11 登校前に甘えられ、今度は俺がメロメロになってしまう話

 ルイと公園で寄り道をした、翌日。

 朝の爽やかな空気を感じながら、俺は喫茶店の裏の駐車場前にやってきた。


 ここはルイと一緒に登校する時の待ち合わせ場所だ。


「よし、今日は俺の方が早かったみたいだな」


 スマホで確認すると、約束の30分前。

 まだルイの姿はない。

 前回はルイの方が先にいたから早くきた甲斐があった。


 ちなみに家を出る時、中3の妹から『……なんか昨日今日と家出るの早くない? まさか女でも出来たんじゃないよね?』と言われてしまった。


 彼女が出来たことはまだ家族には言っていない。


 隠すようなことじゃないけど、思春期の妹たちのことを考えると、なかなかタイミングが難しいのだ。


「でもそのうちルイに家族を紹介したいなぁ……」


 などと思っていたら、通りの角からびっくりするぐらいの美少女がやってくるのが見えた。


 肩先まで揃えられた、きれいな黒髪。

 朝日に映える、宝石のように美しい瞳。

 モデルと見間違うくらい、均整の取れたスレンダーなスタイル。


 水野みずの瑠衣るい

 家族に自慢したいくらい可愛い、俺の彼女だ。


「ルイ、おはよう。今日は俺の勝ちだね」

「ん」


 あれ?

 妙にルイの反応が鈍い。


 てっきり『どっちが早いかの勝負なんてしてないでしょ』とでも返してくれると思ってたのに、浅く頷いただけだ。


 それどころか、ルイは俺の前を素通りしていく。

 しかも完全な無表情。


 挨拶をした時に手を上げていたんだけど、俺はその姿勢のまま彼女が横切っていく姿を目で追うしかなかった。


「ルイ?」

「…………」


 あ、立ち止まった。

 俺が挙手の姿勢で固まっていると、背中越しに彼女は言う。


「行かないの? 学校」

「ああ、うん、行く行く」


 とりあえず頷きつつも、俺は動かない。

 なんとなくだけど、ルイの様子が変だ。

 これは確認してみるべきだと思う。


「ルイ、こっち向いてほしいな」

「なんで?」


「顔見たいから」

「……………………やだ」


 確定。やっぱり変だ。

 俺は自分のあご先に手を当てて、「ふむ」と思案する。


 ……どうやら予想が的中しちゃったみたいだな。


 ルイが妙に挙動不審になっている理由について、俺は心当たりがあった。


 昨日、寄り道した公園での事である。

 噴水前のベンチで俺はルイの髪を撫でて、ひたすらに甘やかしてあげた。


 誰かに甘えることに慣れていない彼女は、もうびっくりするぐらいトロトロになってしまった。


 最終的に『今日のあたしのこと忘れてね』とお願いをされ、俺もそうするつもりだったのだけど……ひとつ懸念があった。


 俺よりもルイの方が忘れられないんじゃないか。

 朝、何食わぬ顔で会うことが出来ないんじゃなかろうか。


 と思っていたのだけど、どうやらその通りになってしまったらしい。

 これはなんとかしないといけない。


 俺は小走りで駆け寄り、彼女の顔を覗き込む。


「ルイー?」

「……やだ」


「ルイー?」

「……やだってば」


「ルイルイー?」

「……なんなのもうっ」


 しつこく覗き込もうとしていたら、彼女の方が根負けして噴き出した。

 笑顔で体を押され、思わずこっちも頬が緩む。


「やっと笑ってくれた」

「そんなにしつこく絡まれたら笑うってば」


「だってなかなか俺のこと見てくれないから」

「それは、だって……」


 途端、ルイの頬が朱に染まった。

 彼女はしどろもどろになりながら視線をさ迷わせる。


「どうしても昨日のこと思い出しちゃうから……」

「忘れるんじゃなかったっけ? 俺は頑張ってそうしたのになぁ」


「あ、あたしだってそうしようとしたし!」


 甘く握った手で俺をぽかぽか叩きながら、赤い顔で猛然と言い募ってくる。


「でもダメだったのー! 家帰ってご飯食べてもお風呂入っても寝ようとしても、ずっと涼介りょうすけが撫でてくれた時のこと考えちゃうし! 今だっていつも通りにしようとしたのに、逆になんか意識しちゃうし! ぜんぜんダメなのー!」


「うん、分かってた」

「分かってたなら合わせてよ!?」


「ええっ、合わせるってどうするのさ?」

「あたしが変でも、変じゃないふうに扱って!」


「また難しい注文を……」


 恐るべき理不尽さだった。

 でもその理不尽さが逆に可愛い。


 ルイは気づいているかどうか分からないけど、無茶を言うってことは、それだけ俺に甘えてくれてるってことだから。


「分かった。じゃあここからはルイがどんなふうでも普通に接する」


「よろしい。お願いします」

「かしこまりました」


 妙に丁寧に言い合い、頷き合った。

 するとルイはもじもじと身じろぎし、とても小さな声で言う。


「じゃあ、あの、早速なんだけど……変なこと頼んでいい?」

「変なこと?」


 思わず『どんなこと?』と尋ねそうになり、慌てて口をつぐんだ。


 ルイが変な感じになってても、普通に接する。

 そういう約束だ。

 だから、みなまで聞かずに頷く。


「いいよ。なんでも言って」

「……ありがと」


 か細く言い、彼女は恥ずかしそうに俯いた。

 

「えっと、それじゃあ……ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから……学校いく前に……」


 俯いたまま、耳まで赤くして囁く。


「……また撫でられたい」


 うわ、可愛い。

 予想外の不意打ちにクラッとしそうになってしまった。


 変なことなんて言うから、どんな無理難題がくるのだろうと思ったら、すごく可愛いお願いだった。もちろん彼氏としてはお安い御用だ。


「ぜんぜんいいよ。あ、でもここだと……」


 人の少なかった公園と違い、一応ここは通学路だ。

 いつ誰が通るか分からない。


 するとルイは俺の制服の裾をちょこんと摘まんだ。


「こっち」

「え?」


 引っ張られるまま、小走りで駆け出す。

 連れてこられたのは喫茶店の裏の駐車場のなか。


 停まっている車と車の間で、俺たちはかくれぼの子供のようにしゃがみ込んだ。


「ここならちょっとの間なら平気でしょ?」

「ああ、確かに……」


 見つかったら怒られてしまうかもしれないけど、車道からは死角になって見えない位置だ。これならちょっとぐらいは大丈夫だろう。


 それにしても……。


 ふと思い、俺はつい笑ってしまった。


「ルイに路地裏に連れ込まれちゃったよ」

「ちょ、言い方っ。それに路地裏じゃなくて車の間だし!」


「あんまり変わらなくない?」

「気持ち的には変わるの。路地裏だと、なんかあたしが涼介を襲おうとしてるみたいじゃん」


「言われてみれば、それは困る。彼氏の沽券に関わる」

「でしょ?」


「うん。俺は襲われるんじゃなくて、ルイを甘やかしてあげなきゃいけないからね」


 そう言い、ルイの髪へと指を滑らせる。

 途端、小さな吐息がこぼれた。


「あ……」


 柔らかく、優しく、撫でていく。

 すると見る間にルイの表情がふにゃふにゃになってきた。


 さっき俺の前を無表情で素通りした時とは、えらい違いだ。


「これをして欲しかったんだよね?」

「……うん……そう……昨日からずっと忘れられなくて……」


「気持ちいい?」

「気持ちいい……それに涼介の手が優しくて、すごく……安心する」


 身を委ねるようにルイがしなだれ掛かってきた。

 しゃがんでるからちょっと難しかったけど、どうにか受け止める。


 ルイは俺の肩におでこを押し当て、甘く吐息をはいた。


「好き……」

「俺も好きだよ」


「……あたし、ヤバいかも。もう頭のなか、涼介でいっぱい」

「同じだ。俺もずっとルイのこと考えてる」


「涼介になら……もう、何されてもいいや」

「…………」


 一瞬言葉が出ず、つい押し黙ってしまった。

 するとすぐさまニヤニヤしたツッコミがくる。


「今、ちょっとエッチなこと考えたでしょ?」

「す、すみません」


「しょうがないなぁ、男子は」

「じゃ、じゃあ女子はそういうこと考えないの?」

「…………」


 少し沈黙があった。

 数秒して、肩の辺りから囁きが届く。


「……考えるかも」


 考えるのか。

 そっか、考えちゃうのか。


 また黙ってしまいそうになり、俺は慌てて言葉を繋ぐ。


「へ、へえ。たとえば、どんな時?」

「たとえば……」


 上目遣いの瞳が見つめてくる。

 答えはとても端的で、そして衝撃的だった。


「今とか?」

「――っ」


 心臓が飛び跳ねそうになった。


 い、今?

 ルイは今、ヤラしい気分になってるってこと!?

 

 さすがに動揺していると、「ふふ」と楽しそうに彼女が笑う。


「涼介、ドキドキしてる?」

「しないわけがないでしょ……」

「やった」


 ルイは俺の肩へと、まるで子猫のように頬をすり寄せてくる。


「涼介に撫でてもらうの、すごく気持ちいいし、嬉しいけど……平然と撫でられるのは嫌なの。あたしは妹じゃないから。だからあたしを優しく撫でながら、涼介はずっとドキドキしてて?」


「それ、ヤラしい意味のドキドキでもいいの……?」

「いいよ」


 細い手をまわし、ルイが腕を組んできた。


 胸が――当たりそうになった。

 当たらなかったけど、当たるかと思った……っ。


 密着しそうで、していない、絶妙な距離。

 そんな位置からルイが甘く囁く。



「あたし、あなたの彼女だもん。あなたに何されても許しちゃう子だもん。だからいいよ?」



 すごいことを言われた。

 心臓が保たない。もう破裂してしまいそうだ。

 しかしルイの言葉は止まらない。


「大好きって意味でも、エッチしたいって意味でもぜんぜんいい。ぜんぶの気持ちであたしにドキドキして?」


 や、もう本当に……言われるまでもない、というのはことのことだと思う。

 頭がクラクラして鼓動も鳴りやまない。

 本当にどうにかなってしまいそうだ。


 昨日の公園では冷静に撫でてあげることができた。

 でもたぶんもう無理だ。この先もきっと冷静ではいられない。


 勝ち負けで言えば、今朝は完全にルイの圧勝。


 胸が当たりそうなことにずっと動揺しつつ、俺は時間ギリギリまで、どうにか彼女の髪を撫で続けた――。

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