17 これから彼女とエッチな話をします


「いざ始まっちゃった時、こんなことしたいとか、こんなことして欲しいとか……ガチのエッチ話、してみる?」


 朝の通学路。

 付き合っている彼女からそんな提案をされ、俺は心底狼狽した。


 ガ、ガチのエッチ話……!?


 もちろん『いざ始まっちゃった時』というのは、なんの比喩でもない。

 大人な意味の、つまりはそういうことだ。


 ちなみに提案してきた彼女――ルイも決して冷静じゃない。

 頬を紅葉のように染め、完全にパニクっている。


 ここで変に逃げようとしたら、きっと彼女に恥をかかせることになってしまう。

 覚悟を決め、俺は大きく頷いた。


「い、いいよっ」


 めちゃくちゃ声が上擦った。

 やばい、緊張してるのが丸わかりだ。


「あ、で、でもこのまま立ち止まってると遅刻しちゃうから、歩きながら話そう」


 冷静さを装って、彼女を促した。

 ルイもぎこちなく「ん」と頷き、一緒に歩きだす。

 

 そうして若干の時間を稼いで、俺は頭をフル回転させる。


 エッチ話って何を話せばいいんだろう。

 こんなことしたいとか、こんなことして欲しいとか、本当にそんな具体的なこと言っちゃっていいのか……?


 自慢じゃないけど、俺は女子と性的な話なんてしたことがない。


 尋常じゃなく緊張する。

 でもどこか高揚している自分もいた。


 こんな時は彼氏の方から口火を切るべきだろう。

 まだ考えはまとまってないけれど、意を決して、俺は口を開く。


「えっと、たとえばなんだけど――」

「あたし、要望があります!」


 突然、ルイが授業のように手を上げた。

 どう見ても表情がいっぱいっぱいだから、ふざけてるわけじゃない。


 きっとどう切り出すか悩みに悩んで、その結果、挙手になったのだろう。


 変にツッコむのは野暮だと思う。

 だから教師のようにルイを指名することにした。


「はい、水野みずのさん、どうぞ」

「え、えっとね……」


 手を下ろし、ルイは顔色を窺うようにこっちを見上げてくる。


「……確認だけど、これ、ガチトークでいいんだよね? 涼介りょうすけ、あたしが何言っても引かないよね?」


「引かない。もちろん引かない。ルイが言うことに俺は引いたりしないよ」


「約束だからね?」

「約束します。俺は絶対引きません」


 ルイの必死な様子に引っ張られ、俺は大真面目に頷いた。

 彼女はそれを見て、もごもごと口を動かす。


「じゃ、じゃあ、言うね……?」

「う、うん」


「この先、あたしと涼介が始まっちゃった、その時は……や、優しくしてほしいです」

「優しく?」

「うん」


 ルイは恥ずかしそうに俯いた。

 前髪で目元が隠れ、朱に染まった頬だけを見せて、彼女は囁く。


「そういう経験、ぜんぜんないし。あたし、涼介が……初めてだから」

「――っ」


 衝撃的な告白だった。

 度肝を抜かれ、反射的に狼狽えてしまう。


 するとルイが俺のリアクションに気づき、拗ねたような眼差しが向けられる。


「なんで驚いた顔してるの? まさかあたしのこと、遊んでる女だと思ってた?」

「お、思ってない思ってない! ただ……」


 慌てて弁解する。

 弁解というか、本音だけれど。


「……元カレの一人や二人は覚悟してたんだ。ほら、ルイって……本当に美人だから」

「び……!?」


「一年の時は男子の気配なんてなかったけど、中学時代は俺も知らないしさ。正直、元カレぐらいいてもおかしくないと思ってた。ルイぐらいきれいで可愛かったら、当たり前だと思うし」


「き……!? かわ……!?」


「ルイ? どうしたの?」

「もー、ばか! 涼介のばかっ」


 なぜか真っ赤な顔でブレザーを引っ張られた。

 あ、伸びちゃう伸びちゃう。


「元カレなんていないし! あたし、好きな人以外と付き合ったりしないし! あたしが好きになったのは人生で……涼介だけだもん」


 赤い頬を膨らませ、責めるような眼差し。

 責められているのに、こっちは嬉しくてつい頬が上がってしまう。


「ちょっと、なに笑ってるのよ?」

「ごめんごめん」


 口元を押さえ、俺は照れくさくて明後日の方を向く。


「大変、光栄です、はい」

「なんで目逸らすの? 本当にそう思ってる?」


「思ってる、思ってる。なんなら生まれてきて良かったってぐらい、光栄に思ってるから」

「だったらいいけど……」


 俺が照れてることはルイにも伝わっている。

 だから「もー」とだけつぶやき、彼女はほのかに笑った。


 そして俺の袖を摘まんだまま、ルイは少しだけ身を寄せてきた。

 内緒話のような囁き声がそっと耳に届く。


「……だから優しくしてね? やっぱり初めてはちょっと怖いの。でもちゃんと涼介にあたしの初めてあげたいから……優しくエスコートしてほしいの」


 男として背筋が伸びる思いだった。

 正直、俺も女性経験はない。


 だけど、この美人で可愛くて健気な彼女の初体験を絶対に良い思い出にしてあげたい。


 そんな使命感が胸から溢れてきた。


「任せて。絶対に優しくするし、間違ってもルイに嫌な思いなんてさせない。いきなりオオカミになって暴走したりもしないから。誓うよ、俺」


「あ、でもそれは嫌かも」

「えっ」


 俺に軽く寄り掛かりながら、ルイは思案顔をする。


「あたしの胸に夢中になってる涼介見るの、結構好きなのよね。初めての時、あれが見られないのはちょっと嫌かも」

「ええー……」


 そんなこと言われたら非常に困る。

 だってルイの胸にやられてる時の俺は、なんていうか、理性を失ったオオカミに近い。


 あれが表に出ていたら、きっと冷静じゃいられないはずだ。

 というこっちの気を知ってか知らずか、ルイはもじもじと言葉を続ける。


「それにほら、始まっちゃった時のあたしって……は、裸にされちゃうんでしょ?」

「お、俺に聞かれても!?」


 一瞬、想像してしまいそうになった。


「涼介に聞かないで誰に聞くのよ?」

「う……た、確かに」


 それはそうだ。

 その通りだ。


「もう一度聞くからね? 始まっちゃったら、あたし……涼介に裸にされちゃうんでしょ?」

「……う、うん。する。俺はルイを裸にする」


「…………」

「…………」


 すごく恥ずかしい空気になった!


 どうにも耐えられない。

 俺たちはどちらともなく明後日の方を向く。


「やば……いざ宣言されると、なんかすごい実感しちゃう。あたし……涼介に裸にされちゃうんだ」


「言わせたのはルイだからね? 俺はするよ。ルイを脱がして裸にする」


「ぬ、脱がすまで言わなくていいからっ。……ああもう、なんの話だっけ?」


 しどろもどろになりつつ、ルイはどうにか「あ、そうそう」と話を戻す。


「だから、始まっちゃった時って、あたし……裸でしょ? そのあたしを見て、涼介が冷静だったら……たぶん、女子としてちょっと傷つく」


「ああ、なるほど……」


 言わんとしていることはなんとなく分かる。


「ぶっちゃけ、涼介にはめちゃくちゃ興奮してほしいの」

「や、それは……するよ? 100パーセント興奮するよ、俺」


「ほんと?」

「もちろん。優しくするために冷静になろうとはするだろうけど、本心はオオカミだから」


「オオカミなの……?」

「オオカミです」

「そうなんだ……」


 なぜかびっくりされてしまった。

 しかしちょっと考えるような間を置くと、ルイは何か納得したような表情になる。


「そっか、そうよね……涼介って普段淡白だからそんな感じしないけど、ハグした時はすごく男子な感じになるし、本当はオオカミなんだ……」


「……えっと、噛み締めるように言われるのも、なんか居心地悪いんだけど」


「でも、そうよね、だったら……」


 ふいにルイが勢いよくこっちを向いた。

 そして、とんでもないことを言ってくる。


「あたし、涼介にはオオカミでいてほしい!」

「えっ!?」


「変に遠慮なんてしてほしくない! 始まっちゃった時はオオカミな涼介で来て! あたし、ぜんぶ受け止めてあげたい!」


「や、待って待って! 気持ちは嬉しいけど……それだと優しくできないよ!? 俺が冷静じゃないと、ルイが痛い思いするじゃないか……っ」


「あっ、そっか、そうよね! んん、でも……っ」


 ルイは真剣な表情で悩み始める。

 でも悩ましいのは俺も同じだ。


 ルイの初めてを良い思い出にしてあげたいという気持ちは揺るがない。

 一方で俺が変に遠慮したら、きっとルイはそれを気にしてしまうだろう。


 二人でちゃんと幸せになるには、どうしたらいいんだろう。


 悩みに悩んで――俺は唐突にハッと気づいた。


「そうだ、段階を踏めばいいんだ!」


 俺は希望を見つけた目でルイに言う。


「最初はやっぱり冷静に優しくするよ。それでルイが慣れてきたら、オオカミになって夢中になるよ。これでたぶん上手くいくと思う」


 我ながら名案だと思った。

 しかしルイは意味がわからなかったらしい。

 大きな目をぱちくりと瞬く。


「あたしが慣れるって……どういうこと? どういう状態?」

「つまり始まってから時間が経って、ルイがだんだん俺の動きに慣れ……あっ」


 言葉の途中で気づいた。

 自分がとんでもなく生々しいことを言っていると。


「動き? んー、よくわかんない。涼介の動きって……あっ」


 ルイも気づいた。

 俺の話のなかで、自分がとんでもない状態になっていることを。


 目が合った。


「涼介の動きって……そ、そういうこと?」

「…………ごめん、そういうこと」


「そ、そっか」

「うん」


 一瞬の静寂。

 でも次の瞬間だ。


 見つめ合ったまま、二人の頬が秒でカァァァァァッと赤くなった。


 ダメだ。

 無理だ。

 これは耐えられない。


 俺たちはしゃがみ込んで同時に悶絶する。


「~~っ」

「~~っ」


 白状します。

 人生で一度も味わったことがないくらい――恥ずかしい空気になりました。

 


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