06 これは友達に彼女を紹介するターン……なのか!?

 放課後になった。

 教師が出ていくと同時に生徒たちも席を立ち、雑談をしながら廊下へと出ていく。


 そんな賑やかな空気のなか、俺は隣の席へと視線を向けた。


「ルイ、もういける?」

「ん、ちょっと待って」


 ルイは頷きつつ、筆記用具と教科書を通学鞄に入れ、ファスナーを閉める。

 そしてこっちを向いて小さく笑った。


「はい、いいよ」


 ……おお。


 思わずちょっと感動してしまった。

 ほんのわずかなものだったけど、ルイが教室で笑いかけてくれるのなんて初めてだ。


 付き合い始めてまだ丸一日というところだけど、少しずつ色んなことが変化しているのを感じた。


 俺が感慨に耽っていると、彼女は不思議そうに眉を寄せる。


「なに? どうしたの?」

「なんか……ルイの笑顔っていいな、と思って」

「ば、ばか。いきなり何言ってんの」


 文句を言いつつ、白い頬が少し赤くなる。

 可愛いな、と思い、俺の頬も緩くなる。


「またニヤニヤしてる。キモいから」

「ごめんごめん」


 そんなやり取りをしながら、二人一緒に立とうとする。

 朝と同様、帰りも一緒に下校しようと昼休みに約束したのだ。


 しかし椅子から立つ直前、黒板の方の席から声を掛けられた。


「きーたはーらー! 北原きたはら、北原、北原、きーたはーらー!」


 小走りで駆け寄ってきたのは一見、チャラそうな男子。

 髪を染めていて、制服のネクタイをせず、ワイシャツの襟も緩く開いている。


 だが不思議と愛嬌があり、クラスでの評判も悪くない。

 

 男子の名は谷崎たにさき

 俺とルイが付き合うきっかけにもなってくれた、俺の友達だ。


「北原っ、例の件、どうだった? なんかイイ感じの作戦もらえた?」


 谷崎は前の席の椅子に大股開きで座り、期待を込めた目を向けてくる。


 例の件とはもちろん恋愛相談の件だ。


 谷崎は最近、彼女が出来たらしい。でもいざ付き合い始めたらその子と会話が続かないそうで、俺に相談を持ち掛けてくれたのだ。


 そしてその対策はルイからしっかり教えてもらった。

 俺は自信を込めて大きく頷く。


「任せてくれ。効果抜群の対策を聞いておいた」


「おおっ、マジか! さっすが北原、頼りになるー! 今日から俺のお兄ちゃんを名乗っていいぜ!」


「それはない。普通にない。どっから出てきたんだ、そのお兄ちゃんって発想は?」


「いやなんか北原、お兄ちゃんっぽいし」

「谷崎が弟っぽいだけだろ、それ」


 という馬鹿話をしていると、隣でルイが椅子に座り直し、スマホをいじり始めた。

 こっちで会話が始まったので、気を遣ってくれたみたいだ。


 ありがたく思っていると、谷崎が机に肘をつき、前のめりになって訊いてきた。


「それでそれで? どうしたら彼女と会話が続けられるようになるって?」

「――あ」


 ふいに声を上げたのは俺ではなく、ルイ。

 たぶんこっちの会話の内容が昨日の恋愛相談のことだ、と今気づいたのだろう。


 ルイは『しまった……』という顔で自分の唇を手で押さえた。

 一方、谷崎はビクッとして隣を見る。


「あっ、えと、水野みずのさん、ごめん……! 俺ら、うるさかった?」

「別に。どうでもいい」


 スマホをいじりながら、ルイはさらりと答える。

 これは『あたしはスマホに集中してるから気にしていない』というルイなりの気遣いだと思う。


 しかし谷崎は違う意味に捉えたらしく、青ざめて俺に耳打ちしてくる。


「やばい、北原。水野さんを怒らせちゃった……っ」

「大丈夫。あれは怒ってないから」


「いや怒ってるっしょ? どうしよう。美人を怒らせたら地獄に落ちるぞ、ってウチのばっちゃが言ってたんだ……っ」


「まず祖母が孫にそんなことを言う状況が俺には分からないんだが……」


 とはいえ、誤解は解いておくべきだ。

 俺はルイへと話しかける。


「俺たち、うるさかったかな?」

「別に。うるさいと思ったら、あたしどっか行くし」


「つまり怒ってない?」

「そう言ってるつもりだけど?」


 我が意を得たり、という顔で俺は谷崎の方を見る。


「だってさ」

「そ、そっか。良かった……っ」


 地獄行きを回避し、谷崎はほっと胸を撫で下ろした。

 ただやはり気は遣っているらしく、内緒話のような小声で俺に耳打ちしてくる。


「しっかし水野さんってやっぱ美人だよなぁ。ウチの学校レベル高い方だけど、水野さんみたいなガチで芸能人クラスみたいな女子はさすがにいないぜ」


「谷崎、彼女がいるのにそのコメントは俺、どうかと思う」

「いや客観的な話だって。彼女は俺のなかでもう別格。心の底からラブよ、ラブ」


 だったらいいけど、と苦笑し、俺はチラリとルイの方を見る。

 スマホを見つめている横顔は確かに谷崎の言う通り、芸術品のように整っていて透明感がある。


「確かに、俺もすごく美人だと思う」

「――っ」


 途端、ルイの肩がピクッと反応した。


 ……あれ? もしかして聞こえてた……?


 谷崎に合わせて小声にしたつもりだったけど、どうやらルイのところまで声が届いてしまっていたらしい。視線も向けてるので、たぶんルイのことだと完全に伝わっている。


 でもまあいいか。

 本当のことだし。


 そう結論し、俺は谷崎の方を向いて話を戻す。


「それで会話が続かない時の対策だけど」

「あっ、そうだったそうだった! 教えてくれ、マイ策士」


 いつの間にかお兄ちゃんから策士に変わっているけど、とりあえずスルーして続けた。


「手を繋げばいいんだよ」

「手……?」


「そう、手。恥ずかしかったら指でもいい」

「いや……それだと会話自体は続かないままじゃね?」


「うん、だから距離を縮める第一歩って感じかな。指や手を繋いでると、不思議と気持ちが伝わって、話してなくても気持ちが繋がってる感じになるんだ」


「あーなるほど、そういうことか」


 谷崎は腕を組み、納得顔になった。


「うん、言わんとしてることは分かる」

「でしょ?」

「さすがだなぁ」


 谷原は心底感服したという表情で膝を叩いた。


「さすが北原が『一番信頼してる女子』の意見だ」

「――っ」


 ピクッとまたルイの肩が反応した。

 ……ああ、聞こえちゃったか。

 さすがに今のはちょっと恥ずかしい。


 谷崎から相談を受けた時、俺は自分では答えを出せなかったので、『一番信頼してる女子にちょっと意見を聞いてみる』と言い、待っててもらったのだ。


 もちろんその女子とはルイのことである。


「ちなみにこの対策って、北原の知り合いの女子の体験談なん?」

「あー、うーん……」


 ちょっと返事に困った。

 ルイの体験談ではあると思う。


 でもこの対策を教えてくれた時、『家で昨日考えてきた』と言っていたので、初めて実践した相手は俺ということになる。


 なので、ちょっと説明が難しい。


 体験談ではあるが、考えたのは体験する前のことで、でも実際のところ今朝一緒に体験したので、体験談と言ってもいいだろうし……。


 そんなふうに悩んでいたら、途端に谷崎が不安そうな顔になってきた。


「な、なあ、大丈夫なんだよな? この対策って効果が実証されてるんだよな? いざ彼女の手を握ってみたら大惨事とか……本当に困るんだけども」


「それは大丈夫」


 不安にさせたことを申し訳なく思い、俺は力強く頷いた。


「効果は俺も実際に体験してる。一発で気まずさがなくなって、一緒に登校してる時間がすごく楽しいものになったよ。だから安心してくれ。俺、あんなに幸せな気持ちで登校したの、初めてだったよ」


「え?」

「ば……っ」


 谷崎が目を点にした。

 ルイも思わず腰を浮かせていたが、谷崎の目には入らなかったようだ。


「北原も体験してる……? それってどういう……うおっ!? 水野さん!?」


 ルイが立ち上がりかけていることに気づき、谷崎は思いっきり仰け反った。

 同時にさらなる驚きによって、「へ?」と目を皿のように見開く。


 それもそのはず、谷崎の正面にいるルイは顔が真っ赤だった。

 あの水野瑠衣るいのこんな表情、俺以外のクラスメートは見たことがないはずだ。


 おかげで谷崎は大いに混乱している。


「なんで水野さんがそんな顔してるん……? あ、そういえばサッカー部の奴が朝、水野さんが男と手だか指だか繋いで登校してた、って噂してたけど……え、あれ?」


 その頭上に巨大なハテナマークが浮かんでいるのが見えた気がした。


「手とか指を繋ぐのは北原が教えてくれた対策で、水野さんも朝それやってたって噂があって、しかも北原も体験済みって……え? え? え?」


 谷原が混乱する一方、ルイは恥ずかしさを堪えるように「…………」と無言でこっちにジト目を向けてきていた。あー……と俺は胸中でうなり、これまた無言で思案する。


 噂になるかもと思ってはいたけれど、まさか本当に朝の登校が噂になっているとは。


 しかし俺は谷崎に対して、隠しごとをしたいとは思ってない。

 ルイの気持ちも確認する必要はあるけれど、ひょっとしてこれは……友達に彼女を紹介するターン、なんだろうか?

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