哀そうに」


 芭蕉は笠を下げて、視線を隠した。

 庄之介も何か、その気持ちを伝えられれば、あるいはお七も納得して、矛を収めたかもしれない。


「……ままならないものだ」


 芭蕉はまた、それをも振り切るように、一歩、踏み出す。

 実を言うと、俳諧に新境地があるという自信はない。

 だけれど、誰もが知らないからこそ、まず自分こそはと足を入れたくなる。

 そう。


「池に飛び込む蛙のように」


 そこで芭蕉は笑った。

 蛙になった自分を想像した躰。

 そう、想像できる。

 考えられる。

 ならば。


「いい句を、考えてみよう」


 松尾芭蕉。

 この「野ざらし紀行」の旅を終えたのちは、河合曽良と共に「おくの細道」の旅へと赴く。

 そしてその旅路は、俳諧の新たな境地「かるみ」を拓き、やがてそれは時を超え時代を経て、正岡子規による提唱の「俳句」へとつながっていく。



【了】

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きみと息をしたくなる 四谷軒 @gyro

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