④雪合戦

 それから一週間ほど後のことだった。どっぷり日の暮れた後シネマ・ガルニエから出たデトリはいつもと様子が違っていた。常ならばサラを見かけると「精が出ますね」などと皮肉を飛ばしてくるのだが、この日はサラを無視して、というより気が付いていないのかどこか上の空だった。


 ふと、デトリが足を止めた。彼女の視線は道路を挟んで向かいの道を歩く男に注がれていた。

 

 男の年齢は四十代後半から五十代といった所で、パーティーの準備なのか両手に大量の食材やデパートの袋を抱え息を弾ませている。

 サラはその姿を見てクリスマスがもう明後日に迫っていることを思い出した。


 不意にデトリがするりと方向転換し、横断歩道を渡りだした。サラは慌ててその後を追いかけようとしたが丁度信号が赤になり目の前を大型トラックが通過する。トラックが完全に通り過ぎると、デトリが先程の男の後をつけているのが見えた。


 いつの間にかその手に何か握られている。

 

 まさかナイフか?それで彼の喉を切り裂くつもりなのか?もしかして━━父はそんな風にして殺されたのか?


 デトリが男の肩に手をかけようとする。

 「やめて!!」

 サラはたまらず道路に飛び出した。途端に耳をつんざくようなクラクションの音が鳴り響く。

 デトリがはっとした顔をして振り返った。


 すぐそこに赤い乗用車が迫っている!思わず目を瞑ったその時、身体がふわりと浮き上がる感覚がした。


 「……あれ?」

 いつまで経っても覚悟した衝撃がやってこない。サラが恐る恐る目を上げるとデトリが自分を抱えて歩道に尻餅をついていた。


 彼女の傍らには、先程手に握っていたものが落ちていた。それは──小さなブリキの車だった。サラは呆然と固まった。


 デトリの前を歩いていたあの男が振り返って目を丸くする。

 「ど、どうしたんだい君達!大丈夫か!」

  デトリはうんざりした顔で乱暴にサラをどかし、雪の中に埋もれる玩具を拾い上げた。

 「さっき落としていましたよ」


 「あ」

 仏頂面で玩具を男に手渡しているデトリを見てサラは思わず手で口を覆った。




 男はしきりに感謝してデトリの手を握ってぶんぶんと振った。ブリキの車は息子へのプレゼントだったのだという。

 「いやあ、本当にありがとう!失くしたら息子と家内に袋叩きにされる所だったよ。そちらのお友達、いやご姉妹かな?もありがとう!」

 

 「友達?」

 「姉妹?」

 「「誰と誰が?」」

 二人は思わず顔を見合わせた。




 男が去っていった後デトリはサラを振り返りさて、と冷たく言った。

 「それで何か言うことは?」

 「え?」

 「とぼけるな、さっき杭を取り出しかけていただろ」

 「それはだって、あなたがあの人を襲うと思ったから……」

 サラはしどろもどろになって俯いた。デトリはため息を吐いて苛々と髪をかきあげた。

 「吸血鬼にもいろいろあるんだよ。リャナンシーって知っている?」

 「キョンシーの親戚?」

 サラの返答にデトリがずっこけた。


 「それでもオカルト同好会会長か?」

 黒歴史を掘り起こされサラの顔が火照った。

 「ううううるさいわね!それについては忘れてよ!そんなことよりリャナンシーって何?」

 「リャナンシーは吸血鬼の一種で、詩人や画家から生気や血を吸う吸血鬼!芸術作品に込められた生気でも生きられる!私は映画から栄養をとっているの!」

 「そんな大事なこと最初に言ってよ!」

 「言った所で信じたか?」 

 サラはうっと言葉に詰まった。しかしあることに気付いて首を傾げる。


 「いやでも待って、あなた昔人間の男を襲っていたでしょ?」

 「あれは向こうから頼まれたんだよ」

 「なんで人間からそんなこと頼むのよ」

 「リャナンシーは血を吸った相手の才能を目覚めさせるんだよ。あの男、美大生だって」

 なにそれ、とサラは呟いた。理解できない。血を差し出す人間もそれを平気で受け取るデトリも。

 「人に飲めって言われたら飲むの?じゃあ人に殺してくれって言われたら殺すの?」

「ひとを責められる立場か?初めて会った時は自分だって吸血鬼を見つけてはしゃいでいただろ」

 デトリがむっとする。サラは答えに窮した。そうだ。七年前、デトリに血を吸われた男を見て、サラは吸血鬼の実在に胸を踊らせたのだった。なんて軽率だったのだろう。


 「あの頃は……愚かだった。人の血を吸うなんて、あんなおぞましい行為を見て喜んで」

「おぞましい?人間だって牛や豚を食べるだろ。それと何が違う」

「むしろわたしの方が教えて欲しいわ。自分と同じように思考する存在を傷つけてどうして平気でいられるのか」

 サラが挑発する様に尋ねると、デトリはいい加減腹に据えかねるぞとサラを睨んだ。


 「じゃあこっちも聞かせてもらうけど、君はもし自分の父親を殺害したのが吸血鬼じゃなくて人間なら、私にしたみたいに心臓を貫こうとするのか?」

「──は?」

 完全に意表を突かれた台詞にサラの思考は停止した。


 「吸血鬼だって思考する一個人だよ。そのことを考えたことはある?まさか怪物退治だから自分の手は汚れないと思っている?」

 サラはかっとなり咄嗟にその場にあった雪を掴んで投げた。それは見事デトリの顔面に命中した。


 粘度の高い雪がぼた、ぼた、と地面に落ちようやく表れたデトリの顔は怖いほど無表情だった。彼女は最初、そのままサラを無視して去るかに見えた。


 彼女は無言で踵を返し数歩歩くと、かがみ、雪を丸め、そして次の瞬間サラの顔面にそれを投擲した。


 サラの視界が真っ白に染まり、次に痛いほどの冷たさが皮膚を刺した。

 「なっ!」

 雪玉をぶつけられたサラは唖然とした表情から次第に憤怒の表情に変わっていった。

 「何するのよ!」

 「そっちが先にやったんだろ!」

 二人は子供の様に言い合いながら互いに雪玉を投げつけ合った。


 雪が周囲からあらかた無くなった頃、二人は肩で息をしながら睨み合った。


 「君は私みたいなのとは違うと思ったけれど買い被りすぎたみたいだ」


 最後にそう言い残すとデトリは今度こそ背を向けてサラの前からいなくなった。


           *

 それからずっとデトリは姿を現さなかった。また逃げ出したのか。それともまさか、誰かに正体がばれて討伐された?それならそれで望むところの筈なのに胸がざわついた。

 いや、とサラは慌てて首を振った。これは別に心配しているとかではなく父の仇はこの手で始末をつけたいだけだ。


 これからどうしようかと途方にくれ町を彷徨っていた時、向かいから男が歩いてきた。何気なくその顔を見てサラは思わず立ち止まった。


 男はまるで血に染まった様な赤い瞳をしていた。これまでそんな瞳を持つのはデトリしか知らない。

彼は突然立ち止まったサラを胡乱な目で見ながら通り過ぎていった。


 サラは悩んだ末、男の後をつけることにした。

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