4 推しから拒絶を受ける私

 ナーリスの部屋は、異常に広い。そもそも、入り口からして、子供部屋のイメージとはかけ離れている。


 私の身長の二倍ほどはありそうな高さの木製両開き扉は重厚で、どこかの神殿にありそうな渋めのケモ耳彫刻が施されている。あまりにも重たそうなので、おそらくナーリス一人では出入りすることは出来ないだろう。そうでなくともナーリスは、小さくてモフモフな子犬姿なのだ。扉を開けるのは至難の業。そもそも、二足歩行の人間用住環境は居心地悪いだろう。


「ナーリス様、お母君がおいでです」


 扉の向こう側に呼び掛ける侍従の声は、やや上ずっている。時刻は、食堂近辺に美味しそうなスープの匂いが漂う夕食直前。アリスの様子から推察するに、常識的な貴婦人はこんな時間に息子を訪ねることはしないのだろう。


 侍従がもう一度声を掛けてくれるが、返事はない。ナーリスは部屋にいるはずなのに、まさか居留守を使っているのだろうか。


 もう埒が明かない。私は一歩前へと踏み出して、自ら扉を叩いた。


「ナーリス、私よ。お、お母様よ」

「リ、リザエラ様」


 アリスが若干挙動不審気味にちらちらと視線を向けて来る。可哀そうだけれど無視をして、とうとうドアノブを掴んだ。


「ナーリス、入るわ……よ!?」


 開かない。びくともしない。


 そうか、とりあえず引いてみたけれど、西洋の扉って押すと開くのだっただろうか。


 それでは、と押してみる。やっぱり微動だにしない。ドアノブを引っ張る度、力んだ声だけが響いて結構恥ずかしい。私は少し顔を赤くして、アリスに囁いた。


「開かない」

「え、ええ。ナーリス様は大切なおうですから、扉は厳重に封じられています」

「封じられて?」

「魔術と聖術を掛け合わせた鍵がかかっているのです。その……僭越ながら、リザエラ様のメイドでありナーリス様の遊び相手でもある私が、開錠いたします」


 ナーリスの遊び相手もやってくれているのかこの子は。


 心中で突っ込んでいる間に、アリスは白いフリフリエプロンのポケットから小さな鍵を取り出した。


 パチンと手を叩くと、鍵はひとりでに穴の中へと入り、鍵穴から白い光と黒い靄が放射線状に溢れ出る。


「ええと、ナーリス様。失礼いたします」


 ドアノブを掴んだアリスが少しだけ押すと、扉は軽々と内側に開いた。


「これ、どうなっているの?」

「鍵に魔術と聖術がかかっています。開けることが出来るのは、鍵に登録された人物だけです。この城の主デュヘル様がお許しになった数人だけが、その権限を持っています。あと、ナーリス様は鍵がなくても自由に出入りができますよ」


 アリスは耳の付け根を少し持ち上げる。どうやら、権限を与えられていることが誇らしいようだ。この城のケモ耳達の動きはいちいち愛らしい。


 オタク魂を刺激された私は、思わずウヘヘと頬を緩めてしまったが、首を振って理性を呼び覚ます。そう、今はそれどころではないのだ。


 気を取り直して室内に目を向けると、いたるところに本が積んである。いずれも子供向けのようだが、童話ばかりではなく、歴史や雑学を記した物も多い。まだ小さいのに勉強熱心で偉いと感心した。


 書籍の森の中でナーリスを探す。視線を何度か往復させてやっと、部屋の端の方で敷物の上に大きな本を広げ、なんだかいじけたような体勢で蹲っているのを見つけた。


「ナーリス、どうしたの?」


 出来るだけ優しい声音で言ったのだが、ナーリスの茶色い毛が、私を拒絶するようにぶわっと逆立った。


 それから、警戒心に満ちた赤い瞳が動き、こちらを捉える。やがて、ナーリスは言った。


「何でここに来たの」

「何でって」

「母上は、僕のせいで死にたくなったんでしょう?」

「え」


 予想外の第一声に、私は声を漏らしたきり絶句する。


 アリスがおろおろとしているのが視界の端に映ったけれど、私の脳内は大混乱を通り越して真っ白になっているので、気遣ってなどあげられない。


 我ながら間抜けなことに、口を半開きにしたままナーリスへと視線を注ぎ続ける。やがて彼は耳を背中側に倒し、ぷいっと顔を背けて再び部屋の角に顔を押し付けるようにして丸くなった。


「やっぱりそうなんだ。僕が不完全者だから」

「ナーリス?」

「……だ……」


 部屋の角にはまった茶色いモフモフから、微かな声が発せられている。私はゆっくりと歩み寄り、ナーリスの身長の三倍ほどの距離を空けて立ち止まる。


 私の耳に、残酷な言葉が飛び込んで来た。


「……母上なんか……嫌いだ……」


 推しから渾身の拒絶を受けた衝撃で、まるで頭部を鈍器で殴られたかのような気分になった。人ってショックを受けると、本当に頭がぐらぐらするものらしい。

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