21 ファーストキスは星空の下で

 夕焼けが沈もうとしていた。

 空はだんだんと夜の色をまとい始めて、そろそろ星が輝きそうだ。


 俺とルイはカラオケから出て、駅前を移動していた。個室を出たことで高ぶった気持ちが落ち着いたかというと、そんなことはぜんぜんない。


 お互いを意識している空気感は今も健在。

 そのなかで俺は――思いきってルイの手を握った。


「あっ」


 ルイが小さく声を漏らす。

 いつかのように指先を摘まむようなものじゃなく、しっかりと俺から手を握っている。


 頬を赤らめ、ルイがチラリとこちらを見る。


「この空気で……また手とか握っちゃうんだ?」

「ダメかな?」

「ぜんぜんダメじゃないけど……言ったじゃん。あたしの心臓が保たないって」

「でももう日が暮れる頃だし、デートも終盤だからいいかなって」

「……ん、確かに」


 恥ずかしそうに握り返してくれた。

 俺よりも小さくて、ずっと柔らかい手のひらの感触。

 どうしても鼓動が高鳴ってしまう。


 ……俺の心臓も保たないかも。


 そんなことを考えていると、ルイが囁くような声で聞いてきた。


「この後は……どうするの?」


 高校生の初デートしてはこれで解散でもいいのかもしれない。

 だけど、そうはしたくなかった。

 純然たる俺の意志で、まだルイと一緒にいたい。


「教室でデートに誘った時、俺が言ったこと覚えてる?」

「え?」

「――ルイともっと深い仲になりたい」

「えっ、あっ、う、うん……っ」


 分かりやすく動揺する、ルイ。

 俺は精一杯男らしく言い切る。


「だからまだルイといたい。一緒に行きたいところがあるんだ。付いてきてくれる?」

「りょ、涼介……」


 珍しく勢いづいた俺を見て、ルイは驚いた様子だった。

 でもきゅ……っと手を握ると、俺の腕に頬を寄せて、可愛らしくうなづいてくれた。


「……ん、任せる。どこでも付いてくよ。涼介の行きたいところに」

「ありがとう」


 手を繋いで彼女と歩く。

 駅前から離れ、商店街を抜けて、坂道を登り始める。そのまま15分ほど歩いただろうか。やがて俺たちは小さな高台へたどり着いた。


 小さな東屋があって、奥には転落防止用の柵がある。


 その先に――街灯かりがきらめいていた。もう夜も訪れていて、空には一番星が瞬いている。


「わ……っ」


 突然、開けた景色を見て、ルイが表情を輝かせる。


「めっちゃキレイじゃん! なにここ? 駅の近くにこんなところあったの!?」


 柵へと駆け寄り、ルイは街と夜空を見つめる。

 その後へと続きながら、俺はちょっと得意になった。


「気に入ってもらえてよかった。子供の頃、偶然見つけてさ。俺のとっておきの場所なんだ」


 ここは駅からちょっと離れているし、坂も登らなきゃいけないから、あまり人がやってこない。こんなに景色がきれいなのに見にくる人は少なくて、街のエアポケットのようになっている。


「ここが涼介の言ってた、一緒に行きたいとこ?」

「うん。初デートでは絶対ルイにここを見せたいと思ってたんだ」

「そっか……」


 街灯かりを見つめてルイは笑みを深める。


「ん、100点!」

「光栄です」


 苦笑しながら俺も彼女の横にいき、まるでイルミネーションのような星と街の光を並んで見る。するとルイが自然に肩に寄りかかってきた。


「せっかくロマンチックな光景なのに……ちょっとエロいこと言ってもいい?」

「あー、うん、どうぞ」


「あたし、ホテルに行くのかと思ってた」

「……俺も正直、それっぽい流れになってると思ってた」


 マズいなぁ、と内心ヒヤヒヤしてたんだ。せっかくこんなロケーションを用意してたのに、すごく生々しい空気になってるぞ、って。


「でも俺は順序を大切にする彼氏なので、いきなりそんなところには連れてかないです」

「さすが涼介、あたしの彼氏はお堅いなぁ」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「あはっ」


 ルイは小さく笑った。

 そして一緒に光を眺めつつ、ぽつりとつぶやく。

 俺にだけ届く、吐息のような声で。


「あたしは……」


 白い頬を薄っすらと朱色に染めて。


「……ホテルでもぜんぜん良かったけどね? マジな話」

「――っ」


 一瞬で心臓が飛び出しそうになった。

 そんな顔で、そんなストレートに言うなんて反則だ。


 頭がクラクラしてくる。

 すぐにでもルイを抱き締めたい。


 でもグッと堪えた。

 なぜなら今日ここにルイを連れてきたのは、ただきれいな景色を見せたいからだけじゃないから。恥ずかしい話だけど、俺にだって下心はある。


「もっと深い仲になりたい……って俺が言ったの、覚えてる?」

「え?」


 俺はあえてルイから体を離した。

 首をかしげる彼女と正面から向かい合い、緊張でどもりそうになるのをなんとか抑えて口を開く。


「俺は順序を大切にする彼氏なので、いきなりホテルにはいきません。でも……」


 彼女の頬に触れた。

 そのまま親指の先が彼女の唇の端とそっと重なる。


「ルイと一歩先に進みたい」

「……あ」


 俺の意図に彼女も気づいた。

 ただでさえ朱色だった頬がかぁーっとさらに赤くなっていく。


「えっ、あっ、ああ……そ、そゆこと? だからこんなきれいな景色のとこに?」

「……うん、そゆこと」

「――! そ、そっか、そうだよねっ」


 しどろもどろでルイは目を泳がせる。


「ご、ごめん! あたし、ぜんぜん気づかなくて……っ。ホテルとか超KYだよね!? ああ、ってか、この状況でまたホテルとか言っちゃってるのがさらにKYか! えと、ええと……っ」


 ルイがとんでもなく焦っていた。

 触れた頬からも彼女の緊張が伝わってくる。

 誰がどう見ても、ここは彼氏がリードする場面だ。


 俺は胸中で気合いを入れ、静かに呼びかける。


「ルイ」


 きらきらと輝く街の灯かり。

 夜空に光る一番星。

 その景色が俺の背中を押してくれた。


「好きだよ」

「あ……」


 その一言で彼女の焦りが消えた。

 潤んだ瞳で見つめてくる。


「あたしも……涼介が好き」


 頬の手をそっと彼女のあご先に持っていく。


「ルイと付き合ってから毎日が楽しくてしょうがないんだ」

「あたしも……毎日、涼介のこと考えて、毎日、楽しくて……こないだショーコにも言われちゃった。『ルイ、男が出来て変わったわね』って」


 そうかもしれない。

 以前のルイは誰にも懐かない黒猫のような雰囲気だった。

 でも最近はすごく人懐っこい子猫のようだ。


 これが俺と付き合ったことによる変化なら、こんなに嬉しいことはない。


「もっと変えてもいいかな、ルイのこと」

「……いいよ。涼介にならあたし、何されてもいい」

「じゃあ……」


 細い腰に手を回して、抱き寄せた。

 されるがままに彼女も身を寄せてくる。

 俺は心臓が破裂しそうになりながら言葉を紡ぐ。


「ルイとキスしたい」


 順序を大切にした上で、下心もあって、もっと深い仲になるために、ここに来てもらった。

 すでに俺の意図に気づいていたルイは――ゆっくりと目を閉じる。


「……うん、してほしい。もらって。あたしの……ファーストキス」


 前髪が触れるほどに顔を寄せて。

 夜風が吹きぬけていくなかで

 街灯かりと星の瞬きに包まれるように。


 2人の唇が重なった。


 びっくりするくらい、柔らかな感触。

 ハグしたり、胸が当たったりしたことは何度もあるけれど、彼女の唇の柔らかさはそのどれとも違っていた。


 もう街も空も目に入ってこない。

 ただただお互いの体温を感じ、俺たちは長く長く、唇を重ね合った――。

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