⑥正体
ウシアの薬指に指輪が嵌まる瞬間をケニンゲールはただ見ていることしか出来なかった。
「ウシア……」
歯噛みする彼の前に黒い足がぬっと現れた。見上げるとダーウェルが嗜虐に満ちた目で自分を見つめている。
「さあ、これで君は本当に用済みだ」
急にぞっとした。今の自分は完全に無防備だ。
恐ろしいのに目が逸らせない。荒い呼吸で吸血鬼を凝視していると、突如霊廟の扉が開き冷たい月明かりがケニンゲールの顔を刺した。
「待ち侘びたぞこの時を」
霊廟の入り口に何者かが立っている。
振り向いたダーウェルから薄笑いが消え失せた。
「エリック……」
その声に促される様にそちらを見ると、闇に白い頭蓋骨が浮いていた。ケニンゲールは始め墓場の亡霊が現れたのだと思った。しかし滑るように霊廟の中へ侵入して来たそれは実際の所ただの人間だった。
そいつは骸骨を模した白い仮面を身に着け闇に溶け込む黒い外套に身を包んでいた。そのため仮面だけが空中に浮いているように見えたのだ。
ケニンゲールはこの男を知っている。花嫁の父親だ。
どうしてこの場所がわかった?
そう口にするより先にダーウェルが同じ疑問を口にした。
「なぜ貴様がここにいる」
花嫁の父親、ブラッドレーが首を傾げた。
「なぜって。この村でお前が誰の断りもなしに入れる場所はお前の屋敷かお前自身の墓場だけだ。屋敷が燃えた今、いるとすればここしかないだろ?」
「そうではない! お前が裏で糸を引いていたのかと聞いているのだ!」
これまでの余裕をかなぐり捨ててダーウェルが叫んだ。ブラッドレーがくっと笑った。
「ああ、そうだよ。ウェステンラ神父に吸血鬼ハンターの存在を教え、お前の屋敷を燃やした。単身で乗り込むには警備が厳重だったのでね。ここまで来るには骨が折れたよ。お前は花嫁を娶る時以外は巧妙に人間界に紛れている。だから我が娘との結婚を餌に誘い出したのだ」
「娘だと?」
ダーウェルが血走った目でウシアを睨んだ。
「しかし、この娘はブラッドレーと名乗っていて……」
「貴様と同じ偽名だよ」
高らかな笑い声が霊廟に響いた。
吸血鬼の顔色は今や墓地の住人と同じくらい青くなっていた。
「私をどうするつもりだ……」
笑い声がやんだ。先程までの朗らかさと打って変わってブラッドレーは低い声で恫喝した。
「あの女は今どこにいる? 手を組んでいたお前なら知っているだろ」
「……教えたら見逃してくれるのか?」
ダーウェルが微かな希望を持って恐る恐るブラッドレーを見上げた。ケニンゲールの頭ごしに何を見たのか、吸血鬼は怯んで目を逸らした。
「クソっ! 私も正確なことは知らない。風の噂で結婚したとは聞いたが……」
「相手は?」
ダーウェルがうっと言葉に詰まった。
「言えないのか?」
「知ればお前は怒り狂って私を八つ裂きにする」
「いいから」
言え、とブラッドレーが凄んだ。ダーウェルは観念して目をつぶった。
「ラカムだ……ジェローム・ラカム、お前を教会から追放した。あの女にずっと気があったんだ。邪魔者のお前がいなくなった後あの女に言い寄って自分の妻にしたんだ」
「そんなばかな!」
ケニンゲールはブラッドレーを差し置いて驚愕の声をあげた。
なんでそこで師匠の名前が出てくるんだよ。
ブラッドレーはというと「そうか」と苦々しく呟いたきりだった。
もういいだろう!とダーウェルは叫んだ。
「私の負けだ! 腕っ節でお前に敵う訳がないだろう! すぐに村から出て二度と戻らない。だから、頼むよ……」
「行け」
ブラッドレーが出口を顎でしゃくった。ダーウェルは哀れなほどに震えながらブラッドレーの脇を通り過ぎ、外に一歩足を踏み出した途端猛然と走り出した。一度も振り返らなかった。
「お、おい良いのかよ! あいつ逃げていくぞ!」
ケニンゲールが急かすがブラッドレーはただ肩をすくめただけだった。
「構わん。どうせ逃げ切れはしないさ」
どういうことだと問い詰めようとすると、遠くの方で悲鳴があがった。
「……あれは?」
「お前はウシアに案内されてきたから知らないだろうが、村を出るため森を抜けようとすると薔薇の茂みがある。この辺りの薔薇は特殊で棘に返しがついている。焦って藻掻けば藻掻くほど更に深く突き刺さるのだ。一度茨に捕らえられれば抜け出せるものはいない。最も自分で自分の手足を切り落とすなら話は別だが」
愉悦を滲ませる男にケニンゲールは戦慄した。
「お、お前はなぜそこまで執拗にダーウェルを……? お前は一体何者なんだ?」
その言葉が来ることをわかっていたとばかりにブラッドレーは芝居がかった仕草で一礼した。
「あいつから聞いていないか?……俺の本当の名はエリック・カーン。愚かにも吸血鬼の女にのぼせ上がりその血に呪われた罪人にして、かつて聖ヘルシング修道会に在籍していたお前達の先輩さ」
ゆっくりと顔を上げたブラッドレーはケニンゲールを見て鼻で笑った。
「なんて面だ。餌を待つ雛でもそんなに大きく口を開けまい」
そう言って彼はケニンゲールの方へ足を踏み出した。殺される!──と思いきやブラッドレーはケニンゲールを素通りし、ウシアの元へ行っただけだった。
「ウシア、おい」
ブラッドレーがウシアの顔の前で手を叩くと彼女ははっとした顔をした。
「お父様っ」
その頬をブラッドレーが打った。ウシアが地面に崩れ落ちる。
「なぜ言いつけを破った」
「やめろ、自分の娘だろうが!」
ケニンゲールが止めに入るとセピア色の冷たい瞳が彼を捉えた。
「実の娘ではない。ダーウェルをおびき出すために育てていただけだ」
ケニンゲールは一瞬言葉を失ったが、すぐに気を取り直して言った。
「たとえ娘じゃなかろうが弱い女に手を上げるなんざ……」
「ああ、ウシアはお前に言わなかったのか? こいつは吸血鬼だ」
「…………なんだと?」
ケニンゲールは今度こそ言葉を失った。
ウシアが、吸血鬼?俺の両親を殺した奴らと同類?
「なっ……なあウシア、こいつが嘘をついているんだろう? あんたが吸血鬼だなんて、そんなことないよな? 酒場でのことは操られていただけなんだろう?」
ウシアは答えなかった。ただ俯いて震えているだけだ。
ケニンゲールはウシアの元に向かって這いずるがその導線にブラッドレーが立ち塞がった。
「さて、仕上げといこう」
ブラッドレーはしゃがみこみ、ケニンゲールの頭を掴んで床に押し付けた。
「俺は教会を追放され……これまで培った地位も財産も全て剥ぎ取られてしまったが、しかしこの身に宿った祝福はそのままだ」
「なっ……にをっ……」
「俺はな」
ブラッドレーがケニンゲールの耳元にそっと顔を寄せて囁いた。━━他人の祝福を奪うことが出来るんだよ、と。
ケニンゲールは喉が裂けるほど叫んだ。
「やめろ!やめろおおお!!」
霊廟が眩い光で包まれブラッドレーの高笑いが響く。
「ラカムに伝えてくれ。来たる11月2日の死者の日、聖ヘルシング修道会の本部に参上すると。それまでせいぜい戦力を蓄えるなりなんなりしてくれ」
その言葉を最後に聞いてケニンゲールの意識は途絶えた。
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