⑧決着

 時刻は午前五時。サラがいたのは、昨晩デトリに連れられてきたあの廃ビルの屋上だった。向かいには彼女をここに連れ去った犯人がいた。


 「ほら来ねえぜあいつ。俺が言った通りだろ?」

所詮はならず者だったなとツェペシュが笑う。

 「残念だったな。お前に近付いたのもどうせ血が目当てだったんだろう」


 ツェペシュの言葉にサラはぼそりと呟いた。

 「違うわ」

 「あん?」

 ツェペシュが怪訝な顔をする。


「デトリは良いひとよ。人間を殺すあなた達とは違うわ」

  ツェペシュが吹き出した。

「良いひとぉ!?自分に都合の良いひとの間違いだろーが!」

「なんですって」


 「人間様の側につく存在が正義ってか?お前、映画は見るか?ミュータント、エイリアン、吸血鬼、人間に味方する人外の存在のなんと多いことか!脚本家が描きたいのは人外のヒーローの方か?違うね。奴らはヒーローを使って人間を称賛させたいのさ。怪物が"改心"し、尽くすほど我々は善良で特別な存在ですって。人間っていうのは自分達が世界の中心で、最も尊ばれる存在だと思ってやがる」

 それはとんだ思いあがりだとツェペシュは一蹴する。

「人間だって所詮は食物連鎖に組み込まれた動物に過ぎねえ。そしてその頂点に俺達がいる」


 彼の主張を聞いてサラの思考を支配したのは怒りだった。

 違う。聞きたいのは種族がどうとかそんな話ではない。

「ただの食物連鎖だというなら、誰でも良かったんじゃない……なぜあの町だったの?どうしてよりによって父が殺されなければならなかったの?」

「理由なんてねえよ。あの町の頂点に君臨していたのが俺だ。潜伏先も獲物も気分しだいだ」

「何を勝手なことを!」

 サラはデトリの忠告も忘れて杭を握って、背を向けているツェペシュに突進した。しかしそれはあっさりとかわされる。サラは地面に強かに顔を打ち付けた。


 振り返ると吸血鬼は情でサラを見つめていた。

「……お前、今何をしようとした?」

ぞっとするほど低い声で問われる。答える間もなく首を掴まれ地面に叩きつけられた。

「きゃあっ!」

 その拍子に杭が転がり落ちる。ツェペシュがそれを拾い上げる。

「あの餓鬼が来るまで生かしてやる気だったが気が変わった!今すぐ殺してやる!可哀想になあ、俺の正体を探ろうなんてしなけりゃ親子共々生きていられたのによ!」

 ツェペシュが杭を振り上げる。その時だった。


 「やめろ!」

 杭の切っ先がサラの胸に到達する寸前、制止の声がかかった。

  サラは恐る恐る声のした方を見た。


 「デトリ!」

  屋上の入り口では白い髪の少女が肩で息をして立っていた。


 「遅かったじゃねえか王子様」

 ツェペシュは軽口を叩いたものの内心焦っていた。こいつがここにいるということはあの数の刺客を全員倒したということだ。


 デトリの左手からはぼたぼたと血が流れ落ちていた。血はあの十字架の入れ墨から流れているようだった。



 それに気付いたツェペシュが目を細めた。

  「″教会″の印か……ああ、なるほど、本当に裏切り者だった訳だ。今まで上手く欺いていたものだな、猟犬さんよ」


  ツェペシュが喉を鳴らして笑う。

  「人間に尻尾振るってのはどうな気分なんだ、え?」

 「猟犬?どういうこと?」

  サラが叫んだ。デトリは何も言わなかった。代わりに答えたのはツェペシュだった。


 「ハンターに飼われる犬、自らも吸血鬼でありながら吸血鬼を狩る者、それが猟犬だ。つまりあいつは、同族殺しの裏切り者さ」


          *

 サラが見守る中、二人の吸血鬼が対峙した。ツェペシュが剣を二振り取り出し、片方をデトリに投げて寄越す。剣の種類は決闘で一般に用いられるレイピアだ。


 「幸か不幸か俺達はお互いを殺すことが出来ねえ。正々堂々決闘で決めようじゃないか。相手を流血させれば勝ちだ。俺が勝ったらサラ・シンチーの血は俺が全ていただく、てめえが勝ったら……」

 「お前の身柄を拘束してサラに引き渡す」

 「決まりだな。さあ始めようぜ」

 ツェペシュが剣を構える。


 「ちょっと待った」

 「なんだ?怖じ気づいたのか?」

 「お前の剣を見せろ」

 ツェペシュの顔がひくりと引き攣る。

 

 「なぜだ?」

 「何か細工しているだろ」

 「馬鹿言え!ほら、よく見てみろよ!」

  ツェペシュは憤然とデトリに歩み寄り自分の剣を持たせた。

 「俺がこの剣に毒でも仕込んだと思ったのか?」

 デトリは無言で刀身を撫で、ツェペシュに返した。


 「何もなさそうだな」

 「当たり前だろ!」

 そう怒鳴りながらツェペシュは冷や汗をかいていた。


 剣を返してもらったツェペシュは二人の間に砂時計を置いた。

 「口上は省略させて貰うぜ。この砂が全て落ちきったら開始だ」


  ツェペシュは内心ほくそ笑んだ。細工を施したのは自分の剣ではない。デトリに渡した剣の刀身には、金属を腐食させる特殊な薬剤を塗ってある。砂時計の砂が落ち切る丁度その時に剣が真っ二つに折れるという手筈だ。残った砂は後数ミリ。全て落ちきるまで三秒、二秒、一秒。


 「かかったな間抜け!」

 勝利を確信したツェペシュが剣を突き出す。デトリの剣が真ん中から折れた。同時にツェペシュの剣が飴細工の様に曲がる。


 「なっ!」

 驚愕するツェペシュ目掛けて折れた刀身が飛んできた。怯んだ所を長さが半分になった剣で切りつけられる。

 すんでのところでそれを柄で受け止めたツェペシュは青筋を浮かべた。


 「てめっ!検査する振りして細工しやがったな!」

 「ずるはお互い様だろ」

 不格好な剣で鍔迫り合いをしながら二人の吸血鬼は睨み合う。


 「さっきのどういうからくりだ?お前の権能?なかなか使い勝手が良さそうじゃねえか」

 「そうでもないさ。自分の身体が燃えるだけの欠陥能力だ。流れ出た血も燃やすことが出来る。さっきお前の剣につけた」

 「詳細まで教えてくれるとは随分余裕だな」

 「知った所で対応出来ないだろ」

 軽口を叩きながら両者共に隙を伺う。

「……なあところでお前まだ何か隠していることはないか?」


 ツェペシュは会話を引き伸ばしながらさりげなく剣を握っていない左手をこっそり握り込んで掌に傷をつけた。


 「何かって?」

 「昨日酒場で妙なものを見ちまったんだ。お前らが帰る時店員が皿を磨いていただろう?」

 「覚えていないな。それが何か?」

 「あの店員は真面目でな、いつも銀食器が鏡みてえにピカピカなんだ。昨日もサラの姿がよく映っていたぜ」


 「へえ……」

 「なぜだろうな、お前も映っていたぜ」

 「!」

 デトリが目を見開いた。

 「くらえ目潰し!」


それを見逃さずツェペシュが流れ出た血を飛ばす。しかしデトリはそれを読んでいた。あっさりと躱し、逆に足払いを掛ける。

 「神聖な決闘で足を使うたあ躾のなっていない犬が!」

 ツェペシュが悪態をつきながら地面に倒れる。デトリはすかさず先程投げた刀身を拾い上げてツェペシュの胸に突き刺した。


 「ぐうっ!」

 ツェペシュが苦痛に悲鳴をあげる。

 勝負はついた。ツェペシュの着ていたシャツがじわじわと赤く染まっていく。


 「これで終わりね」

 二人の戦いを見守っていたサラがツェペシュの前に立ちはだかった。


 「まあ待て……最期に一服くらいさせろ」

 ツェペシュが上体を起こして懐に手を入れる。取り出したそれは、拳銃だった。

 銃口は真っ直ぐサラの方を向いていた。


 「やめろ!」

 デトリがツェペシュに体当たりして突き飛ばす。二人は絡み合いもつれながら転がっていった。

 その時、太陽が地平線から顔を出し、屋上に光が差した。


 「デトリ!」

 サラはとっさにデトリの腕を掴んで貯水タンクの陰に転がり込んだ。ツェペシュが二人に追い縋ろうとしたが、間に合わず剥き出しの皮膚が燃え上る。

 ツェペシュが苦痛に満ちた悲鳴をあげてその場に崩れ落ちた。


 「っ……これだから餓鬼の相手は嫌なんだ……ああ、俺の負けだ。これで満足か?」

 ツェペシュはがくりと肩を落とした。吐き捨てるように言う。

「言うことはそれだけなの!?この怪物!」

 デトリは今にもツェペシュに殴りかかりそうなサラを押し留めて代わりに尋ねた。

「この子に言うべきことがあるだろう。動機くらい教えてやれ。なぜ人間の一家の中に潜り込んだんだ」

 

  ツェペシュがふっと笑った。

「人間になりたかったのさ」

疲れきった、しかしどこか憑き物の落ちた様な顔で続ける。


「人間のお前にゃわからねえだろうが、俺達の世界に安息なんてない。吸血鬼でいる限り常にハンターに追われる毎日だ。俺はそんな生活にもう嫌気が差していたんだ。ある日、俺は一人のホームレスの血を飲み干してそいつに成り済ますことにした。最終的にある家庭に潜り込むことに成功した」

 サラの方を向いてそうだシンチー、お前の家だよと目を細める。

 「ハオラン・シンチーの秘書という立場を足掛かりに俺は人間としての生活を手に入れるつもりだった。誰にも脅かされず、定住する家を持って、人生を共にする伴侶がいる、そんな普通の生活が欲しかったのさ」

 遠くに思いを馳せる表情はやがて不敵な笑みに変わっていった。

「サラ・シンチー、お前は今自分の隣にいる相手がヒーローに見えているんだろう。だがな、俺は誓って!生涯一度も同族を、仲間を手に掛けたことだけはなかった!よーく考えろ、本当の悪は俺とそこの犬、どっちだろうなあ!」

高笑いと共にツェペシュの身体は完全に崩壊した。


 後には彼が着ていた赤いスーツだけが取り残された。







          *

 「やっと見つけた」

 サラは膝に手をついて息を吐いた。前を歩いていた少女の足が止まる。深夜の路地には二人の他、誰もいない。


 「探したのよ。いつもの映画館にもいないし……その荷物、どこかへ行くの?」

 ツェペシュを倒したあの後、デトリは突然姿を消してしまったのだった。サラは町中を探して、夜もふけてからようやく町外れのこの場所で彼女を見つけた。彼女に感謝の気持ちを伝えたかった。


 デトリは白いボストンバッグを肩にかけていた。肩越しにサラを振り返る。その冷たい瞳にサラはたじろいだ。

「何か用?」

刺々しい態度はまるで初めて会った時に戻ったようだった。


「父親の仇はとったんだ。もう私に関わる必要はないはずだろ」

「何言ってるの、用がなくたっていいでしょ。わたし達もう、友達なんだから。どうしちゃったのよ急に」


 その言葉にデトリが腹を抱えて笑い出した。

「友達?たったあれだけのことで?随分おめでたい頭してるな」

「何……言っているの……?」


  愕然と呟いた瞬間、サラは壁際に追い詰められた。顔面すれすれのレンガ造りの壁に拳が振り下ろされる。

「きゃっ」

「ありがとう。騙されてくれて、こんな人気のないところまで誘い出されてくれて。私が何の見返りもなしに人間なんかに協力すると思ったか?全ては君を油断させるため、獲物を独占する為だよ」

「う、嘘よ!あなたがそんなことをする筈がない」

サラが叫ぶとデトリが不快そうに眉をひそめた。


「私の何を知ってるんだよ所詮、恵まれた人間が。私がどんな気持ちで君のことを見ていたかわかるか?ああ、ずっと嫌いだったよ君のことが。初めて会った時から。殺したいくらいに」


 絞り出す様な声にサラは気圧された。

「なんで…………」

  これまでそんな素振り見せなかったではないか。


「なんで?私に無いものをなんでも持っているからだよ。ハンターの元にも外にも私の居場所なんかない。同族を殺した奴を誰が受け入れる?親だって私のことはいらなかった。赤ん坊の頃、組織の門の前に捨てられていたんだって。おかげで人間なんかを守らなきゃならなくなった。でもこれでもう終わり。二度と君の顔を見ないで済むと思うとせいせいする」 「っ!」



  サラは逃げ出した。ホテルの自室に戻り、荷物をまとめる段になってもデトリは追ってはこなかった。



 

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