11 さらに、さようなら
※
前回とは異なり、ゼロから人格形成をする必要がないからか、驚いたことに、生まれ直しても私には記憶があった。残念ながら、リザエラが混沌術を利用する前のことは思い出せないので、リサとして過ごした時期から始まる記憶。それらが全て、この頭に詰まっている。
さらに、名前はまたもやリサだった。もっとも、今度は
もちろん、両親は違う。当たり前だ。
家族ともう二度と会うことが叶わない。寂しさが胸を抉りそうになるけれど、実のところ彼らの名前は今でも時々耳にする。蒲原財団とかいうものができていたのだ。
創設者は、名優蒲原夫妻。一人娘が事故に遭い、意識を失ったまま生命維持装置により生かされ、その目覚めを切望しながら老いた彼らは、同じように事故で障害を負った人々を援助するため、蒲原財団を立ち上げた。夫妻の死後、蒲原リサの高額な医療費も、そこから出ていたのだと聞く。
新生理沙の両親は、蒲原夫妻と良く似た活発な夫婦だったが、何よりも娘との時間を大切にしてくれた。
時々、蒲原夫妻の面影を見つけ、理沙の両親が彼らの生まれ変わりだったら良いなと都合の良いことを考えたが、ただの妄想に過ぎないだろう。
さて、話を戻せば、私は前世と前々世の記憶を持っている訳で、幼少期から変わり者だった。
相変わらずモフモフ愛も健在で、リサと同じくオタクになった。恋愛はしたけれど、どうもしっくりこなくて、結婚はしない。一生をオタク生活に捧げた。
それと、裁縫スキルも継承されていた。チートスキルを発揮した私は小学校の家庭科の授業で神童と持てはやされ、高校生くらいの時からぬいぐるみ大量生産を再開した。
作るのは半分以上が茶色い犬。ナーリスだ。十回に一回くらいは、銀髪と赤紫色の瞳の二頭身イケメンを生み出した。
人生三回目、裁縫スキルもそれなりに向上していたが、ぬいぐるみ作りにおいて一切周囲に媚びることのない理沙はその道で大成することもなく、リサと同じくただの万年平社員として企業に勤めた。
そうして時は過ぎ、理沙にも命の終わりが近づいている。
意識が希薄だ。穴が空くほど毎日見上げ続けた老健施設の無機質な白い天井がぐにゃりと歪み、落ちてくるかのようだった。
年老いて、思考は靄がかかったかのようにぼんやりとしている。泥のようにベッドに沈み込むやせ細った身体。食事すら喉を通らないのに、この日の私は手を伸ばし、枕元に置いたお手製のぬいぐるみを撫でていた。
ナーリス、デュヘル。
彼らとの日々は夢であったのではないか、それともただの妄想なのではないかと幾度も考えた。けれど、私は彼らを愛している。この気持ちは本物なのだから、誰がどう感じようと、私の人生において、モフモフワールドでの暮らしは現実だった。私はリザエラとして生まれ、リサへと転生して一瞬リザエラに還り、それから理沙として生を終えようとしているのだ。
長い人生を顧みる。
理沙として過ごした約百年間。リザエラの気持ちを咀嚼して整理して、私は全てを理解した。
本当は、何も考えずに心のままに夫と息子を愛せれば良かった。それなのに、リザエラは頑固であり、周囲の目を気にしすぎる小心者で、素直になることができなかった。薄情な自分が嫌いだった。
私は私のことを愛せなかった。一度目に混沌に下る時、そんな自分にさよならができると思った。だからこそ、リザエラは正直な気持ちを、おそらく小旅行に行く前の戯れくらいの気持ちで書き記した。『ごめんなさい、あなたのことを愛せない』と。
リサからリザエラ戻った暁には、もう別人のような気持ちで家族を愛せるはずだった。だから、『私は私のことを愛せない』のではない。『私はあなたのことを愛せない』だ。そして、真面目なリザエラは転生前の自分に謝罪した。生まれ変わりたいほどにあなたのことが嫌いな私を許してと。
もしこれが真実ならば。我ながら、不器用で馬鹿な子だ。
転生を繰り返した分、他人よりも長い人生。一度目と二度目は合わせても五十年ほどの生だったけれど、今の私には、覚えているだけでも百三十年分の経験がある。
死期が近づいてやっと全てを理解した気持ちになるだなんて、遅すぎる。不意に滑稽な気分になり、ふっと笑みが零れた。ああ、きっとこれは人生最後の微笑みだ。
年老いてしわくちゃの頬。虚ろな瞳。乾燥で罅割れた唇。おまけに全身が様々な管に繋がれていて、まるで何かの機械のよう。
点滴に繋がれてなお栄養失調と脱水で朦朧とした意識。老衰で死にゆく私には、凄絶な死など程遠い。
私は、どこか満たされた気持ちでいた。
これっぽっちも美しくない笑みだろうけれど、私はもう一度口角を上げる。きっとこれが笑い収め……。
「ああ、やはり君は美しい」
突然右手の方から声がした。
甘ったるい、若い男性の声だ。幻聴だろうか。首を回すことすら億劫で、とりあえず無視したのだが、男性は一人で喋り続ける。
「眠っているのかい? いや、それとももう天寿を全うしたのか」
失礼極まりないが、全てを受け入れる境地に至った百歳の私は、どこのどいつだろうかと思つつも微笑み続ける。
「君の笑顔は素敵だ。できることならば永遠に見つめていたい。だが、そうもいかないな」
リノリウムの床をコツコツと踏み鳴らし、彼がこちらに近づいて来る。やがて、枕元で立ち止まる気配がした。さすがに私は言った。
「だ、れ……」
職員さんとすら必要最低限の会話しかしない声帯が、錆びついたような声を吐き出した。想像よりもずっと掠れている。それなのに、彼は私の顔を覗き込み、失くした宝物を見つけた時のように瞳を歓喜で輝かせる。それから、くしゃりと顔を歪めた。
「リザエラ、迎えに来たよ」
リザエラ。約百年ぶりに耳にしたその呼びかけに、理解が追いつかない。そもそも、脳細胞はほどんど生存していない。
白い天井と私の間に浮かぶのは、銀髪と赤紫色の瞳を持つ、アニメキャラ風の超絶イケメン。枕元にある二頭身人形の本物版だ。
霧の中にいるような思考の中、ただ一つわかるのは、これがとてつもなく奇妙な現象だということ。きっとこれは。
「ゆめ、か、ゲーム?」
「いいや、現実だ」
イケメンの幻影は、枯れ木のような私の腕を愛おし気に撫でた。
「リザエラ、刑期明けだ」
刑期明け? 脳の反応が鈍いのはきっと、老いのせいだけではない。私は口を半開きにしたまま、額の延長線上にある赤紫色の瞳をぽかんと見つめた。間抜け顔に違いないのだが、彼はまるで、絶世の美女を見るような惚れ惚れとした目をしたままだ。
「リザエラ、時間だ。一緒に帰ろう。終身刑は執行されて、今、完了する」
急に、呼吸の間隔が広くなる。いつも通り息を吸ったはずなのに、気づけば呼吸が止まっている。思い出したようにまた酸素を貪るのだが、肺に流れ込む空気量が激減している。けれど、息苦しさは感じない。
視界がぼやける。理沙として生きた百年の記憶が、脳内を駆け巡る。ああ、走馬灯って本当にあるのね。それではこれから向かうのは三途の川だろうか。それとも。
「……」
私は最後の息を吐き出して、日本にさようならを告げた。
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