16 ハグの翌日、案の定、恥ずかしい空気になった話

 ルイにハグで甘やかされた翌日。

 俺は朝の通学路を歩きながら、とても追い詰められていた。


 マズい。

 これはマズいぞ……っ。


 昨日からずっとルイのことが頭から離れない。

 自分の胸板にルイの柔らかい胸の感触が残っている気がする。


「こんな状態でどんな顔してルイに会えばいいんだ……っ」


 そうやって悩んでいるうちにいつもの待ち合わせ場所に着いてしまった。


 喫茶店の裏の駐車場前。

 朝の陽射しが差し込むなか、黒髪の美少女が凛と立っている。


 ルイが気づいて、こっちを見た。

 視線が合った途端、俺の彼女は花が咲いたように表情が明るくなった。


 可愛い。

 めちゃくちゃ可愛い。


 おかげでさらにどんな顔をしていいか分からなくなった。


「おはよ、涼介っ」

「ん」


 ルイが嬉しそうに手を上げ、俺は浅く頷くと――そのまま彼女の前を素通りしてしまった。


 駄目だ。

 どうしてもルイのことを直視できない。


「涼介?」

「ん」


「どうかしたの?」

「なにが?」


「なにがって……あ、もしかして」


 背後でにやーと笑う気配がした。

 ルイが小走りで追いかけてくる。

 かと思うと、いきなり俺の顔を覗き込んできた。


「りょーすっけっ君!」

「――っ」


「ねえねえ、涼介君? こっち向いて?」

「……や、今はちょっと」


「なんで? ねえねえ、こっち向いて?」

「……な、なんでとかではないんだけども」


「彼女がお願いしてるのに? それでも彼女を見てくれないの?」

「う……っ。分かってる。分かってはいるんだけど」


 逆側を向いても、素早く回り込んでくる。

 その度に黒髪からシャンプーの匂いが舞って、こっちは頭がどうにかなりそうだ。


 あとわざとらしい『君』付けにもなんだかドキドキしてしまう。

 そんなやり取りをしていると、とうとうルイが噴き出した。


「涼介、昨日のあたしと一緒じゃん!」


 はい、その通りです。


 昨日はルイが髪撫でのせいで、俺の顔を見られなくなっていた。

 そして今日は俺がハグと胸によって、ルイの顔を見られなくなっている。


 すべてお見通しの顔で笑い、ルイは実に楽しそうだ。


「昨日からずっとあたしのことで頭いっぱいなのね?」


 こうなってはもう白状するしかない。

 俺は足を止めて「仰る通りです……」とうな垂れる。


 しかしルイのニヤニヤは止まらない。


「分かる分かる。ご飯食べてても、お風呂入ってても、スマホいじってても、ずっと忘れられないのよね?」


「仰る通りです……」


「そんな感じで一晩過ごしちゃったから、朝にはもう意識しまくっちゃってるのよね?」


「仰る通りです……」


「意識し過ぎてテンパっちゃって、逆に塩対応な挨拶になっちゃうのよね?」


「仰る通りです……」


「あははっ、涼介、可愛い♪」

「俺は穴があったら入りたい気分だよ……」


 思わず頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。


 彼女から俺への解像度が高過ぎる。

 何もかも見透かされてしまい、恥ずかしくて仕方ない。


 だがルイのニヤニヤはまだまだ止まらなかった。


 彼女はスカートを畳んで俺の横へしゃがみ込んでくる。


 そしてブレザーの影に隠れて俺にしか見えない角度で、自分の胸を――ふにゅっと持ち上げて見せた。


「そんなにあたしの胸が気に入ったんだ?」

「ちょ――!?」


 ルイは着痩せするたちだ。

 持ち上げられた途端、胸がびっくりするほどの自己主張を見せた。


 手のひらから溢れそうなほどの大きさ。

 指の間からこぼれそうなほどの柔らかさ。


 さらにはシャツが伸びたことで、ブラの刺繍が薄っすらと浮かんでいる。


 俺だけに見せてくれる、秘めやかな聖域。

 目が離せなくなり、血圧も上昇してしまう。


 途端、ルイが盛大に噴き出した。


「やばっ。涼介、顔真っ赤ー! マジウケる!」

「しょ、しょうがないじゃないか……っ」


「駐車場に戻って、登校前にちょっとあたしのことハグってく?」

「ハグって!? え、な、なんで……っ!?」


「なんでって……昨日、涼介も髪撫でてくれたじゃん。車と車の間に隠れて」

「そ、それは確かにしたけど……っ」


「だからあたしもさせたげる。したいでしょ? ハグ」


 強調するようにルイがグッ背中をそらすと、胸がふにゅんふにゅんと大きく揺れた。


 したい。

 すごくしたい。


 させたげる、だなんてとても大胆な発言なのに、ルイはまるで当たり前のように言っている。


 つまりこれはイジリじゃない。

 ルイは純粋な気持ちで『涼介がハグしたいだろうからさせてあげよう』と考えている。


 そんな彼女の善意に対し、俺は――。


「だ、駄目だ! さすがによくないっ」


 断腸の思いで立ち上がった。

 ルイも首をかしげつつ、立ち上がってくる。


「よくないの?」

「よくない。今の俺、ルイのことをすごくヤラしい目で見てる。だからよくない」


「別にエロい目で見ていいってば。ってか、あたしも今、涼介をそんな気分にさせようとしてたし。からかい半分だけど」


「ちょっとからかわれただけで、ヤラしい気持ちが100パーセントになっちゃう自分が情けないんだ。これはよくない状態だ」


 うん、そうだ。

 俺は今、正しいことを言っている。


「ハグする時は、せめて純粋な気持ちとヤラしい気持ちが50対50ぐらいじゃないと。そうじゃないと、俺が俺を許せない」


「ふーん。なんか男子って難しいのね」


 よく分からないという顔をしつつ、ルイは「まあ、涼介がいいなら、あたしもそれでいいよ」と理解を示してくれた。


 ありがたい。

 正直、理解ある彼女に感謝の念を禁じ得ない。


 そうして心から感謝していると、ふいにルイが「あ、そうだ」と声を上げた。


「ハグといえば……あたし、ちょっと考えてたことがあるの」

「考えてたこと?」


「そ。次、ハグする時なんだけど……あ、もちろん涼介がフィフティ・フィフティの時でいいんだけどさ」


 そして。

 ルイは驚くべき提案をしてきた。


「あたしがハグしてあげつつ、同時に涼介が髪を撫でてくれる、ってどう?」

「……っ」


 俺は瞬時にその光景を想像し、絶句した。

 しかしルイは『名案でしょ?』という顔をしている。


「涼介はあたしの胸で甘えられるし、あたしも涼介に撫でられて甘えられるし、二人一緒に甘々できて最高じゃない?」

「…………」


 なるほど、ノーベル賞並みの名案かもしれない。

 ただ、ルイの案には一つ大きな穴がある。


 俺はルイにハグされると、だいぶ理性が溶けてしまう。

 ルイも俺に撫でられると、一気にトロトロになってしまう。


 だから――。


「それ……始まっちゃうんじゃないかな?」

「始まる? って、なにが…………あっ」


 気づいたみたいだ。

 ボォッと燃えるようにルイの頬が赤くなった。


 視線をさ迷わせ、彼女はしどろもどろで身じろぎする。


「た、確かに……始まっちゃうかも。あたしも涼介も甘えてるとおかしくなっちゃうし……歯止め効かないかもね」


「……うん、たぶん」

「キ、キスもしてないのに……は、始まっちゃうのはマズいよね」


「やっぱり、その……どっちかは正気でいた方がいいと思うんだ」

「お、おっけ。涼介の言う通りだと思う」


 …………。

 …………。

 …………。


 ものすごく恥ずかしい空気になった!


 たぶん始まる過程をリアルに想像できてしまったせいだろう。

 俺もルイも顔を赤らめ、お互いに視線を合わせられない。


「…………」

「…………」

 

「……とりあえず、学校行く?」

「……行く」


 どうにか俺の方から促し、歩き始めた。

 けど、やっぱりめちゃくちゃ気恥ずかしい。


 いつもならすぐに手を繋ぐところだけど、さすがに出来ない。

 ルイも黒髪を指でいじって落ち着かない様子だ。


「……ご、ごめんね。あたしのせいでなんか変な空気になっちゃって」

「いやいや、そもそも俺も朝からルイを意識してたし」


「あーもう、顔熱い。どうすればいいの、これ」

「考えないようにする……のは無理か。たぶん俺も出来ないし」


「じゃ、じゃあ……逆にフランクにしてみる?」

「フランク?」


「ほら、あたしたちって彼氏彼女だし? そういう話しても変ではないじゃない? あたしも涼介の趣味とか知りたいし、男子とそういう話をしたことないから興味あるし」


 途中から気づいた。

 ルイの表情に余裕がない。

 彼女は完全にテンパっている。

 

 そして混乱の渦のなか、ルイはとんでもない提案をしてきた。


「いざ始まっちゃった時、こんなことしたいとか、こんなことして欲しいとか……」


 照れくさそうな顔で視線を逸らして。

 どうにも気恥ずかしい空気のなか。

 桜色の唇が囁く。


「……ガチのエッチ話、してみる?」

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