⑤地下の饗宴

 それから数十分後、男は町外れの墓地の中を進んでいた。サラが見守る中、男は石造りの霊廟の前で立ち止まり中へ入っていった。

 男の姿が完全に見えなくなった後中を覗き込むと、床板がずらされ地下へ続く階段が伸びていた。




 階段を下りると、そこには外の静けさからは想像もつかないほどの喧騒が広がっていた。


 ずらりと瓶の並んだ棚の前でグラスを磨いている黒いベストの男、木製のカウンター、そして溢れるひと、ひと、ひと。どうやらここは酒場の様だった。


  客もバーテンダーも皆一様に真紅の瞳をしていた。そして彼らの手にはその瞳と同じ色の液体が注がれたグラスが握られている。嫌な予感が胸を過ぎる。まさか、ここにいるのは全員──。


 「ひでえじゃねえですか旦那!俺に断りもなく姿を消すなんて!」

  サラが後退った時、店の一画で一際大きな声があがった。見ると金髪の若い男がテーブル席に座る小柄な体躯の男にしがみついて泣いていた。


 「そう言うなアーシッド。俺にも事情があったのさ」

 宥める声には聞き覚えがあったが、背中を向けているため顔はわからない。どこで聞いた声だったかと思い出そうとしていると、別の男が二人の会話に乱入してきた。

 

 「なんだあ?ツェペシュじゃないか!聞いているぜ、この前ハンターの靴を舐めたんだって?」

 ツェペシュと呼ばれた男は迷惑そうにそれを振りほどいた。好奇の目をした客が続々と彼らの席に集まっていく。群衆の隙間から僅かに男の横顔が覗く。


 その顔を見た瞬間サラは凍りついた。


  輪の中心にいる男は、かつて父に仕えていた秘書、セザールだった。


          *

 セザール・アリギエリ、彼もまた七年前の事件を境に姿を消していた。

 父が亡くなったあの書斎からまるで水が蒸発するように消えてしまった。そうとしか考えられない。というのも、彼の姿は玄関の監視カメラにさえ映っていなかったからだ。

 警察はセザールも事件に巻き込まれた可能性が高いと言っていた。だからサラも今まで彼を疑ったことはなかった。


 その時セザールが声を張り上げ、サラは我に返った。


「どうやら俺に関するあらぬ噂が出回っているようだな。注目を集めちまう性質ってのも考えものだぜ。てめえらそんなに俺のことが好きか、ええ!?」

  セザールが拳で机を叩く。その剣幕に集っていた野次馬達が一瞬静まり返る。周囲の反応に満足そうに喉を鳴らすと、セザールは悠々と周囲を見回した。おかげでサラは彼の顔をじっくりと見ることが出来た。


 もう七年も経つというのにセザールの姿は最後に見た時のままだった。痩せこけた身体、遠くからも目立つ鷲鼻。ただ一つ違うのは黒檀のようだった彼の瞳が今は他の吸血鬼と同じ赤い色に変わっているという点だ。


 「……まあお前らが邪推するのも無理はねえ。あまりに姿を消していた時間が長かったからな。だがな別にハンターに捕まっていた訳じゃねえ。紅龍っていう町にいたんだよ」

  セザールは悠々と話し続けている。


 「二十年も一つ所に留まっていたっていうのか?それでハンターに嗅ぎ付けられなかったのか?」

 最初にセザールに突っ掛かっていった男が眉を寄せる。セザールの目が泳いだ。

 「あー……あっちでは人間どもは皆俺のことを恐れていたんだよ。町の長を言いなりにして、俺の正体を伏せ生け贄を捧げさせていたのさ」

しきりに唇を舐め、そう答える。


 サラは怒りで震えた。 嘘だ。父がそんなことをするはずがない。誰よりも住民に尽くした人だったのに。


 会話が途切れ一瞬の静寂が生まれた。その間にセザールは瓶に直接口をつけて酒を煽り、聴衆の反応を伺うように周囲を見回した。サラがしまったと思った時にはもう遅かった。

 

 セザールと目が合う。彼はサラの正体がわかっていない様子だった。記憶を辿るように目を細めてサラの顔を穴が空くほど見つめている。


 先に動いたのはサラだった。懐から杭を取り出してセザールに突進する。


 その時突然、何者かに背後から腕を固められ、頭をテーブルに押し付けられた。

「飲み過ぎですよお客様」

「離してっ……」

サラはその腕を振りほどこうとして固まった。


 焦燥した顔でサラを見下ろしているのはよく知った顔だった。

「デトリ……」


 デトリはサラの視線を無視して、セザールに頭を下げた。

「ご歓談の邪魔をしてすみません。こちらのお客様が泥酔して足がもつれたようで」

 サラは唖然とした。なんで店員のふりしてんの?


 しかしこの謎の小芝居は意外と有効だった様だ。

 サラの襲撃の様子を見ていなかった吸血鬼達はその言葉に納得した様に仲間達との会話を再開した。店内に活気が戻る。


 デトリはサラの耳元に顔を寄せ囁いた。

「こんな吸血鬼しかいない場所で何やっているんだ」

 「あなたこそなんでここにいるのよ」

 サラはよそよそしく視線を逸らしながら言い返した。

 「外で君を見かけて追いかけてきたんだよ」

 「放っておいてよ。わたし達もう赤の他人でしょ」

 「私は他人と思っていない」

 デトリが語気を荒げた。サラはびくりと肩を震わせてデトリを見上げた。


 デトリは眉根を寄せて怒っているようにも今にも泣きそうにも見えた。

 「こっちがどれだけ心配したか知りもしないで……君が吸血鬼の後をつけているのを見て心臓が止まりそうになった。君はあまりに吸血鬼について知らなすぎる。本当にお父さんの仇を討ちたいならここは私に従ってよ」

 

 その表情があまりに悲痛でサラはつい素直に頷いてしまった。


 静かになったサラの腕を掴んで出口へ向かおうとするデトリをセザールが呼び止めた。

「なんでしょう」

「そんなにかしこまらなくていいぜ店員さん。ちょっと雑談に付き合ってくれ。お前烏避けの方法を知っているか」

「…………いいえ」

 怪訝な顔で首を振るデトリにセザールが口角をあげた。


 「仲間の死体を逆さに吊るすんだ。そうするとそこには近寄らなくなる。次は自分が吊られるかもと考えるのさ」

 そこで一端言葉を切ってくっくっと喉を鳴らして笑う。

 「人間は烏より愚かだな」

 

 先程アーシッドと呼ばれていた金髪の若い男が甲高い笑い声をあげた。

 「このっ」

  サラは固く握った拳を震わせた。セザールはサラの正体に気付いていたのだ。今すぐこの男を八つ裂きにしてやりたいのにどうすることも出来ない。


 「はははは!……ん、なんだお前」

  セザールは自分で言った言葉に涙を浮かべて笑いながらデトリを見上げ興醒めした顔になった。


 「おい、ひとが渾身のジョークをかましたんだ、笑えよ。それとも……やっぱりこの娘の味方か?」

 セザールがデトリの瞳をじっと覗き込み、図星かと笑った。


「なーんだ、興が削がれちまった」

 アーシッドが飲もうとしていたグラスを横取りして立ち上がり、デトリの頭の上で傾けた。デトリの上着の裾からぼたぼたと雫が垂れ、床の色を濃くしていく。それは血、ではなくただの水だった。


 「裏切り者に飲ませる血なんてねえよ。てめえは日が昇る前に潰す。せいぜい残りの時間を噛み締めろ」

グラスを地面に叩きつけてセザールが言った。

 

 「行くぞ」

 デトリはサラの手を掴み、今度こそ出口へ向かっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る