ヴァンプマン0.5

①花嫁

 ケニンゲールがその花嫁と出会ったのは十月の終わりのことだった。


 隣国行きの飛行機へ乗るため薄曇りのロンドンの雑踏の中を急ぎ足で歩いていると、一人の女が通りの端で膝を抱えて蹲っている姿が目に飛び込んできた。

 

 道行く人々は関わりたくないのか彼女がまるで透明人間であるかのようにその前を素通りしていく。

 彼女が着ている白いワンピースの裾は通行人に踏まれて泥だらけになっていた。

 生来困っている人間を放っておけない性分のケニンゲールは搭乗の時間が押しているにも関わらずつい彼女に駆け寄った。


 「どうしたんだ?気分が悪いのか?」


 女が顔をあげる。そこで初めて気付いたのだが女はレースのヴェールを被っていた。白いワンピースと思ったそれはウェディングドレスだったのだ。


 美しい人だった。

 年の頃は二十代前半、いやもしかしたらまだ十代かもしれない。緩やかにウェーブを描いた珊瑚色の髪に、真珠にも負けないほど白く滑らかな肌、南国の海の色をした零れ落ちそうな大きな瞳をしている。


 「少し人酔いしてしまって……でももう大丈夫ですわ神父様」


 うっかり彼女に見惚れていたケニンゲールはその言葉で我に返った。

 彼女の視線はケニンゲールの首から下げてある、杭を二つ組み合わせた様な奇妙な形の十字架に注がれていた。

 どうやら服装から彼が神父であると判断したらしい。


 彼女はゆっくり立ち上がると「ご心配をおかけしました」と微笑んでその場を後にしようとした。

 しかしすぐによろめいてしまう。

 

 「危ないっ」


 ケニンゲールは彼女を抱きとめた。咄嗟に触れた肩の華奢さに彼の心臓はまた跳ねた。自分が後少しでも力を込めたら握り潰してしまいそうだ。おまけにまるで死人の様に冷たい肌だ。


「こんなに冷え切って、何時間ここにいたんだ? 家まで送っていこう」


 そう申し出ると、途端に女は青ざめてがたがたと震えだした。

 急にどうしたんだ? 

 事情を尋ねようと口を開いた途端、背後の道路の方から怒りに満ちた声がした。


「そこで一体何をしている?」

 

 振り返るとそこには顔の上半分を覆う仮面をつけた不気味な男が立っていた。


 男は色素の薄い髪を後方に撫で上げており、服の上からでも厚みのある肉体をしていることがわかるほど鍛え上げていた。

 そのすぐ後ろには彼の所有物であろう黒い高級車が停まっている。

 男は荒々しい足取りでやって来て二人を引き剥がした。


 「この私から逃げられるとでも思っていたのか?」

 「いやっ」


 男が女の手首を掴んで車へ乗り込もうとすると、彼女は足を突っ張って抵抗した。


「やめろ、嫌がっているじゃないか!」


 ケニンゲールはすかさず二人の間に割り込んだ。

 男の視線がケニンゲールの首に掛けられたロザリオに留まり一瞬驚いた様子を見せた。

しかし次の瞬間にはその表情は消え去っており、ケニンゲールの顔を悪意が籠もった笑みを浮かべて見ていた。


 「君は神父か?こんな所で女を引っ掛けていてはさぞや神もお嘆きになるだろう」

 「あ゛あ?」


 生来喧嘩っ早い性分でもあるケニンゲールは見事挑発に乗った。


 「お察しの通り俺は聖職者だ。迷える子羊に手を差し伸べるのが仕事なんだよ。おっさんこそ若い娘に付き纏ってんじゃねーよロリコン」


 そう言って女を守るためずいっと前に出る。

 意図せず仮面の男の顔を至近距離でまじまじと観察することになった。

 よく見ると彼の口の端から頬にかけて縫い傷の跡があった。それに引っ張られて男は常に嘲笑している様な笑みを浮かべている様に見えるのだ。

 男は尊大に胸を反らした。


 「これは親子の問題だ。部外者が首を突っ込むんじゃない」

 「は?」


 ケニンゲールは己の耳を疑った。今こいつは何と言った?━━親子?

改めて自分の後ろにいる女と目の前の男を見比べた。容姿にしても性格にしても血の繋がりを感じさせるような所は何もない。


 「ウシア、神父様を巻きこむつもりか?」

 男が今度は女に向かって言った。


 女がケントの耳元で囁いた。

 「……どいてください神父様。彼の言うことは本当です。彼はわたくしのお父様なのです」


 有無を言わさぬ様子につい言われるがままケニンゲールが横に退くと、男が娘に向かって手を差し出した。


 すると先程までの抵抗が嘘のように彼女は素直に男の手をとった。


 「お、おい!」

 「いいのです。もうわたくしに構わないで」


 我に返ったケニンゲールが通り過ぎていく女を呼び止めると彼女は肩越しにケニンゲールを振り返りそう言った。これまでと違い拒絶するような強い口調だった。

 仮面の男は乱暴に彼女の肩を掴み前を向かせると停めてあった車に乗り込み行ってしまった。


 ケニンゲールは遠くなっていく車をただ見送ることしか出来なかった。


          *



 結局ケニンゲールは登場予定の便を乗り過ごした。次の便に乗り、目的地アイルランドに着いた時には時刻は午後の五時を過ぎていた。


 待ち合わせ場所の空港のエントランスへ急いで駆けつけると車椅子の老人と黒い髪を後ろで一つに束ねたきつい顔立ちの女が待っていた。


 師のジェローム・ラカムとその秘書だ。


 「すみません、遅くなりました!」


 ケニンゲールが申し訳なさそうに駆け寄ると秘書の女がぎろりと彼を睨んだ。


 「無礼者! 大司教様が一介の司祭のために直々に出向いてくださったというのにどこで油を売っていた!」


 「よいよい」

 ラカムが秘書を諌めた。

 

 「こうして無事な姿を見せてくれれば充分だ。立派になったのうケニンゲール。初任務だな、緊張しているか?」

 「いいえ!」


 ケニンゲールが威勢よく返事をするとラカムは目を細めて眩しそうに彼を見つめた。


 外へ出るとロンドンと違い雲一つ無い空が広がっていた。


 「早速狩りを始めるのですか?」


 足早に空港を後にしながら師匠に尋ねるが彼は苦笑して首を横に振った。

 

 「あの沈みゆく夕日を見なさい。今日はもう駄目だ。もうすぐ奴らの時間が来る」


 ここで狩りとか奴らとか言っているのは鹿や狐のことではない。


 吸血鬼━━闇に紛れて人間を襲う不死の怪物。奴らはフィクションの存在ではない。この世界に確かに実在している。

 強靭な肉体、尽きぬ寿命を持つ奴らは人間より遥かに上位の存在だ。


 だが天は我らを見放さなかった。吸血鬼に対抗す存在が現れた。それが吸血鬼ハンターと呼ばれる人間達だ。彼らは吸血鬼を殺す為に必要な特別な力を授かっている。

 ケニンゲール達が所属する組織、通称″教会″は正式名称は聖ヘルシング修道会といい、本拠地は地中海のとある無人島にある。世間にはその真の目的は隠されており、辺鄙な場所にあるただの修道院だと思われている。


 村へ向かうバスに揺られながらラカムの秘書が今後の予定を説明する。

 「今日は元々討伐の予定ではなかったんだ。依頼人の神父に話を聞いて吸血鬼の捜索は明日からだ」

 「神父?」

 「ああ、といっても我々の様なまがい物じゃなく、正真正銘本物の神父様だぞ。神学校のつてで我々の存在を知ったらしい。かなり用心深い人で太陽が出ている間でないと人と会おうとしないのだ」

 「うむ。今日中に会ってくれるといいがのう」

  師匠が不安そうに呟いた。



 ラカムの不安は見事に的中した。

 

 「帰ってくれ! 貴様らなど知らん!」

 

 締め切った聖堂の扉ごしに叫ばれて、ケニンゲール達は顔を見合わせた。

 秘書が咳払いして一歩前に出る。

 

 「いやいやウェステンラさん、今日お会いする話になっていたはずですよ。我々は教会から派遣された━━」

 「いいや、わたしが聞いていたのは午後二時に面会するという話だった。今何時だと思う?夜の六時だ!もう予定を四時間も過ぎておる!」


 「はは……」

 遅刻の元凶のケニンゲールはばつが悪くて頭を掻いた。


「とにかく、わたしは予定外の訪問には決して応じない!使者のふりをした怪物という可能性もある!ははは、悔しいだろう?吸血鬼は招かれなければ家の中に入ってこれないからな!貴様らが本物の使者だというならば明日昼間に訪ねてくることだ。太陽の下を歩いてこられるものなら!!」


 ウェステンラは最後にそう言い放ったきり、後はいくら戸を叩いて呼び掛けてもうんともすんとも言わなくなった。


 「駄目だ。ウェステンラ氏はかなり疑り深い人物のようだ」

 ラカムがやれやれと首を振った。

 「今日は大人しく宿に帰り、また明日出直そう」


         *

 同時刻、ロンドン。

 黒い高級車が滑るように石畳の道路を走っていく。

 その後部座席では淡い紅色の髪の女が荒い息をしながら頭を抱えていた。

 

 「もう限界だろうウシア」

 

 隣に座る仮面の男が感情の読めない声で呟いた。

 

 すると女はがばっと顔を上げぎらついた目で男を見つめた。その視線は男の首筋の浮き出た血管に一心に注がれている。


 「いいぞ」


 許可が下りた瞬間、女は肉食獣が獲物に襲い掛かる様に勢いよく男に抱き着いて首元に顔を埋めた。

 

 車内に官能的な息遣いの音が響く。ふと運転手がミラー越しに自分達を観察していることに気付き、男は運転席と後部座席の間のカーテンを閉じた。


男は満足そうに笑みを浮かべて女の柔らかい髪を撫でる。その間も女は無我夢中で喉を鳴らしながら、男の首から流れる血を飲んでいた。

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