➂再会
それは雪の降る夜のことだった。
人で溢れる商店街に若い女の声が響く。
「待て吸血鬼!今日こそ父の仇を討ってやる!」
何事かと振り返る周囲の人々の目に、白い髪の少女が走る姿が飛び込んできた。その後ろを黒いコートを着た女が追い掛けている。先程の声はこの追手から発されたものだった。
「待ちなさい!あっ……」
不意に強い風が吹き、追手の女が頭に巻いていたスカーフが解けて空高く舞い上がる。彼女の豊かな赤い髪が露わになった。
彼女は成長し二十一歳となったサラ・シンチーだった。
時は少し遡る。
父を亡くして七年後、サラはルーマニアの地に降り立っていた。目的は一つ。父親を殺した吸血鬼をこの手で葬るためだ。
父親が亡くなってから、サラは進学もせずひたすら怪物の足取りを追った。そしてついに、この国に潜伏しているという情報を手に入れた。
とある建物の前で立ち止まる。派手なネオンの看板がこの建物の名前を示している。──シネマ・ガルニエ。文通で知り合ったオカルトマニアによると、この映画館の四番シアターに毎晩怪人が現れるのだという。直感的にわかった、デトリのことだと。
サラは苦々しく笑った。あの吸血鬼ときたら相変わらず映画漬けの毎日を送っているらしい。
人の肉親を奪っておいていい気なものだ。サラは笑みを完全に消すと映画館に足を踏み入れた。
四番シアターに入ると果たして、あの怪物がいた。初めて会った時の姿のままで、あの夜と同じように一番奥の壁の前で立ち見をしている。サラは不思議な感覚に襲われた。自分がまだ十四歳であるように感じたのだ。涙が出そうになって、慌てて頬を叩いて気を引き締めた。
席は通路側を選んだ。狙うのは映画が終わった後、デトリが一人になった時だ。懐に隠した木の杭を固く握りしめた。
デトリは予想に反してエンドロールの途中で動き出した。サラのすぐ脇を通りすぎていく。予定と違う動きにサラは困惑した。慌てて席を立ち後をついていく。
デトリはそのまま映画館を出ると、商店街の通りへ向かって歩き出した。クリスマスの時期で人が溢れている。見失わないようにするのがやっとだ。
デトリは通りに立ち並ぶショーウインドウを時折眺めている。つられてショーウインドウを見るとガラスに映るデトリと目が合った。視線を前方に戻すと、デトリが肩を強張らせている。それはサラも同じだ。吸血鬼は反射越しにサラを観察していたのだ。賑わいながらも家族や恋人と過ごす穏やかな空気が漂う周囲と裏腹に、二人の間には一触即発の空気が漂っていた。
次の瞬間、デトリがだっと走り出した。
「きゃあっ」
デトリに突き飛ばされた通行人が悲鳴をあげる。通りにちょっとした混乱が起きた。
サラは人混みを掻き分けながら叫んだ。
「待て卑怯者!吸血鬼!今日こそ父の仇を討ってやる!」
*
そして現在、サラがいるのは人気のない路地裏の袋小路だった。
「おかしい」
デトリがここに入っていくのを確かに見たはずなのに。サラが訝しんでいると背後でがさり、と音が鳴った。
ばっと杭を構えて振り返ると、なんのことはない。風でビニール袋が飛んできただけだった。
「なんだゴミか……」
サラがそう呟いた時だった。
「誰かお探しか?」
上から声が降ってきた。次の瞬間サラの頭に衝撃が走る。
「がっ」
割れるような痛みにサラは思わず地面に崩れ落ちる。誘い出されたのか。そう理解した時には遅かった。腕を固められ、頭を地面に押しつけられる。手から杭が落ちる。襲撃者は抜け目なくそれを遠くへ蹴飛ばす。カランと乾いた音を立ててサラの身を守る唯一の手立てが消えた。
「っこの!」
サラは必死に頭をもたげて襲撃者を見た。父を殺した吸血鬼、長年追い求めた仇、あのデトリがそこにいた。冷酷な表情でサラを見下ろしている。
「映画館から私をつけていたな。何者だ、何が目的でここにいる?」
「吸血鬼退治よ!!」
威圧感に気圧されまいとサラは声を張り上げた。
「よくもわたしの父を殺したな!この顔に覚えはないか、お前が殺した男の娘の顔だ!お前も同じ目に合わせてやる!」
「……え?」
サラの言葉に吸血鬼がぽかんと口を開ける。
「……ひと違いじゃない?」
殺気だった雰囲気は消えて不思議そうに首を傾げてそう言う。その惚けた様子に頭にカッと血が上りサラは叫んだ。
「このわたしがお前を間違えるものかデトリ!」
「その名前……」
「お前の口から直接聞いた!故郷の人達を消していると!見てなさい、頭部を切り落として脳味噌の代わりにニンニクを詰めてやる!」
そこでようやく吸血鬼はサラの正体に気付いたようだ。
「お前、君、昔中国の映画館で会った娘か。なんでこんな所に……お父さんが亡くなった?」
サラの腕を掴んでいた力が弱まる。その隙を見逃さず、サラは唸り声をあげて逆にデトリを押し倒し、その細い首に手を掛ける。
「……君の境遇は気の毒だと思う。だけど犯人は私じゃない」
デトリは首を絞められても怯えた風もなく静かに言った。
「ふざけるな!お前以外に誰がいるというんだ!」
「私は喫茶店で君と別れてからすぐ町を出た。あの町で過ごしたのは半年にも満たない。君の父親を殺すことはできない」
「──え?」
一瞬世界から音が消えたように感じた。一拍置いて自分を取り戻したサラは叫んだ。
「っ……嘘よ!だって自白したじゃない、神隠しの犯人だって」
デトリが自分の失態を嘆いて呻いた。
「あれは……あの時はむしゃくしゃしていて、脅かしてやろうと思ったんだ」
「っそんなの!口ではなんとでも言えるじゃない!じ、じゃあ証明できるの?あなたが父の死に関与していないって証明は!」
「やっていないことの証明なんて出来ない。君が信じないならそれまでだ。煮るなり焼くなり好きにしろ」
吸血鬼は全て諦めたように目を瞑った。
彼女は諦めるのに慣れている様に見えた。サラは胸に渦巻いていた殺意が弱まるのを感じた。そのことが悔しい反面どこか安堵していた。
葛藤の末、サラは吸血鬼の上から退いた。吸血鬼が目を開けて怪訝な顔をする。
その眼前に指を突きつけてサラは宣言した。
「あなたを監視させてもらうわ!言っておくけど信用した訳じゃないわよ!あなたが人間に害を及ぼすならその時はこの手で始末するわ!」
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