10 彼女の髪を撫でて、ひたすらに甘やかす話
――あなたにいっぱい……甘えていい?
すがるようにそう言った彼女に対して、俺は大きく頷いた。
夕暮れ時の公園。
ベンチに座ったまま、俺はルイに言う。
「好きなだけ甘えて。俺になにしてほしい?」
「……分かんない」
俺の制服の裾を摘まみ、ルイは戸惑うように視線をさ迷わせた。
「だって、今まで誰かに甘えたことなんてなかったから……。自分でもどうしてほしいか分かんないの」
「だったら……」
少し考え、俺は空いている方の手を掲げてみせる。
「髪を撫でてあげようか?」
「――っ」
ピクンッとルイの肩が跳ね上がった。
見るからに動揺している。
「え、えと……」
「あ、髪は嫌だった?」
「じゃ、じゃなくて……っ」
恥ずかしそうに彼女は俯き、消え入りそうな声でつぶやく。
「……あり、だなって」
「ありなんだ」
良かった。
それなら何よりだ。
「じゃあ、触るよ?」
「……うん」
ルイは明らかに緊張していた。
俯き加減のまま、ぎゅっと両目を閉じている。
正直なところ、緊張してしまうのは俺も同じだ。
なんせ付き合っている彼女の髪である。
小3の妹にせがまれて髪を結ってあげる時とはワケが違う。
それでもしっかりしないといけない。
彼女が安心して甘えられるように、ここは彼氏がちゃんとするところだ。
絹糸のように繊細なルイの髪。
そこへそっと指を差し込んでいく。
「……あっ」
ルイの肩がまた跳ねた。
俺はすぐに指の動きを止める。
「平気?」
「……っ。……っ」
言葉での返事はこなかった。
ルイは無言でしきりに頷いている。
俺は髪に絡ませるように指を滑らせ、柔らかく彼女を撫でた。
「んン……っ」
「平気?」
もう一度、尋ねた。
薄く瞼を開き、今度は返事がくる。
「……大丈夫。なんか……気持ちいい」
「良かった。じゃあ、続けるよ?」
ゆっくり、ゆっくり。
感触を確かめるように、ルイの髪を撫でる。
すると次第に彼女の表情から硬さが消えてきた。
肩の力も抜け、うっとりとした様子で俺に体を委ねてくれる。
「ねえ……
「ええ? そんなこと初めて言われたよ」
「じゃあ、あたしがチョロいのかな……」
「どうして?」
「だって、なんか……」
撫でていない方の手をルイがぎゅっと握ってきた。
「あたし、もう……涼介がいないとダメになっちゃいそう」
俺は優しくルイの手を握り返す。
「それは別に構わないんじゃないかな?」
「いいの……?」
「俺、ルイの彼氏だし。問題ある?」
「またこうやって撫でてほしがるかも」
「いつだって撫でてあげるよ」
「そのうち撫でてくれるだけじゃ満足できなくなるかも……」
「たぶんそれ、俺にとっても嬉しいことじゃない?」
「じゃあ、あとは……そう、あとは……」
甘えてはいけない理由を彼女は探しているようだった。
それが分かったから、もう少し踏み込んでみようと思った。
撫でている手で優しく彼女を押し、俺はルイを自分の肩へと抱き寄せる。
「おいで」
「――っ!?」
まるで雷に打たれたように彼女は震えた。
でもそれが嫌なものではないことは、触れた手のひらから伝わってくる。
ガラス細工を扱うように丁寧に撫でつつ、俺は彼女の耳元で言う。
「淋しかったんだよね」
「……っ」
「ずっと甘え方を知らなかったから、今はちょっと戸惑っちゃってるだけだよ。でも怖がらなくていいんだ。ルイが全身で寄り掛かってきても、俺がちゃんと支えるから」
だから、と続ける。
「好きなだけ甘えて。俺はそれが嬉しいんだ」
「もう……っ!」
次の瞬間、ルイはまるで子供のようにしがみついてきた。
「無理っ、マジ無理! あたし、ダメになっちゃった。今ので涼介がいないとガチでダメな子になっちゃったぁ……っ! もうっ、涼介のばかぁ……っ」
「あはは、ごめんごめん」
「許さない! 毎日甘えさせてくれないと、もう絶対許さないからぁ!」
「毎日? ぜんぜん余裕だけど?」
「ムカつくー! なんかすごい負けたみたいでムカつくー!」
「やった、俺の勝ちー」
「もう……っ! 撫でて! もっと強めに撫でなさい!」
「はいはい。こうかな、お姫様?」
「よろしい!」
よろしかった。
怒ってるのにご満悦で、そんなちぐはぐな姿がなんだかやたらと可愛らしい。
ルイは俺の肩へおでこをすり寄せてくる。
さっきまで怒っていたのに、一転して今度はちょっと涙声になっていた。
「……ねえ、涼介」
「なんだい?」
「…………好き」
「――っ。うん、嬉しいよ」
「本当よ? 本当に好きなの」
「俺もだよ。ルイが好きだ」
「ううん、たぶんあたしの方がずっと好き」
「いやいや俺も負けてないよ?」
「あたしの方が好きだもん」
「俺だね。俺の方が好きだ」
「……あたしたち、すごい恥ずいこと言ってる」
「確かに」
「あのね、今日のあたしのこと……忘れてね。こんなふうに涼介に甘えちゃって、明日の朝、どんな顔していいか分かんないから」
「え、やだな。もったいない」
「だめ。忘れるの。じゃなきゃもう甘えてやんない」
「……しょうがない。分かったよ。明日の朝は何食わぬ顔で待ち合わせ場所にいく」
「ん、そうして。代わりに……」
彼女の吐息が首筋に当たる。
もう誰もいない公園で。
鮮やかな夕焼けに照らされて。
ルイはとろとろのチョコレートのように甘く囁く。
「今日はもうちょっとだけ……甘えてたいの」
断る理由なんてない。
俺は返事の代わりに手のひらを動かす。
そうして。
ルイが十分に満足するまで、彼女の髪を撫で続けた。
それはとても幸せな時間で、明日からもずっとこんな日々が続くのだと、心から信じられる時間だった。
ああ、でも。
一つだけ、心配なことがあるとすれば。
……明日の朝、俺は大丈夫だけど、ルイは何食わぬ顔で来られるかなぁ。
絶対、恥ずかしがって悶絶してる気がする。
彼女を甘やしながら、俺はそんなことを考えて、ついつい笑ってしまった。
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