⑦襲撃

 「教会」の本拠地は地中海の孤島だ。世間的には十字軍遠征の中継地の跡地が修道院になったと伝えられている。


 本部は10階建ての高層ビルと式典用の石造りの大聖堂から成る。ビルの方には民間人の目を誤魔化す為に祝福が掛けられており、外から見るとゴシック様式の尖塔に見える。


 各階は1階がエントランスと食堂、2階が大浴場、3階が医務室と研究室、4階がリネン庫と洗濯室、5階が書庫、6階が武器庫、7〜9階がハンターの寮、そして最上階が掌院室と会議室、事務室となっている。地下は1階が鍛錬場、2階が猟犬の寮、3階から下が地下牢である。


 ケニンゲールは11月1日の真夜中になってようやく島に辿り着いた。気絶から目覚めてすぐ村を出てダブリンまで徒歩とヒッチハイクで向かい、その後イタリア行きのフライトに乗った。そこからは再び徒歩で地中海沿岸まで行き、後は島までひたすら泳いだ。


 息も絶え絶えに本部の島の海岸に流れ着くと迎えに来た猟犬にラカムに取り次ぐよう伝えた。



 ケニンゲールが掌院室に通された時ラカムは身体のあちこちを管に繋がれた状態でベッドに横たわっていた。


 そんな状態にも関わらず、ケニンゲールがブラッドレーの名前を出すと鋭い眼差しになり、しっかりした足取りで立ち上がった。


 ケニンゲールはダーウェルの霊廟で起きたことやブラッドレーが明日教会を襲撃するつもりであることを話した。


 「そうか。よく知らせてくれた。明朝ハンターを海岸線に配置して警戒しよう」


 全てを聞いたラカムは深いため息を吐いて応接用ソファの背もたれに身を預けた。


 「ファーザー、ブラッドレーは何が狙いなのでしょう。奴はあなたに恨みを持っているようでした。何か知っているのではないですか?」

 「……エリックと私は兄弟弟子なのだ。教会の規律を破ったあやつを私が追放した。奴は復讐に取り憑かれておる。教会の全てを破壊するつもりだ」


 ラカムは長い沈黙の後ようやくそれだけ言った。彼の口から吸血鬼の女の話はついぞ出なかった。

 ケニンゲールは自分を奮い立たせた。聞け、聞くんだ。──ダーウェルから聞きました。あなたは教会を裏切り吸血鬼の女に心を捧げたのですか、と。


 「師匠っ」


 ケニンゲールが意を決して、口を開いたその時だった。


 「大変です院長!」


 ラカムの秘書が掌院室に息を切らして駆け込んできた。


 「どうした騒々しい。今ケニンゲールと大事な話をしておるのだ」

 「地下牢に捕らえられた吸血鬼達が脱走して1階エントランスで暴れています!」

 「なにっ」


 ラカムが目を見開いた。


 「……エリックの仕業か」 

 「しかし約束の日は明日ですよ!?」


 ケニンゲールは窓際の棚に置かれた時計を見た。針は丁度12時を指していた。


          *

 12時より少し前。

 鍾乳石の壁に等間隔に取り付けられている松明が地下に広がる空間を照らす。鉄格子の影が縞模様を作る中を看守のレンフィールドは鼻唄を歌いながら歩いていた。


 鉄格子の向こうは暗闇が広がり金属の擦れる音が響いている。これは第一層の囚人の罰だ。金属の重しがいくつも縫いつけられた拘束服を着せられ円になって昼夜休みなく歩かされる。


 地下牢は全部で第五層まであり下へいくほど凶悪な吸血鬼が収容されている。


 彼らが処刑されない理由は定かではないが、いくつもの噂が流れている。教会の上層部を買収しているだとか、本部のビルに掛けられた目眩ましは本当は彼らの権能によるものだとか。果ては彼らには祝福も太陽の光も効かないため殺しようがないなどという噂まである。


 レンフィールドはふと吸血鬼の一匹が鉄格子を掴んで外を見ているのに気付いた。

 レンフィールドは警棒を取り出してもう片方の手の平に打ちつけながら吸血鬼の方に近付いていった。


 「やあ看守さん。チーズの欠片かなんか……なんでもいいが食べる物を持っていないか」


 レンフィールドが前に立つと吸血鬼はそう言って手を差し出した。肩に鼠が一匹乗って黒い髪を食んでいる。


 「ははっこらっ卑しん坊め。なあ看守さん、この子が腹を空かせているんだ」


 吸血鬼が鼠を愛おしそうに撫でる。見ているだけでも病気になりそうだ。レンフィールドは不気味に思いながら吸血鬼の眼前に警棒を突き出した。


 「円に戻れ。懲罰を与えるぞ」


 吸血鬼が不思議そうに首を傾げる。近付いてわかったのだが、吸血鬼には両目が無かった。ぽっかりと空いた眼孔が二つあるだけだ。


 「貴殿が私に罰を与える未来は見えなかった」


 吸血鬼は妙なことを口走った。


 「見えぬもなにもお前には目が無いではないか」


 レンフィールドは段々と腹が立ってきた。この吸血鬼は俺を恐れていない。看守に対する敬意というものがないらしい。

 レンフィールドの怒りに呼応するように彼の影が蠢いた。


 「これでもまだ私がお前に罰を与えられないと言うか?」


 影が独立した動きを見せた。吸血鬼に向かって黒い手を伸ばす。

 レンフィールド自身は両手をだらりと垂らしてその場に立ったままだ。

 影の手は吸血鬼の肩に乗っていた鼠を掴みとった。鼠が苦しげに鳴く。


 「ああっ何をするっ」


 吸血鬼が悲鳴を上げて取り返そうと手を伸ばすが鉄格子に阻まれる。


 レンフィールドは笑いながら影に命じた。


 「俺を侮った報いだ。影よ、この薄汚い鼠を潰せ」


 しかし影は動かなかった。


 「どうした!?」


 レンフィールドが背後を見る。影はまるで舐め取られたソフトクリームのように抉れていた。影の手から力が抜け鼠がぽとりと落ちる。鼠は鳴きながら吸血鬼の背中によじ登った。


 「エリック」


 吸血鬼がぽつりと呟く。

 レンフィールドが吸血鬼の視線を追うと、地下牢入口の鉄の扉を背にして白い仮面の男が一人立っていた。男が手の平を上に向けて前に差し出す。次の瞬間レンフィールドの影は男の手に吸い込まれるように消えていった。


 レンフィールドは半身を引き千切られるような痛みを感じ白目を剥いて倒れた。

 

 仮面の男が鉄格子に向かって歩いてくる。


 「お前が来ることはずっと前からわかっていた」


 吸血鬼は期待に満ちた笑みで来訪者を見上げた。


 「皆にも知らせてある。牢獄を破る救世主が現れると。今日こそが決起の日、我々が真に自由になる日なのだ」


 鉄格子の奥の暗闇から金属の重りがついた拘束服を着た吸血鬼達が続々と現れ、ブラッドレーに跪いた。


 ブラッドレーは冷たく吸血鬼達を見下ろし、吐き捨てるように言った。


「俺を崇拝しているふりなどするな吸血鬼共。虫酸が走る」

 

 次の瞬間地下牢に白い光が炸裂し、真っ二つに折れた鉄格子が音を立てて地面に落ちた。


 吸血鬼達が狂喜して歓声を上げながら、自分達を閉じ込めた者たちに復讐するため飛び出していった。

          *

 ケニンゲールが1階ロビーに辿り着いた時には既に戦闘が始まっていた。


 突然の襲撃にハンター達は動揺し逃げまどっている。


 囚徒達を率いているのは白い仮面をつけた男だった。

 一瞬、彼とケニンゲールの目が合う。男はすぐに興味も失せた様子で目を逸らした。

 

 戦いが一層激化し、男の姿が戦いの波に呑まれる。

 かろうじて最後に見えたのは男が外套を翻してエレベーターに消えていく姿だった。


「落ち着けっ しょせんは一度我々に敗北した者たちだ! 捕らえて牢獄に送り返せ!」


 ラカムの秘書は勇ましい叫び声をあげながら馳せ参じていった。


 ケニンゲールがその後に続こうとすると突然ダンプに撥ねられたような衝撃が身体に走った。ナイフが手を離れ大理石の床を転がっていく。視界が二転三転し、気がつくと鰐の頭をした男が馬乗りになっていた。


 「ひっさびさの生きた人間の血だぜえ!」

 

 鰐頭は勝利の雄叫びをあげてケニンゲールの喉笛に噛みつこうとした。


 ケニンゲールは両手を伸ばして鰐の顎を掴んだ。


 「主よ! 俺に祝福を!」

 

 力が手に集まるように集中する。

 いつもならばこれで吸血鬼の頭は粉々になるはずだった。しかし今回に限って何も起こらなかった。

 鰐が不思議そうに首を傾げる。


 ケニンゲールは舌打ちした。そうだ、今はブラッドレーに祝福を奪われているのだ。


 鰐はしばらくの間警戒していたが何も起こらないと見てとると大口を開けて笑った。


 「どうしたよハンター! そっちが動かねえならこっちからいくぞ!」


 鰐が再びケニンゲールの喉に噛みつこうとする。鋭い牙が首の柔らかい皮膚に食い込む。もはやこれまでかと思った時、突然横から水の濁流が鰐頭を攫っていった。


 「なんだ!?」


 ケニンゲールが身体を起こす。鰐頭は壁に激突して気絶していた。その反対側ではストロベリーブロンドの女が肩で息を切らして震えている。

 

 「ウシア……」

 

 二人はしばし見つめあった。ウシアが口を開いて何か言おうとする。


 「聞いてくださいケニンゲールさん、わたくしはっ……うぐっ!?」

 

 しかし最後まで言い終える前にウシアの身体に鎖が巻きついた。


 「おや。こんな女、囚人の中にいたか?」


 茶色の髪をした若いハンターがゆっくりと近付いてくる。その手の平からは鎖が伸びている。ハンターがそれを手繰るとウシアは地面に引き倒された。


「さあお嬢さん、お家へ帰る時間だ」


 ハンターはウシアを無理矢理引き摺りながら階段へ向かっていく。

 

 「や、やめろっ」


 ケニンゲールは思わずウシアに向かって手を伸ばした。同僚が怪訝そうな顔で振り返る。


 「どうしたケニンゲール」


 ケニンゲールは動揺した。ウシアは懇願するようにケニンゲールを見ている。


 「そいつをどこに連れていくつもりだ?」

 

 同僚が肩を竦める。


 「野獣が飼われている地下牢の第2層だ。餌の時間が過ぎているのに牢が空なもんでさ。それがどうかしたか?」

 「いや……なんでもない」


 ケニンゲールは手を引っ込めた。同僚は鼻を鳴らすとケニンゲールに背を向けて行ってしまった。


 ケニンゲールは戦闘に戻ろうとしたが足が動かなかった。

 第2層。永遠に獣に食われ続ける罰。その罰を受けるのか、ウシアが。俺を助けたあの女が。

 

 「ああっクソっ」


 我ながら絆されやすくて嫌になる。ケニンゲールは地下に駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る