⑩吸血鬼と人間

 ハンターと猟犬達がツェペシュを取り囲んだ。ツェペシュは周囲をぐるりと見回して、最後にアミーラに目を留めた。


「おい。あの犬相手に朝まで時間稼ぎをしたら俺とアーシッドに危害は加えない約束だぞ」


 アミーラは道路で気絶していたアーシッドを人質に取り、ツェペシュに協力を持ち掛けたのだ。

 

 「それについては感謝しているわ。でもね、あたしがお前を倒すまでの時間稼ぎでもあったのよ」

 「騙したのか?」


 ツェペシュが凄むとアミーラが澄ました顔で答えた。


 「害獣駆除に騙すも何も無いでしょう」

 「あ"?」


 ツェペシュのこめかみに青筋が浮かんだ。


 「この俺を獣と同列に語るだと?」


  女がふっと笑う。


 「そうよ。民間人という家畜を襲うのがお前達害獣。そしてそれを狩るのがあたし達ハンターってわけ」


 とうとう激昂したツェペシュが女に飛び掛かる。

「てめえ!」


 待ち構えていた様に猟犬達が銃弾を放った。しかしそれは当たることなくツェペシュの姿が闇に溶ける。


「どこへ行った!?」


 こめかみに十字架の契約印が入った猟犬が叫んだ途端、彼の背後で悲鳴が上がる。悲鳴の主は彼の主人だった。ばったりと倒れたハンターの喉は掻き切られていた。


 次々とハンター達が始末されていく。


 「わざわざ俺に有利な舞台で戦ってくれてありがとよ!!」


 片付けたツェペシュはアミーラに向かっていった。


 「無駄よ!」


  アミーラが前に手をかざすと前方に白い光で形作られた盾が出現した。


 「はっ狙いはてめえじゃねえ!」


 ツェペシュは女の頭上を通り越し、背後の鏡を割った。鏡の破片が雨のようにハンター達に降り注いだ。



 「ったく……手間掛けさせやがって」

 

 ツェペシュが人型に戻り地面に舞い降りた。


 周囲には惨状が広がっていた。全身に鏡の破片が突き刺さったハンターや猟犬が地面に倒れている。

 一番酷い有り様だったのがあの女だった。殊更大きな破片が頸動脈の辺りを突き破っている。アミーラの命は風前の灯に見えた。


 「これで終わりだな」

 「あ……ああ……」


 アミーラは血走った目を走らせて辺りを見回した。

 彼女のすぐ傍らには、彼女のお気に入りのあの若い男の外見をした猟犬が足を負傷して呻いている。 

 女の目がぱっと輝いた。


「不死身……不死身の吸血鬼の血……」


 ツェペシュは女が次に何をするつもりかを察した。


「馬鹿やめろ!」


 その叫びも虚しくアミーラは猟犬を引き寄せその首筋に噛みついた。

     


          *

 

 外で聞こえる喧騒と悲鳴をサラは聞いていた。悲鳴にはヴォイド・ツェペシュの断末魔も混ざっていた。ああ、これでわたしの旅は終わった。そう思った。自分の選んだ道に後悔はない。満足して目を閉じた時、一人の顔が浮かんだ。


 再び目を開くとサラはデトリの上に馬乗りに乗っていた。デトリが唖然とした顔でサラを見上げている。


 「サ、サラ。どうして……」

 「なんであんたは!」


  なぜ二人共生きているのか?そんな疑問は浮かばなかった。サラはデトリの胸ぐらを掴んで怒鳴った。


 「なんで嘘ばかりつくのよ!おまけになんか名前まで違うし!少しはわたしのこと信用してくれたっていいじゃない!」

 「ご、ごめん」


 いつにないしおらしさで謝られて毒気を抜かれる。デトリは憔悴しきった顔で頭を抱えた。


「ごめん、ごめんね。巻き込んで。私のせいだ。教会から逃げたりしなければ」

サラはため息を吐いて俯くデトリのシャツの襟を離した。


「事情を全部話して。あの女、何者?」

「アミーラは……私の主人だ。私は元々アミーラの猟犬をしていたんだよ。でも新しい猟犬が手に入って廃棄された。いくらハンターとはいえ個人の意向で猟犬を変えることは許されないから、事故に見せかけて自死するよう言われたんだ。でも私はその命令に背いた」

 「当たり前でしょう!?どこの誰が死ねなんて言われて素直に従うのよ!ここから出るわよ!」


 しかしデトリの表情は曇ったままだった。


 「私は……もういいよ……」

 「何かしたいことがあったから外に出たんでしょう?」


 サラが辛抱強く続きを待つと、デトリはやがてぽつりと溢した。


 「親に……父親に会いたくて。でももういいんだ。あいつ、別の家庭があった。私の旅はもうとっくに終わっていたんだよ………それに、わかっているだろ。ここから出ることはできないって」

 

 「……ええ、そうね」


 サラは自分の胸に手を置いた。そうだった。自分は心臓を撃たれて、もう助からない。サラはきつく目を閉じた。そして覚悟を決めると目を開きデトリの手に自分の杭を押しつけた。


 「デトリ、わたしの血を飲んで。全て飲み干して。あなただけならまだ間に合うわ」


  目を見開くデトリに微笑む。


 「思い出したの、昔母とこんな風に話したことがあったって。母は自分に不思議な力があると言っていたわ。自分の命と引き換えに他人を助けることが出来るんだって。わたし産まれてすぐの時息をしていなかったの。母がわたしを救ってくれた。わたしもその血を引いているなら、同じことが出来ると思わない?」


 「それは……」

 「信じない?」

 

 デトリをじっと見つめると彼女は首を振った。


 「信じるよ、でもっ……」

 「じゃあ決まりね」


 サラは有無を言わさずデトリの頭を掴んで自分の首筋に押しつけた。


 「やめろっそんなことはできない!だって私のせいで君はっ」


 抵抗するデトリにサラは険しい声で言った。


 「そうよ、あなたのせいでわたしは死ぬの」

 

 そこでふっと表情を和らげ、デトリの頭を撫でる。


 「悪いと思うなら、わたしの頼みを聞いてよね。━━生きて、生きて幸せになって。わたしのことなんか忘れるくらい」

 

 デトリはそのままずっと動かなかった。やがて、サラの首筋にぽたりと温かいものが垂れる。

 

 「……忘れないよ絶対」

 最後にそう答えて、サラの首筋に牙を突き立てた。

 

 

   

         *


  その頃、ミラーハウスの中ではまだ新米の吸血鬼ハンターが目の前に広がる惨状に腰を抜かしていた。近くにいた猟犬が覆いかぶさって降り注ぐ鏡の破片から守ってくれた為、彼自身はかすり傷を負うだけで済んでいた。

 彼の視線は突如現れた見知らぬ裸の女に釘付けになっていた。

 

 猟犬の下から這い出した新米ハンターは、女が次々と生き残った同僚や猟犬に襲いかかる姿を目撃した。現在女は最後の獲物である吸血鬼ヴォイド・ツェペシュの生首に噛みつき咀嚼していた。

 

 「人間じゃない……」


 彼は思わずそう口にしていた。

  ハンターの声が聞こえたのか、女が彼の方を振り返った。


 「ひっ」


 後退りするとその足元に女がべ、と何かを吐き出した。

 それはヴォイド・ツェペシュのあの特徴的な鷲鼻だった。


 女はハンターの元にじりじりと近付き、首を傾げた。


 「なぜそんなに怯えているのヒューズ。あたしがわからない?」


 女が自分の名前を口にしたことにヒューズは驚愕した。


 「も、もしかして……シスター・アミーラ、ですか?」


 消去法で心当たりのある名前をおずおずと口にした。彼女以外のハンターは全てこの女に殺されている。自分に親しげに話し掛けるのは彼女しかいない。

 すると女がにい、と笑って両手でヒューズの顔を包み込んだ。


 改めて至近距離で見ても女の姿にアミーラの面影を感じさせるようなものは何もなかった。それどころか吸血鬼でも見ないほど醜悪な姿だ。

 

 一本の毛もない蝋のような肌に青い血管が幾筋も浮き上がり蜘蛛の巣の様な模様が浮き出ている。口を開くとむせ返る様な血の臭いと共に二本の鋭い牙が覗いた。


 「お前は確かあたしに憧れているのよね?」


 確かに訓練生だった頃初めてアミーラに会った時その様なことを言った気がする。ヒューズは女の機嫌を損ねたくなくてこくこくと頷いた。


 「ならあたしのお願いを聞いてくれるわよね。喉が乾いているの。そこの猟犬を寄越しなさい」


 そう言って彼女が指差したのは、ヒューズのことを庇ったあの猟犬だった。ヒューズは凍りついた。


 「人間でもいいけれど吸血鬼の血のほうがエネルギー効率がいいみたいなの。そいつを食わせてくれればお前の血までは必要ないかもしれないわ」

 「し、しかしこいつは俺の相棒で……」


 ヒューズの目が泳ぐ。その時猟犬が激しく咳き込んだ。


 やっぱり駄目だとヒューズは首を振った。駆け出しの頃からずっと一緒にやってきた相棒を売ることなど出来ない。


 「オレには選べません。お願いですシスター、正気に戻ってください」

 

 涙目で懇願する若きハンターに女がけたたましく笑った。


 「いいえ、あたしは正気よ。むしろかつてないほど頭が冴え渡っているわ」

 

 時間切れよ、と女の手がヒューズの首にかかった。





 数秒後、アミーラは血塗れになった手を舐めていた。傍らにはヒューズが着ていたカソックが丸められて捨てられている。

 

 まだ血が足りない。飢えて飢えて仕方なかった。獲物は残っていないかと辺りを見回すと鮮やかな赤い髪が目を引いた。

 女は眠っているように目を瞑っていた。なんというのだったか、愚かにも吸血鬼を庇ったこの女の名は。


 「ああ、そうそう。確かサラだったね」


 ぽんと手を叩く。

 

 「安心なさい。貴女の死は無駄にはならないわ。このあたしの糧となるのだから」


 そう言って女に伸ばした手は、何も掴むことはなかった。


 「なっ……」


 アミーラが自分の右腕に目をやると肘から先が焼き切れていた。遅れて鋭い痛みがやってくる。

 

 「ぎっいぁぁあ゛っ!」

 のたうち回るアミーラの前にブーツを履いた足が現れた。

 見上げるとこの手で始末したはずの己の猟犬が冷たくアミーラを見下していた。

 手には粗末な木の杭が握られている。


 「エルシー!お前、生きてたのか!」


 「人間が吸血鬼の血を飲むとそうなるのか。見下していた怪物と同じに成り下がった気分はどうだ?」

 

 「お前えぇぇ!」


  アミーラが叫んだ。


 「いつからあたしにそんな口をきくようになった!!」


 この猟犬はかつて非常に従順だった。

 かねてからアミーラは男の猟犬が欲しかった。しかし希望は叶わず割り当てられたのがデトリだった。だからデトリに男の制服を着せ男のように話すように命じ、デトリもそれに従った。十年前美しい男の吸血鬼を手に入れ、用済みとなるまで。


 アミーラは怒りを抑えてふっと笑った。

 

 「誰が主人か思い知らせてやらないとね。女の血はその後よ!犬のものは全て主人の所有物なのよ!」

 

 自分が吸血鬼に限りなく近付いていることをアミーラは自覚していた。祝福を持つ者以外が吸血鬼を殺すことは出来ない。そしてこの場で祝福を持っているのはアミーラ唯一人。故に彼女が負けることは絶対にない。自分こそが頂点捕食者なのだ。


 「あは!」


 アミーラは笑みを浮かべて残った左腕から剣を生み出した。剣は問題なく作り出せた。しかしそれを握った瞬間手に激しい痛みが走った。

 

 「あがっ!」


 アミーラは動揺して剣を取り落とした。掌を開いてみると酷い水膨れが出来ていた。


 「さっきから何よ!!あたしは不死身よ!誰にもあたしを止めることはできないのに!」

 「吸血鬼の血が流れている奴が祝福を使おうとすればそうなるに決まっているだろ」


 そこでアミーラははたと気付いた。デトリの腕がずっと燃え続けていることに。

 

 「お前、その力はまさか」


  デトリが口を歪めて笑った。


 「ああ、祝福だよ。私もお前と同じ、吸血鬼でも人間でもない。私の父親は人間、ハンターだった」


 また猟犬の訓練生だった頃教会の上層部と猟犬の教官がそう話すのをこっそり聞いたことがあった。自分が赤ん坊の頃教会の前に捨てられていたこともその時知った。

 やがて祝福が宿るかもしれないから殺さず猟犬として飼うことにしたのだと彼らは言っていた。


 ハンターは祝福を込めて吸血鬼の心臓を貫けば吸血鬼を殺すことが出来る。

 それだけでなく祝福は常識では考えられない奇跡を引き起こすことが出来る。アミーラならば光の武器を作り出すことが出来るといった具合に。


 デトリは奇跡を引き起こす段階まで辿り着けなかった。きっと祝福を与える神がお許しにならないのだろう、祝福を使おうと意識するだけで身体が燃え上がった。

 それが今まで見せていた発火能力の正体だった。

 

 アミーラがくっくっと肩を震わせた。

 「…………馬鹿な女ね。祝福が使えなかろうがあたしにはこの牙がある。お前が自滅するのが先よ!!」


  そう言い終えるやいなやアミーラが牙を剥いて飛び掛かった。

 

 「いいや、生きて帰るさ。友達と約束したんだ」


 デトリが杭の切っ先をアミーラに向けて挑発した。

 「退治してやるよ、吸血鬼」


 牙と杭がぶつかる。デトリがアミーラの左の牙を切り落とす。自分の親指が燃え上がり落ちる。杭を左手に持ち替える。もう一度、今度は心臓を狙う。脇腹が灰になって崩れる。構わない。もう一度突き刺す。

 

「ああああ!!!」


 デトリは持てる全ての祝福をアミーラの心臓に叩き込んだ




 やがて炎が廃墟を包み何も見えなくなった。


         *


 数間後、応援に駆けつけたハンターが目にしたのは数多の仲間の死体と灰の山だった。


 灰の一部は″教会″からの逃走及びシンチー一家惨殺の首謀者である吸血鬼エルシーのものだった。

 

 しかしシスター・アミーラの遺体だけは見つからなかった。教会はアミーラは自らの命と引き換えに元猟犬の凶行を止めたのだと判断した。これまで積み重ねた功績と健闘を讃えられ、アミーラは聖人に認定された。


 最後に吸血鬼の哀れな犠牲者であるサラ・シンチーだが、彼女の遺体は一族の墓に埋葬された。






 事件から一年後のクリスマスの朝、アミーラの後任となったハンター、ダントン・ハーカーはシンチー家の墓参りへ向かった。

 彼が到着すると墓前には瑞々しい花が供えてあった。

 「この町に外国人がいるのは珍しいな」


 ダントンの姿を認めると、枯れ葉を集めていた老人が手を止めて言った。

 

 「私のほかに誰か?」


  ダントンが花を指して尋ねると老人が首を傾げた。


 「さあ、いつの間にか供えられていたんだよ。もう一年も経つのに枯れないでずっとあるんだ」


 ダントンはまじまじと墓前の花を見つめた。故人の髪の色を思い起こさせる明るい赤色の花は、本来は夏の花だった。それが今まさに鮮やかに咲きほこっている。

 

 ダントンは既に去った先客の顔を想像した。

 花はいつまでも風に揺れていた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る