ヴァンプマン

サプライズ吸血鬼理論

ヴァンプマン

①出会い

 十四歳の誕生日を迎えたばかりのサラの日課はとある映画館に通うことだった。

サラの住む港町にあったのは新作の公開から何週も遅れて上映する小さな映画館だけだった。

しかし当時のサラにとってはそれで良かった。なぜなら彼女の目的は映画鑑賞ではなく、とある人物を観察することだったからだ。


 クラブで発行している会報の締め切りを明日に控えた夜、サラはまた映画館を訪れていた。上映しているのは、元スパイがかつての所属組織の追跡から逃れながら数多のラブロマンスを繰り広げる、というありふれた筋書きのB級映画だった。面白さに比例するように客の入りもまばらだ。ストーリーは佳境に入っていたが、サラはどの人物が本命のヒロインなのかも把握していなければ、タイトルすら頭に残っていなかった。


 なぜなら、席のすぐ斜め後ろにあのひとがいるからだ。


 そのひとはいつも立ち見で映画を見ていたが、今日も相変わらずそうだった。色素の薄い髪に赤い瞳の、整った顔立ちがスクリーンの光に照らされている。大人びた雰囲気の彼女はサラと同じか少し年上に見えた。仲良くなった映画館スタッフから聞いた話では朝から晩までいくつも映画をはしごして見ているのだという。何も知らない人には学業をさぼっている不良としか映らないだろう。


 やがて映画が終わって観客が一人、また一人と席を立つ。最後に残ったのはサラとそのひとの二人だけだった。

 そのひとはエンドロールが終わるまで帰らないとサラは知っていた。だから客が全員はけるのを待っていたのだ。


館内が完全に明るくなってからようやく、サラは立ち去ろうとする彼女に向かって足を踏み出した。

「こんばんは!ねえ、知っているかしら、わたし達最近よく会うの。お、面白いわよね!この映画。特に旧ソ連の秘密兵器だったサメのゾンビが襲ってくるシーンとか!」

努めて明るく話し掛けるサラをそのひとの目が捉えた。切れ長の目に見つめ返されてサラの心臓が大きく跳ねる。

 「わ、わたし達趣味が合うと思うの。良かったらこの後、喫茶店で語り合わない?」

おもねるような笑顔を見せるサラにそのひとが怪訝な顔をする。

「もしかしてずっと監禁されていた?」

予想外の言葉にサラは笑顔を張りつけたまま固まった。

 「えっ……あ、なんで?」

「この映画を面白いと評するなんて世間の娯楽からよっぽど遠ざけられて育ったとしか思えない」

そう言い放ち彼女は出口へ向かっていった。


 「ねえ、待ってってば!話があるの!」

我に返ったサラが慌てて後を追いかける。

 「私にはない」

 「ちょっとくらいいいでしょ!」

とりつく島もない彼女の左腕を掴んで振り向かせる。その拍子にちらりと彼女の手首の内側に十字架の刺青が見えた。

 「なんなんだ一体……」

困惑した表情で手を振り払われる。

「……わたし知ってるわ、あなたの秘密」

サラは彼女の耳元で囁いた。

「あなた、吸血鬼でしょう」

彼女が息を飲んだ。

「お前……」

「誤魔化そうなんて思わないでね。証拠だってあるんだから。それにね、わたしの父はこの町の町長で娘を溺愛しているの。報道機関にも警察にもコネがあるわ。逃げようとしたらあなたの顔が全国ニュースで流れることになるわよ。警察や軍隊に昼夜追われて、心臓に杭を突き立てられるのよ」

すかさず警告すると彼女はしばらくサラを睨みつけていたが、やがて諦めたようにため息を吐いた。

「……何が望みだ?」

ようやく主導権を握れてサラは胸のすく思いがした。

「わたしのお願いは最初に言った通り。さあ、なにか甘いものでも食べながらお話しましょう、吸血鬼さん」

          *

 「紅龍学園、オカルト同好会会長、サラ・シンチー……?」

サラが差し出した名刺に書かれた文字を、吸血鬼が怪訝な顔で読み上げた。

「ほう、この町で噂になってる怪異とか迷信、心霊現象なんふぁを調査するのがわふぁし達の活動」

「食べるか喋るかどっちかにしない?」

パフェを口一杯に頬張りながら答えるサラを吸血鬼は呆れたように見た。

サラと吸血鬼は映画館のすぐそばにある喫茶店にいた。


 「それで、私のことを吸血鬼なんて呼ぶ根拠は?何が目的だ?」

矢継ぎ早に尋ねる彼女を押し留めてサラは言った。

「その前にあなたの名前を教えて」

「嫌」

「会話するのに不便じゃない!ね、なんて呼べばいい?」

サラがしつこくせっつくと彼女がはあ、と深いため息を吐いた。

「……デトリタス」

「えっごみ?」

「そう。廃棄物デトリタス

サラは彼女が自分をからかっているのだろうと思った。ひとの名前に廃棄物なんて。しかし彼女は否定する素振りもなくつまらなさそうにアイスコーヒーをかき混ぜている。どうしたものかとサラは腕を組んで考え込んだ。ひとをゴミ呼ばわりは抵抗がある。

 「あ!」

良い案を思いついた。

「それじゃあデトリって呼ぶわ!」

「え?」

吸血鬼が呆気に取られた顔をする。

「だって、その方が可愛いでしょ!」

「…………お好きにどうぞ」

 彼女は頬杖をついてふい、と視線を逸らした。


「そうそれでデトリ、あなたが、吸血鬼だとわかった理由、だったわね」

サラは居住まいを正して、改めて吸血鬼と向き合った。

「その前に、この町の秘密を教えるわ。この町は神隠しの町なの。それというのも住民が度々姿を消すのよ」

ストローをつまむデトリの指がぴくりと引き攣った。


 最初は小さな違和感だった。ある日通学する途中、いつもより人が少ない気がした。統計を調べると人口の大きな変動はない。気のせいかと思った。しかしどうにも納得いかなかったサラは毎日町で見かける人の顔を注視しておくようにした。するとある日、いつも学園の最寄駅で空き缶を持って物乞いをしていた男が忽然と姿を消した。そして気付いたのだ。姿を消すのはいつも浮浪者やホームレスなどの周囲に顧みられることのない人達であることに。


 「我がオカルト同好会の今年度のテーマはその神隠しの真相を探ること。それで夜な夜な町をパトロールしている時に見つけたのがあなたよ」

そこで言葉を切ってデトリをじっと見つめる。

「今から十日前のことよ。あなた丁度さっきの映画館がある通りを歩いていた時、若い男に話しかけられていたわよね。あなた達二人は細い路地に消えていった。わたし慌てて後を追いかけたの。そしたら路地裏には気絶した男だけが残されていた。彼の首筋には傷があった。獣が獲物を仕留めたみたいな傷が。どう?あなたが吸血鬼だという根拠になるかしら」


 デトリの答えを待った。彼女は俯いてテーブルを睨みつけていた。グラスの氷が溶け出してカランと音を立てる。そこでようやく彼女は観念してがっくりと項垂れた。

  「……そこまで見られていたなら認めるしかないな」

「それじゃ、本当なのね?本当に、本物の吸血鬼なのね?」

サラがはやる気持ちを押さえて確認すると、デトリが小さく頷く。

「すごぉい!すごいすごい!本物の怪物を目にするなんて二年間活動していて初めてよ!」

サラは興奮のあまり身を乗り出して、吸血鬼の手をとった。勢い余って椅子とテーブルがずずっと床を滑る。そして熱のこもった声で懇願した。


「お願い!あなたのことを記事に書かせて!」

その言葉が予想外だったのか、デトリがゆっくりと瞬きした。

「……記事?」

「そう。同好会の会報、締め切りが明日までなの。神隠しの証拠は全然集まらないし困っていた所なの。ねえお願い。この町に吸血鬼がいたなんてきっと目玉記事になるわ」

そうしたらきっと学校中の評判になる。クラスでも一目置かれて、父も褒めてくれるかもしれない。

薔薇色の未来を想像して頬が緩むサラをデトリは白けた顔で見ていた。


「教会の手先かと思ったら……とんだ時間の無駄だった」

「え?」

彼女は外国の言葉で何事か呟いた。聞き返すと「子供は帰って寝なって言ったんだよ」と返ってきた。そして手を振り払われる。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」

背を向けて歩き去るデトリを呼び止めると、彼女が振り返った。照明のせいか、その瞳に物騒な色が宿っている様に見えた。彼女がまたため息を吐いた。

「なんでまた引き止めるかな。そんなに死にたい?」

「え?」

何を言われたのか理解するのに時間がかかった。

━━死?

「だってそうだろ。正体を知られてしまったんだ、私がこの町から出るか、目撃者を消すかどちらかしかない」

「何言ってるの……消すだなんて」

 笑い飛ばそうとしたが彼女はにこりともしなかった。サラは口の端を半端に引き上げたまま固まった。


 だってたかが学内限定の会報で紹介しようとしただけなのだ。さっきは気が大きくなって全校生徒の人気者になる自分を夢想したが、本当はそんなことにならないとわかっている。吸血鬼の存在なんて信じる人なんていない。自分はこれまで通りちょっと変な子だと思われたまま周囲から浮いて生きていくのだ。


「わ、わかった。そんなに嫌なら記事にするのはやめるわ」

狼狽えるサラを見てデトリが首を傾げる。

「それだけ?」

「え?」

「人が度々姿を消す町で吸血鬼を見つけたら普通思わないか……そいつが犯人だって」


時が止まったような気がした。その言い方だとまるで自分が神隠しの犯人だと自白しているみたいではないか。デトリが犯人?あり得ない。なぜなら──。

「住民の失踪は二十年近く前からなのよ!?その時まだあなた生まれてないでしょう!?」

「吸血鬼 が見た目通りの年齢だとでも?」

サラはあ、と口元を押さえた。

「なんだ、自分で言ったくせに信じてなかったのか」

デトリが腹を抱えて笑いだした。笑い過ぎて出た涙を拭いながらサラを見る。


 「他のお客もいない。お店の人も奥に引っ込んでいる。こんな人気のない店に吸血鬼なんか呼び出して、どう切り抜けるつもりだったんだ?」

「近寄らないで!」

 サラは無我夢中でデトリを突き飛ばすと夜の町に飛び出した。



 


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