03 「なな」の炎

 はそのあと八方手を尽くしてを探したが、その行方はようとして知れなかった。


「一体、何処へ」


 の家である八百屋を訪ね、戻っていないか聞いたところ、その答えは否であった。

 ただ、の両親はあっけらかんとしていた。


ななアイツももう年頃。男に血道を上げることもあろう」


 そんなことを父親が言っていた気がする。

 確かにそうかもしれない。

 ただ、もう夕刻近くなるのに姿を見せないのは、いささか問題があるのではないか。

 そう、思えるのだ。

 の父親は、に強く出られないらしく、もうこの話題は打ち切りとばかりに「店じまい」だと言って、を追い出した。


「っとと」


 勢い余ってまろびそうになるをしり目に、の父親は店の戸を閉めた。

 は仕方なく店を離れた。


「も一度栴檀林せんだんりんに行ってみるか」


 それでもういなかったら、今日は諦めよう。

 そして、は栴檀林へ行き、やはりけんもほろろに追い返された。


「こうなったら、どんな伝手を頼ってでも、庄之介さんを引っ張り出すか」


 と、は足早に去って行った。

 後に残されるは、師走の空っ風の吹く、無人の山門。

 暮れなずむ夕暮れの中、そこへひとつのが。



 その影は屈みながら山門を窺い、やがて誰もいないことを確かめると、と境内に入った。

 そして栴檀林の門扉を忌々しそうに眺め、舌打ちをしてから、袂から「あるもの」を取り出した。


「――火打ち」


 その影の、わりとかわいらしい、鈴の鳴るような声。

 その影、つまりは意趣返しを企んでいた。


 ただ会いたいを言っただけなのに。

 ただ「すきです」と言っただけなのに。


「……何でこんな目に遭わなきゃならないんだよッ! ふざけるな!」


 その怒声は口から出ていない。

 飽くまでも、心の中のものだ。

 は、心が憤るほどに、頭が冷え切っていく自分を感じた。


 これならやれる。


 そう思った。

 何をやれるのか――それは。


「みんな――燃えっちまえ」


 それは声に出した。

 つぶやいた。

 小さい声だったが、力が籠もっていた。

 呪いの力が。


「ホントにほのおが巻いて襲って来てもよオ――」


 ――たとえ、この前のような火事になっても、私が栴檀林ここを出ることは無い!


「出ることが無いか――見てやる!」


 犬歯をき出しにして毒づくは、火打ちを打った。



 それは――が伝手──知り合いの武士、惣五郎の家の前まで来た時のことだった。


「火事だ!」


 振り返ると吉祥寺の方から煙が。


「もしかして……」


 さんが、とまでは言わなかった。

 迂闊なことを言って、どこぞの放免に聞かれてはたまらない。

 は、火事と聞きつけて戸を開けて出てきた惣五郎への挨拶もそこそこに、踵を返した。


「待ってろよ、さん」


 背中に惣五郎が「あ」と言うのを聞きながら、は走り出した。

 その視線の先に。

 吉祥寺の伽藍から立ち上る、ほむらが見えた。



「あっはっは! 燃えろ燃えろい!」


 は狂ったように笑いつづけた。

 燃えろ。

 みんな、燃えちまえばいいんだ。

 ただ、会いたいと言っただけなのに。

 会って、言葉を交わしたいだけなのに。

 それを断る。

 否、断られる機会すら与えない。

 そんな。

 そんな、学問が大事か。

 出たくないのか。

 は寺から去る振りをして山門の中へと潜入し、これまでせっせと付け火の準備をしていたのだ。


「なら……出てくるまで、燃やし尽くしてやるッ」


 吉祥寺の寺僧が走り出てきた。

 が、炎の勢いか、の哄笑か、そのどちらもかしれないが、とにかく、うろたえてしまい、おろおろとするばかりで、つらまえることはできなかった。


「何をやっているんだ」


 これは、栴檀林の中にいる庄之介の台詞である。

 このままでは、栴檀林が燃えてしまうではないか。

 そうしたら、勉学ができない。出世ができない。


「今までのが、ご破算だ」


 頭を抱える庄之介の耳に、の叫び声が響く。

 燃えてしまえ、燃えてしまえ、と。


「くそっ、ふざけるな。何なんだ、あの女。付け火は獄門だろう」


 庄之介が、埒が明かないと栴檀林から出ようとしたその時。


さあん!」


 先ほどの法体の中年男の声が聞こえた。



さん、やめるんだ。こんなこと。誰も幸せにならない」


さん、だったらどうすりゃいいんだい? 結局、こんなんじゃ、会ったって意味ない。伝えた言葉も見られない。だったら……もう燃やすしかないじゃないか!」


 は、よよと泣き崩れた。


「なあ、何で会ってくれないんだよゥ。話してくれないんだよゥ。ふみを渡しただけじゃないかよゥ……それが」


 どうしてどうしてそんな断るんだ。

 断るなら、せめて。

 せめて、会っておくれよゥ。

 ……その慨歎は、炎の巻き上げた風によってかき消された。


「…………」


 のを機と見た寺僧らが、走って手桶を持って行き、寺の池から水を汲む。

 汲んだ寺僧から、隣の寺僧へ手渡し、更に隣の……と、手桶がどんどん次の寺僧へと運ばれて行く。


 ……始まってみると消火は一瞬だった。

 寺僧の熱心な手桶の連携により、水が運ばれ、かけられて、火は消えた。

 幸いにも死者は出なかったようで、その点はも安堵した。

 だが。


「御用である」


 付け火は大罪。

 与えられる処罰は、死刑である。

 役人が駆けつけ、下手人は誰だと寺僧に問うと、寺僧は迷いなくを指し示した。


「待ってくれ」


 は役人たちの前に立ちはだかり、をその背に隠した。

 そして役人たちに、の事情を説明しようとしたが。


「……もう、いいよ。さん」


 はそっとをその手でどかし、前に出た。

 その時、は見た。

 栴檀林の扉の陰からのぞく、庄之介を。

 そして庄之介はの視線を、否、の視線を受けると、「ひっ」という口をして、奥へと消えた。


「……何だい何だい、ありゃあ」


 は乾いた笑いを洩らした。

 おおよそ、自分庄之介もとの放火と言わないでくれ、と願っているのだろう。


「いや」


 が背後から否定する。

 可哀想に、と思っているのでは……と。


「……どっちだっていいサね、そんなこと」


 は肩をすくめた。

 火事という奇禍が無ければ、芽生えなかった気持ちだった。

 それはいわば徒花あだばな

 今、その花が実を結ばずに……文字通り、徒花として、終わるだけだ。

 でも。


「この気持ちを。この想いを。伝えてくれたって……」


「神妙にしろ」


 そこで無情にも役人がを捕縛した。

 言われたとおり、神妙に、そして従容しょうようとしてばくにつく。


「名を、名乗れ」


 役人にそう問われ、は名乗った。


「七。八百屋のお七」



 ……こうして、八百屋お七は付け火の下手人として、捕まって行った。

 あとに残されたは、栴檀林の方をきつと睨みつけ、そして去って行った。

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