14 ハグしたら胸が当たっちゃう問題 in 近所の公園

 図書室の閉室時間になった。


 生徒たちは全員退室し、俺とルイは図書室の鍵を閉めると、それを職員室の先生に返し、ほとんど駆けるように学校を出た。


 はっ、はっ、はっ……とお互いの荒い息だけが聞こえる。


 もう駆け出す寸前のような早歩き。

 会話する余裕なんてない。

 俺たちは一目散に公園を目指して進んだ。


 とにかく一刻も早く二人だけの世界に入りたかった。

 しかし――。


「あっ、うそ……」


 ようやく公園にたどり着くと、途端にルイが落胆したように吐息をこぼした。


 結構、人がいたからだ。

 噴水のまわりでは小学校帰りの子供たちが遊んでいて、さんぽしているお年寄りやランニング中のおじさんの姿もあった。


 こんな状態ではさすがに人目があり過ぎる。


「昨日はほとんど誰もいなかったのに……」

「ルイ、こっち!」

「え、涼介りょうすけ……っ」


 俺は彼女の手を引いて駆け出した。

 この公園には木がたくさん植えられて、ちょっとした林のようになっている場所がある。


 そこへ彼女と共に入っていく。

 すると次第に子供たちの声が遠ざかり、お年寄りやおじさんの姿も見えなくなった。


 人の喧騒から十分に離れたところで、ようやく俺は手を離す。

 ずっと小走りできたから、お互い肩で息をするような状況だった。


「ここなら……」

「うん……」


 小さく頷き、ルイは「あはっ」と笑みをこぼした。


「あたし、彼氏に林へ連れ込まれちゃった」

「……っ。ルイだって今朝、俺を車の間に連れ込んだでしょ?」


「女子がやるのと男子がやるのじゃ、意味が変わってこない?」

「んん、確かに……っ」


 悔しいけど、反論できなかった。

 そんな俺の顔を見て、ルイは笑いながらそばの木に寄りかかる。

 そして小悪魔のような瞳で見つめてきた。


「涼介、すごく興奮した顔してる。連れ込んだのがあたし以外の女の子だったら、マジ通報ものだよ?」


 俺はゆっくりと手を伸ばし、若干ドキドキしつつ、木に手のひらを当てた。

 そうしてルイを俺と木で挟み込む。


「ルイは通報しないの?」

「あたしはしない」

「どうして?」

「それは……」


 ちょっとだけ頬を赤らめ、俺の腕に頬をすり寄せてくる。


「……あたし、涼介にだったら、どこにでも喜んで連れ込まれちゃう、悪い子だから」


 あまりに可愛くて、心臓が高鳴ってしまった。

 俺は空いてる方の手でルイの髪にそっと触れる。


「それは悪い子だね」

「悪い子は……撫でてもらえない?」


「撫でてあげるよ。だって俺もルイを連れ込んじゃう、悪い奴だから」

「あは、じゃあいっか」

「うん、いいよ」


 こぼれるように笑い合い、ゆっくりと髪を撫で始める。

 うっとりと目を細め、朝と同じようにルイの表情がふにゃふにゃになっていく。


「ねえ、涼介ぇ……」


 すでに声が甘えんぼうになっていた。


「あたしたち、さっきキスしたの……?」


 ルイの問いかけは『したのかな?』ではなく『したの?』。

 つまり俺に決定権をくれる尋ね方だ。


 これは彼氏としてきちんと答えを出さなきゃいけない。


 俺は意を決して口を開く。


「やっぱりああいうことは勢いでしちゃいけないと思うんだ。図書室っていう公共の場でもあったし、だから……あれは事故、キスじゃないってことにしよう」


「事故……うん、分かった。涼介とあたしはまだキスしてない」


 先生の言うことを聞く子供のように、こくんと素直に頷いてくれた。

 その髪を撫でながら、俺は言葉を続ける。


「考えてみたら、俺たち付き合ってまだ二日だし、キスはまだ早かったよね」

「うん……涼介の言う通りだと思う」


「もっとデートとかして、時間を重ねて、それからキスしよう。俺たち、まだ学生だし」

「うん……涼介がそうしたいなら、それがいい」


 ぜんぶ肯定してくれる。

 嬉しく思いつつも、ちょっとツッコミを入れてみる。


「ルイ、もしかして……ふにゃふにゃになって頭回ってなくない?」

「まわってなーい……」


「やっぱり」

「でもちゃんと分かってるから」


 ルイの手が伸びてきて、指先が俺の胸で『の』の字を書く。


「涼介がドキドキしてるの、分かってるから。このままじゃ、おかしくなっちゃうよね? そのドキドキ、なんとかしなきゃだよね? ……どうする? 涼介が言うなら、あたしなんだってするよ……」


 すべてお見通しだったみたいだ。


 正直、キスにはまだ早いと思う。

 でも実際、この胸の高鳴りをどうにかしないと、どうにかなってしまう。


 だからどうすればこの気持ちを発散できるのか、俺はさっきからずっと考えていた。


 きっとルイは応えてくれる。

 キスの代わりに何かしないといられない、この気持ちを受け止めてくれる。


 その信頼を胸に俺は希望を告げる。


「ルイを抱き締めたい」

「……っ」


 ドキッとした表情でルイは息を飲んだ。

 赤くなって視線をさ迷わせる。


「嬉しい……で、でもいいの? あたしたち、付き合ってまだ二日だけど……ハグはしていいの?」


 正論だ。

 キスはダメなのにハグはしていい。

 そんな法律はない。


 でもこれ以上の名案は思いつかない。

 だから俺はことさら大きく頷く。


「いいと思う。日本の法律もハグならいいって言ってる気がする」

「そ、そっか。そういえばあたしも……ハグならオッケーって授業でやった気がする」


「その授業……俺も受けた気がするかも」

「ねっ、受けたよねっ」

「うん、受けた受けたっ」


 受けたのだ。

 そんな事実は一切ないが、受けたことにするのだ。


 俺は木から手を離す。

 そうして正面からルイと向き合った。


 緩やかに風が吹き、木立ちの音がさわさわと響く。

 木漏れ日が降り注ぎ、俺たちを照らしてくれていた。


 今からルイを抱き締める。

 正直、すごく緊張していた。


 今まで撫でながら肩に抱き寄せたことはあったけど、それはあくまでルイのおでこが肩に当たる程度でしかない。


 正面から抱き締めるのは初めてだ。


「えっと、じゃあ……」

「う、うん……」


 俺がぎこちなく切り出すと、ルイも緊張した面持ちで頷いた。


 そしてゆっくりと、同時にとても恥ずかしそうに。

 ルイが両手を俺に向けて開いてくれる。


「ど、どうぞ。涼介のお好きなように」

「では……し、失礼します」


 思わず敬語で言い、ゆっくり動きだす。

 もともと近かった距離がさらに近づいていく。


 彼女を抱き締めたら、どんな感じがするのだろう。

 きっと頬と頬が当たるより、もっと幸せな気分になるに違いない。


 大きな期待を抱いて、ついに二人の体が重なる――と思った、その瞬間だ。


「あっ」


 突然、ルイが手を引っ込めた。

 背後に木があるからそこまでではないけれど、若干後ろにも下がっている。


 何かやらかしてしまったのか、と俺は血の気が引いた。


「ど、どうしたの!? ごめん、なにか嫌だった!?」

「あ、ちがっ、そうじゃなくて……っ」


 ひどく慌てた様子でルイは手を振った。

 言葉もしどろもどろで要領を得ない。


「嫌なんじゃなくて、途中で気づいちゃったっていうか……あ、あのね、あたし、めっちゃ着やせするタイプなの!」


 き、着やせ?

 え、どういう意味なんだろう?


「だから実は見た目より結構あって、ショーコがたまにふざけて抱き着いてくるんだけど、『柔らかさが想像の10倍えぐい』とか言ってて、だからその、あのね……っ」


 次の瞬間、ルイは男子の度肝を抜くようなジェスチャーをした。


 おそらくは情報を正確に伝えるためだろう。

 もしくは女友達と話す時は、自然にそういう身振り手振りをするのかもしれない。


 だとすれば、これは信頼の証だと言っていい。

 心を許せる相手だからこそ、一目で分かるようなジェスチャーをしてくれるのだ。


 しかし、それでもあまりに刺激的過ぎた。


 ルイは。

 俺の彼女は。


 両手をお椀のような形にし、それを――左右の胸に押し当てたのだ。


 制服のリボンの下、ワイシャツの胸がワシ掴みにされ、ことさらに強調される。


「あのね、涼介。このままハグしたら、きっと……」


 そうして、ものすごく刺激的なポーズで。

 見たこともないくらい真っ赤になって。

 彼女は恥ずかしそうに告白した。



「……あたしの胸が涼介に思いっきり当たっちゃう」



 瞬間、心臓が飛び出しそうになった。

 一瞬、本気で死んだかと思った。

 ルイの可愛さと、未曽有の大問題によって、俺は愕然とする。


 こ、これはどうすればいいんだ……!?

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