3 魔王がやって来た

 部屋の奥には、別室へ続く細い廊下があった。まるで蟻の巣のような空間だ。


 ウィオラは何も言わず、場違なほどのんびりとした歩調で細い道を進む。私は肋骨ろっこつの奥で荒れ狂う心臓を押さえつつ、何食わない顔でウィオラに続く。


 やがて、地下空間に集まった訳アリそうな人々の喧噪が遠くなり、騒めきが微かな物音となる辺りまで行くと、ウィオラは不意に足を止め、くるりと振り返った。


 危うくぶつかりそうになり、私は慌てて立ち止まる。


「リザエラ様、なぜここに?」


 ウィオラの表情がいつになく険しい。咎めるような調子で言われ、私は少しカチンときた。


「それはこちらの台詞よ。体調を崩して寝込んでいたんじゃないの」

「体調は戻りました。ご迷惑をおかけし申し訳ございません」

「何で深夜にこんな場所に。デュヘル様もいるの?」


 ウィオラは形の良い眉をぴくりと動かした。


「デュヘル様? もう夜更けですから、お休みになっておられるのでは」

「誤魔化さないで。密会していたんじゃないの?」


 ウィオラの目が次第に大きく見開かれる。言葉を失い、ただ瞬きを繰り返す様子を見て、私は頬が熱くなるのを感じた。


 ウィオラの反応はきっと、偽りではない。演技にしては下手過ぎるのだ。本当にデュヘルのことには心当たりがないのだろう。


 つまり私は早とちりして、二人の関係を疑いウィオラを尾行したことになる。けれど。


「デュ、デュヘル様のことは私の勘違いね。でももう一つの疑問にまだ答えてもらっていないわ。深夜にここで何をしているの」


 ウィオラの顔から驚きが消え、戸惑いがよぎる。少し躊躇ってから私の表情を窺がい、呟くような声を落とした。


「息子と一緒にいる方法を探して」

「混沌術ね」


 薄明かりの中、陰を帯びたウィオラの頬に、いっそう暗いものが浮かぶ。明確な回答はないけれど、それが答えのようなものだった。


 混沌術の私的利用は禁止されている。けれど、ウィオラと息子さんの事情を知っている私は、何と言ったら良いのかわからず口を閉ざした。ウィオラが青い顔でこちらを見つめている。数秒の後、ウィオラは小さく首を振って表情を引き締めた。


「お咎めは後ほど受けます。まずは急ぎ、ここからお逃げください」

「逃げるって」

「リザエラ様が入り口の彼に示した花の刺繍。あれは、私固有の模様です。この店に出入りする者は皆、一人一人異なる証を持っています。店の管理者が、お客の容姿や性格から連想して文様を決めるのです」

「ああ、あの菫」

「いいえ。あれはトリカブトです」


 トリカブト。聞いたことがあるようなないような名詞だ。疑問符が頭上に浮かんだ私に、ウィオラはふっと笑む。どこか自嘲気味な調子だ。


「トリカブト。猛獣をも倒す、猛毒の花ですよ」


 猛毒。こんな時だというのに、私は言葉を失う。この店の管理者とやらがウィオラのために用意した文様だ。紫色の、小さな花弁を持つ可愛らしい花。しかし見た目とは裏腹に猛毒を持つ。それがウィオラの本性だというのだろうか。


「……じゃあ、やって来た瞬間から、私が部外者だとバレていた訳ね」


 ぐるぐると回り始めた思考を振り切り言えば、ウィオラは頷く。


「入口の守衛は、少し不審に思ったようですが私の顔を良く知っている訳ではありませんので、半信半疑でリザエラ様に道を開きました。ですが違和感を拭えずに後から調べたところ、トリカブトの文様を持つ客はすでに店内にいるはずだったのです」


 だから、リザエラが怪しい侵入者だと判明してしまったのだ。


「ウィオラはどうして私に気づいたの」

「守衛の彼が教えてくれました。私の偽物が来ていると。とにかく」


 ウィオラは声に焦りを滲ませた。


「言い訳は考えますから、一緒に逃げましょう。このような場所に聖女様がいらしていることがおおやけになったら、騒ぎになってしまいます」


 おうの乳母がこんな怪しげな地下空間に入り浸っていることだって、広まってしまえば問題になる。けれど、それを追及するべき時は今ではないことは、私にもわかっていた。


 一方で、強欲で無鉄砲な私の胸には、やっと掴んだ手がかりの端っこを手放したくないという思いが湧き出している。「混沌に下れ」の意味を知ることで、リザエラの死の真相に近づき、それはやがて皇や魔王夫妻に悪意を持つ者へと繋がるような気がするのだ。


「ウィオラ、ありがとう。でも少しだけ、混沌術について調べさせて」

「リザエラ様!」


 ウィオラの顔に苛立ちが浮かぶ。彼女は無遠慮に私の腕を掴んだ。


「今はそれどころではありません。ここは違法にほど近い、後ろ暗い商売を行う者が集まる場所です。見咎められる前にどうか……」


 だが、ウィオラの心配は現実のものとなる。


 不意に、背後……飲食エリアの辺りから切羽詰まったような騒めきが押し寄せた。


 何ごとか、と思う間もなく、蟻の巣状の通路の隅々にまで魔力の波動が押し寄せて、私達の全身に纏わりついた。静電気に覆われたような感覚が走り、動作が大きく妨げられる。


 ぴりぴりと肌を刺す不快感に顔を顰める。未だ状況が掴めない私の目に、細い道の向こうから武装した屈強な青年達がやって来るのが映った。


 彼らは、薄暗い道の途中で硬直する女二人に鋭い視線を向け、ウィオラを認めると目を剥いた。


「ウィオラ殿?」


 青年達には見覚えがある。魔王城に勤める衛兵さんだ。


 私は「あ」っと漏らし帽子を目深にしたが、もちろん無駄な抵抗だ。ウィオラの隣に立つ女の頬に一筋零れたストロベリーブロンドを見て、私の正体も察したらしく、衛兵さんは上ずった声を上げる。


「リザエラ様まで!?」


 まずい、バレた。


 どうしたものかと挙動不審になる私とは対照的に、ウィオラは落ち着いている。彼女は私の腕に触れる力を少し強め、囁いた。


「大丈夫です。私がお守りします」

「え」


 ウィオラは大きく息を吸い込んだ。


「リザエラ様をここにお連れしたのは私です。全てはこのウィオラが仕組んだ悪事です」


 朗々とした声が響く。困惑して互いに目配せを繰り返す衛兵さん達。その後ろから、予想だにしなかった姿が現われた。


「ウィオラ、それはいったいどういうことだ」


 氷柱つららのように冷たく、鋭い。けれどそれは聞き慣れた声。


 衛兵さんたちは少しほっとしたように脇にずれ、道を開ける。左右に割れた衛兵さん軍団の奥からやってきた姿を見て、私は全身を氷水に浸したかのようにぶるりと震えた。そして彼の名を呼んだ。


「デュヘル様」


 消えたはずの魔王が今、私の目の前にいる。

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