③任務

 ウェステンラ神父の教会を出た途端、ラカムが急に口を抑えて咳き込んだ。


 「ファーザー・ラカム、大丈夫ですか!?」


 秘書が心配そうに駆け寄る。


 「あ、ああ……」


 ラカムが口から手を離す。手の平にはべったりと血が張りついていた。


 「ファーザー!」


 ケニンゲールは驚愕した。最近ラカムの健康状態が芳しくないことは噂で聞いていたがまさかこれほど酷いとは思わなかった。


 「いつから体調が悪かったのですか!? まさか昨日からずっと!?」

「よいよい、これぐらいで騒ぐな」

 

 ラカムはなんでもない、とひらひらと手を振ったが秘書がそれを一喝した。


 「よくありません! ああ、だから安静にしているべきだと申しましたのに!今からでも遅くありません、本部へ戻りましょう」

 「しかしケニンゲール一人に任務を任せるわけには……」 


 ラカムは渋ったがケニンゲールはきっぱりと言い切った。


 「いいえ、貴方がここに残っていると心配で任務どころではありません。俺のためにも本部に戻ってください」


 ラカムは納得行かない顔をしていたが、再び咳き込み始めたため、結局部下達の言う通り本部へ戻ることになった。


 最後に二人で話したいというのでケニンゲールはラカムの車椅子を押しながら畦道を歩いた。


 「……お前が教会に引き取られてもう二十年になるのう」

 「ええ」

 「ご両親が生きておられたら今の立派に育ったお前を見てさぞや誇りに思うだろう」

 「そうでしょうか」


 ケニンゲールは両親の顔を知らない。赤ん坊の頃吸血鬼に二人とも殺害されてしまったからだ。

 ケニンゲール自身も殺されそうだったその時、現場に駆けつけ吸血鬼を討伐してくれたのがラカムだった。

 彼は身寄りのないケニンゲールを引き取り弟子として育ててくれた。


 ハンターは祝福と呼ばれる異能を持つ者しかなることが出来ない。ケニンゲールはなかなか祝福が発現しなかった。更に同年代の他の訓練生と比べて身体も小さく病弱で、一時はハンターになることを諦めかけた。しかしラカムは彼を決して見放さなかった。


「私は確信しておる。お前にはハンターになる才能がある」


 彼はそう言って辛抱強く訓練に付き合ってくれた。


 そして一年前、十九歳になったケニンゲールはようやく祝福が発現した。そのことを誰よりも喜んでくれたのは他ならぬラカムだった。


 ところで、とラカムは咳払いした。


 「一人前のハンター皆猟犬を持つものだ」 


 ケニンゲールは自分の顔が強張るのを感じた。

 

 猟犬というのはハンターに仕える吸血鬼のことだ。


 一般的な吸血鬼は人間を襲い血を吸い殺そうとするが、中には人間との共存を望む者がいる。同族の暴力的な振る舞いを止めるため彼らはハンターに力を貸す。


 と、いうのは建前で本当は保身のためだろうとケニンゲールは思っている。猟犬になれば吸血鬼ハンターに狙われないし生きるのに必要な最小限の血液の供給もある。


 ハンター側にも猟犬を持つメリットは大きい。人間より頑丈で身体能力の高い猟犬は肉盾に最適だ。更に吸血鬼はハンターが祝福を使うのと同様にそれぞれの権能を使う。ハンターは猟犬と力を合わせることで戦術の幅が格段に広がるのだ。


 「そろそろお前も猟犬を持つ気はないか。望むならいくつか有望なのを見繕って送るが……」

 「やめてください」


 自分でも驚くほど冷たい声が出た。


 「吸血鬼は俺の両親を殺しました。そんな奴らと手を組むなんて死んでもごめんです」


 ラカムは深いため息を吐いた。


 「そこまで言うなら無理強いはしないさ。だがなケニンゲール、お前には種族ではなく相手の心を見て判断するようになって欲しい。私のその気持ちがいつかお前にわかってもらえると良いのだが……」


      

 バス停までラカムを送って村に戻ってきた時には既に午後二時を過ぎていた。

 ケニンゲールは早速ダーウェルが現在住んでいるという屋敷に向かった。


 ウェステンラ神父の話によるとウシア嬢は婚礼の準備のため村はずれの崖の上にある彼の住居に滞在しているとのことだった。


 蜂蜜色の壁をした藁ぶき屋根の家々が密集している場所を通り過ぎ、牛がのんびり草を食んでいる牧草地の間を通る。

 かつて陰惨な事件があったとは思えないほどのどかな風景だった。


 しかし村の中心から遠ざかるにつれ次第に景色も荒涼としてきた。石畳の道は途中で途切れ砂利になり、枯れてドライフラワーのようになっているヒースの野原が左右に広がる。所々黒いごつごつした岩も転がっている。


 カーブを曲がり、見通しを妨げていた一際大きな岩を超えた時、ついに目的地が見えてきた。


 屋敷は崖を下った先、海に突き出した巨大な岩の上にあった。ケニンゲールの立つ小道の先はその岩の割れ目に吸いこまれるように消えている。


 ダーウェルの住居は屋敷というよりは城だ。周囲を取り囲む堅牢な壁とその上にわずかに覗く尖塔が逆光で黒いシルエットになっている。


 目の前に広がる光景を見てケニンゲールは落胆した。既に日が沈みかかっている。城の後ろに広がる海に卵の黄身みたいな太陽の下半分が浸かっている。


 日が沈めば吸血鬼はたとえ祝福の力でも殺せない。


 「くそっ時間が無いっていうのに」


 ケニンゲールは眉間を指で抑えてため息を吐いた。


 ウェステンラ曰く明日の夜には教会で式が挙げられるのだという。つまりリミットは明日の夕方までだ。ウシア嬢を逃がせれば時間制限を気にしなくてすむのだが。


 ケニンゲールは覚悟を決めた。

 ──忍び込むか。


 そうと決まればやることは一つだ。ケニンゲールは砂利を踏みしめ城に近付いていった。

 

 歩けるところは歩いてみたが、城の外壁は出入り口となるような隙間はなかった。もしかしたら正面玄関は崖側にあるのかもしれない。


 ケニンゲールは頭上はるか高くまでそびえる壁を見上げた。上の方に矢を射る隙間のような小さな穴が並んでいる。


 ケニンゲールはその穴をひたと見据えて、助走をつけると一気に飛びついた。二本の指がぎりぎりのところで穴に引っ掛かる。


 ケニンゲールはしばらくそのままぶら下がっていた。やがて振り子のように身体を振って勢いをつけると一気に壁を飛び越えた。


 膝を曲げて衝撃を吸収しながら音も立てず着地する。

 赤茶色の土の上に石造りの無骨な建物が立っていた。建物の中心部には高い塔が二つそびえている。

 

 よし、うまくいった。ケニンゲールは喜びを抑えながら一歩踏み出した。その途端、足が何かに引っ掛かる。


 次の瞬間警報の音が敷地内に響き渡った。


           *

 

 外が騒がしい気がしてウシア・ブラッドレーは目を覚ました。天蓋付きのベッドから降りて窓の方を見る。窓には板が打ちつけられていて光一つ漏らさない。太陽の光を嫌う城の主の指示でこの城の全ての窓がそうなっている。


 窓だけではない。屋敷のほとんどの扉は鍵が掛かっているか板を打ちつけられている。ウシアが出歩けるのはこの寝室のある塔と螺旋階段、そこを降りた先の廊下で一直線に繋がった晩餐室のみ。その僅かな散歩が出来るのも婚約者のダーウェルが許可した時だけだ。普段は寝室の扉にも鍵が掛けられている。


 古い城にはいくつも罠があって危険だからだとダーウェルは言っていた。半分は真実だろうがもう半分は自分を閉じ込めておく為の方便だろうとウシアは思っている。


 ウシアはため息を吐いて窓を塞いでいる板を撫でた。この窓を開けて冴え冴えとした月明かりを浴び風を感じられたらどんなにいいだろう。


 その願いに呼応するように突然ガラスが割れる音がした。板に衝撃が走る。ウシアは怯んで後退りした。


 誰かが外から繰り返し板を叩くか蹴るかしているらしい。板はやがて亀裂が入り始め、木片が床に落ちる。最後にばきっと激しい音がして黒い革靴の足がにゅっと現れた。


ウシアは思わず悲鳴をあげた。


 すると外から若い男の声がした。


 「その声っ……もしかしてウシア・ブラッドレーか?」

 「なぜわたくしの名前を!? あなたは誰ですか!?」


 ウシアはほとんど悲鳴に近い声で尋ねた。


 「君を助けに来た者だ! とりあえず中に入れてくれないか? もう片方の足を野獣に食われかけてるんだっ」

 「野獣?」


 そういえばダーウェルから聞いたことがある。中庭にはダーウェルが放した飢えた狼がいて侵入者を食い殺すと。


 ウシアは迷った。自分の名前を知っていることは引っ掛かるがこの男が味方だという保証はどこにもない。城の金品を狙ったこそ泥かもしれない。


 「早く! ここから出たくないのか!? ダーウェルに見つかったら二人ともお陀仏だ!」


 迷っている時間はない。ウシアは男の足を引っ張ってラグの上に倒れ込んだ。黒いカソックを着た男と灰色の獣が板を突き破って現れる。


 床に叩きつけられた衝撃で狼の口から男の足が外れた。


 ウシアが呆然としていると低く唸る声がした。


 はっと声のした方を見ると狼の琥珀色の瞳がウシアに狙いを定めていた。前足をかいて助走をつけると、狼は牙を剥いて襲いかかってきた。


 その時男がウシアの前に出て拳を狼の鳩尾に叩き込んだ。狼が哀れな悲鳴をあげて窓の外に吹っ飛ぶ。


 男は肩で息をしていたがやがてウシアの方をくるりと向いて笑顔になり、擦り傷だらけの手を差し出した。


 「助かったよ。俺はケニンゲール」


 しかしウシアはその手を取らなかった。こわごわと男の顔を見上げる。


 彼は癖のあるくすんだ金髪の髪をしていた。きらきらと輝く焦茶の瞳に笑うと出来るエクボが少年っぽい印象を与えた。


 男は困った表情になり、手を引っ込めて頬をかいた。


 「わからないか? 実は俺達一度会っているんだ」


 それを聞いてウシアの脳裏に数日前のロンドンの記憶が蘇った。


 「……まさか、あの時の神父様?」


 男が頷く。 


 それはまさしく横暴な父から自分を守ってくれようとしたあの青年だった。


 「まさかあなただったなんてっ……でもどうしてここに?」


 青年は急に真面目な表情になった。


 「この村の神父から依頼されて君の結婚を止めに来たんだ。いいか聞いて驚くなよ。君の婚約者のダーウェル、あいつは吸血鬼だ」


 ウシアは息を呑んだ。


 「そんな……」

 「信じられないのも当然だ。無理に信じろとも言わない。だがあいつが人を殺しているのは事実だ。あいつと結婚した花嫁は必ず非業の死を遂げている。君もこのままではそうなる。君だって薄々わかっていただろう? だから結婚を嫌がって逃げ出したんじゃないのか?」

 「それはっ……しかしこの結婚はお父様が強く望んだのです。ここを逃げ出したところでお父様に連れ戻されます」

 「はっあのクソ仮面野郎が」


 青年が鼻で笑う。


 「ダーウェルってのはこんな城に住んでるくらいだから結構な資産家なんだろう。君のお父様とやらが血眼になって君とあいつを結婚させようとしているのも大方財産目当てとかだろうよ。なあウシア、そんな親父のことなんかより自分のことを考えろよ」


 ウシアは俯いて黙りこんでしまった。青年はため息を吐くと、ウシアを軽々と肩に担ぎあげた。


 「なっ」


 ウシアの頬がかっと赤くなる。


 「離してくださいっわたくしのことはいいのでもう放っておいてください!」


 ウシアの抗議も虚しく青年は「あんたはよくてもこっちも仕事なんでね」と言い捨てて鋼鉄の扉の方へ向かっていった。

 

 青年がドアノブを回す。しかし何も起こらない。


 「……無駄ですよ。この部屋は外から施錠されています。鍵は全てダーウェルが持っています」


 ウシアがそう言うと青年はなぜだかしたり顔で片目を閉じた。


 「まあ見てろって」


 そう言うと鋼鉄の扉に片手をかざす。白い光がほとばしり氷を入れたグラスに水を注いだ時のような、何かが軋む音がして、次の瞬間扉が粉々になった。


 ウシアが絶句しているとケニンゲールが得意げに彼女を見上げた。


 「超能力みたいなもんさ」

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