⑥星空の下

 デトリに手を引かれてやって来たのは、とある廃ビルの屋上だった。冬の澄んだ空に満天の星が輝いている。

 サラは思わず感嘆の声をあげた。

 「ここはどこ?」

 「心霊スポット」  

 「え゛」

 サラは思わず固まった。その反応がおかしかったのかデトリは笑いを含んだ声で答えた。

 「嘘だよ。何の変哲もないマンションだ。立地が悪くて入居者が入らないまま廃墟化しただけだよ」

 

 ひとしきりサラをからかった後、デトリがぽつりと零した。

 「…………この間はごめん」

 サラがはっとして隣を見ると、デトリは先程とは打って変わって神妙な面持ちで俯いていた。

 「あの発言は加害者と同じ種族の私が言うべきことじゃなかった」

 サラは落ち着かない気になってもじもじと指を弄った。

 「その……わたしも、言葉が過ぎたわ」

 横目でデトリを見ると、彼女は顔を上げてどことなく安堵した様な緩んだ表情をしていた。自分の顔を見ることは出来ないがきっと同じ顔をしているだろうとサラは思った。


 二人はどちらともなく口を開いた。

 「……じゃあ、おあいこということで」

 「……うん」


 それで、とデトリがいつもの怜悧な雰囲気に戻って言った。

「あの酒場にいた男が本当のかたき?」

「ええ。──セザール、いいえヴォイド・ツェペシュはね、父の秘書をしていたの」

 そしてサラはいましがた吸血鬼の酒場で聞いた話を全てデトリに語って聞かせた。



「全然気がつかなかったわ。あいつが吸血鬼だったなんて。物心ついた頃から一緒にいたのに」

 振り返って見ればツェペシュが吸血鬼であることは七年前に既に示唆されていたのだ。あいつは監視カメラにも映らず人知れず町から消えた。吸血鬼が鏡やカメラに映らないなんてあまりに有名な話ではないか。



 「……ねえ、セ、ツェペシュは吸血鬼なんでしょ。ならそれに血を吸われた父は……生き返る可能性はないの?ほら、吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になるっていうじゃない」

 サラはまっすぐにデトリを見た。実はずっと聞きたかったことだった。それこそデトリが黒幕だと思っていた時から。しかしデトリは首を横に振った。

  「いや、血を吸われても人間が仲間になることはない。死ぬだけだ」

 サラはショックを受けた。


 「じゃあ吸血鬼はなんのために人間の血を吸うのよ。血なんか飲まなくたって不死身なんでしょう?」

 思わず責めるような響きになってしまった。


 「確かに人間の血を吸わなくて弱りはしても死には至らない。ただ一定期間血や生気を吸わないでいると気が狂うんだ。昼と夜の区別もつかなくなり最期には自ら太陽に見を投げ出すことになる」

 「でもあなたは人を殺していないでしょう?」

 「私はたまたまそうしなくて済む体質だっただけだ」

 

 サラはデトリに言われた言葉を噛み締めた。様々な感情が渦巻く。

「そうね、ツェペシュにも言い分はあるのかもね。でもやっぱりわたしはヴォイド・ツェペシュを生かしておくことは出来ない。ひとの命を奪うことの重さはよくわかっている……それが敵でもね。でもわたしはあいつをこのまま野放しに出来ない。刺し違えてでも殺してやる。あいつは父が町の住民を差し出していたと言っていたけど嘘よ。父がそんなことするはずがない。自分の仕事に誇りを持っていた人だから」


 「お父さんと仲が良かったんだね」

 デトリはサラのそんな姿を見てどこか眩しそうに目を細めた。


 しかしサラは笑って首を振った。

「いいえ」

「え?」

思いがけない返答だったのかデトリが聞き返した。


「ああ、もしかして昔わたしに手を出したら父が黙ってないって言ったから?ごめんなさい、あれ嘘なの」

サラはペロリと舌を出した。


「わたしね、母の顔を見たことがないの。わたしを産んですぐ亡くなったから。父は母のことをとても愛していた。母が亡くなったのはわたしのせいよ。それ以来ずっと父はわたしのことを疎ましく思っていたの。だからほら、わたしがいくら夜遊びしていても止めもしなかった。きっとわたしのことなんて━━」

「お母さんが亡くなったのは君のせいじゃない」

 さらに言葉を連ねようとした所、途中で遮られた。

 デトリがばつが悪そうな顔で口を押さえる。

 「ごめん。それを言ってほしい相手は私じゃないよな」


 サラはふふっと笑って肩をすくめた。

「そんな顔しないで。もう昔のことよ。とっくに吹っ切れているわ。それに父ばかり冷血なように言ってしまったけれど、自分だって父を本当に愛しているのか時々わからなくなるの。……仇を討つのは本当は爪痕を残したいだけなのかも」

 「何に?」

 「父に。いや、世界にかもしれない。わたしは望まれて産まれなかった。世界にいてもいなくても変わらない存在だった。でも父を偲んで復讐してあげるのはわたししかいない。ハオラン・シンチーの娘はこの世でただ一人、サラ・シンチーだけだってことを証明したいの」


 デトリはしばらく考え込んでいたが、やがて吹っ切れた顔をして手すりに凭れた。

  「私も協力するよ」

 「どうして?」

  サラが尋ねるとデトリが苦笑した。

 「君は自分が世界にいてもいなくても変わらないと言ったけど……少なくとも私の心を変えた」





          * 

 時刻は午前二時、サラはこの数日ずっと滞在しているホテルのベッドの上で蓑虫の様に毛布に包まっていた。

 室内を見渡すと壁に掛けられた鏡からやつれた顔の自分が見返して来る。


 深呼吸を繰り返し、デトリから受けた指示を反芻する。


 彼女から言われた言葉はこうだった。

 

 絶対に部屋を出てはいけない。誰からの呼び掛けにも答えてはいけない。少なくとも朝日が昇るまでは。

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