8 紫と花の香り

 突然の訪問となったことを改めて謝罪して、私達は保護院を出た。行きと同じく近くの通りで辻馬車を拾い、アリスと一緒に乗り込む。


 大きく振動する馬車の中、育ちの良い聖女であるリザエラの身体は揺れに抗うための体幹が鍛えられているのか、頭は揺れても壁に頭突きをすることはない。一方のアリスは何度か首をがくんとやってしまい、少し痛そうだ。あまり頻繁に外出している様子もないので、馬車での移動には不慣れなのかもしれない。


 そんなアリスは行きとは打って変わり、ほんの少し明るい表情をしている。


「リザエラ様、これでもうこの件は解決ですよね。近年の異常な現象は、周期的なものなんです。原因については誰も確かなことは言えないんです」


 果たして本当にそうだろうか。私はカーテンの隙間から外を覗き、流れるように切り替わる街の景色を眺めた。日が傾きかける時刻。レンガや石で造られた街はほんのりと、朱色に染まっている。


 仕事を終えて帰る大きいモフモフ、遊び疲れてお腹を空かせた様子の小さいモフモフ。どこもかしこもモフモフで溢れているが、あの中にはどのくらいの割合で、只人と呼ばれる人々がいるのだろう。そして、どのくらいの数の人々が、災害で傷ついたのだろう。


「災害がナーリスのせいではなかったとしても、おうが早く一人前になることは、世界の安定に繋がるのよね」

「ええ、それは」

「例えば、院長にお願いして神樹の根から力を分けてもらって、毎日ナーリスにあげるのはどうかしら」

「それはだめですよ! ナーリス様は皇であり只人ではないのです。混沌術は禁じられています」

「私的利用が禁止なのよね? 皇を安定させるためなら、公的利用って言えるんじゃない?」

「それはそうかもしれませんが……。どちらにしても、神樹から少し分けてもらう程度では足りませんし、元々ナーリス様の力の核は神樹に預けた両陛下の器です。神樹の根から出た力をナーリス様に戻すなんて、お腹が空いたから自分の尻尾を食べるのと同じですよ。それに、只人とは違ってナーリス様は魔術も聖術も使えるんです。必要なのは、世界中の精霊を圧倒するほど大きな力ですから、どちらにしても焼け石に水です」

「確かにそうね」


 さすがに無理があったか。私はうんうんと唸り頭を抱えた。


 夢の世界の出来事ならば、私が頑張る必要などないはずだ。けれど、そうやって簡単に割り切るには、リザエラとして過ごした時間は長過ぎる。私は最近、これは夢の中での出来事ではないと確信を抱き始めた。


 そう、きっとゲームの中にいるのだ。


 リザエラとなったあの日。最初は夢か没入型ゲームのどちらかだと思ったのだけれど、何回眠っても覚めない夢なんて奇妙過ぎる。


 だからこれはゲーム。つまり、クリアする方法があるはずだ。


 ミッションは明らかで、モフモフ愛を持って転生した私が、ナーリスをはじめ世界中のモフモフに幸福をもたらすこと。


 最もストレートな解決法は、迅速にデュヘルを愛することだろう。災害と皇の不完全に関係があるにしろないにしろ、私達が相思相愛になれば自然と真相がわかるはず。


 皇が世界を立派に支えることで、人々の憎しみは消える。ナーリスに向かうドロドロとした視線や、リザエラの死に纏わる不審、そこから今日まで続く不穏は、憎悪の消滅と共に霧散していくのだろう。


 けれど悠長に愛を深める時間はない。恐ろしいことに、私達一家は何者かに命を狙われているかもしれないのだから。


 でも大丈夫。RPG、しかも可愛らしい系は大得意。


 何を隠そうこの私、他のゲーマーが五十時間かけるシナリオを、初見三十時間でクリアした強者なのだから。もちろん、攻略サイトなんて見ない。


 困難に陥った時主人公は、賢者や魔法使いを頼り助力を請うことが多い。それか、秘密の武器や神族の至宝を探しに行くとか。けれど今回のクエストは、魔王を倒すことではなくて、魔王を愛すること。それも迅速に。となればやはり。


「媚薬」

「はい?」


 私は閃いて、視線を車内に戻す。


「媚薬よ。そう、惚れ薬があれば私だって、デュヘル様の重たい愛に応えられるはず」

「ほ、惚れ薬!?」

「ねえ、魔術や聖術でそういうことできないの?」

「無理ですよう!」

「じゃあ却下ね」


 やはり、『デュヘルにメロメロ作戦』よりも、私達に害意を持つ人々を探し出す方が現実的か。


「却下も何も、リザエラ様とデュヘル様は相思相愛じゃないですか!」

「え、そんなはずないじゃない」

「まさか、それも忘れてしまったのですか? 確かにデュヘル様の重た……ごほん、大きな愛情に引いたお顔をされている時は多々ありましたが、それもあれも全部、リザエラ様が慎み深い淑女であるからで、それで」

「あれ?」


 不意に窓の外、視界の端に入ったものに気を取られ、アリスの必死の訴えは耳に入らない。考えるより先に身体が動いていた。御者台に続く小窓を拳で叩き、声を張る。


「止めて!」


 馬車は急には止まれない。トラックと同じだ。


 少ししてから馬のいななきが聞こえ、大きく揺れて停車する。アリスがまた頭をぶつけて「あう」と声を上げた。


 私は半分飛び降りるような格好で石畳に下り立って、先ほど目にしたものを探してきょろきょろとする。


 人々の怪訝そうな視線を浴びたが、馬車で来た道を小走りで戻り、パン屋と八百屋の間の小路に駆け込んだ。辛うじて人一人通れる程度の隙間。目を向ければ、次の曲がり角に翻る薄紫色の裾を見た。


 朝に焼いたパンの残り香が漂う細い路地に、ふわりと花々のような爽やかな香りが浮かんでいる。嗅ぎ慣れた香水の匂い。


 間違いない。彼女だ。


「待って、ウィオラ!」


 外出用とはいえ、お上品な靴は走りづらい。けれどそんなことはお構いなしに、私は全力疾走する。靴擦れ必至の努力も虚しく、角を曲がった先にはゴミ箱が置いてあるだけで、誰の姿もなかった。


「ゴミ箱」


 まさかと思い蓋を開けると、生臭い臭気が顔面を打ち付けたので、慌てて閉じた。


「リザエラ、様、待って、ください」


 息を弾ませたアリスが追って来る。ゴミ箱の蓋を掴んだ私を見て、小さく悲鳴を上げた。


「何やっているんですか! お手が汚れてしまいます!」


 荒い息を吐きながら、どこから取り出したのかハンカチで私の手をゴシゴシと拭ってくれる。私はアリスの献身をぼんやりと見ながら呟いた。


「ウィオラがいたの」


 アリスの手がぴたりと止まる。


「ウィオラよ。間違いない」

「でもウィオラ様は今、ご実家に戻られているはずですよね」

「だから驚いたの。城下にいるなんて。いったいこんな夕方に路地に入ってどこへ行ったのかしら……」

「そっくりな別人だったのでしょうか?」


 しばらく周囲をうろついてみたのだが、あいにくウィオラの姿はない。


 無造作に並ぶゴミ箱は他にもたくさんあったが、アリスが止めるので調べ切ることはできなかった。まあ多分、そんなところにウィオラはいないだろうけれど。


 やがて、遠くから鴉の鳴き声が響いてくる。夕刻だ。食事の時間が近づいていることを心配したアリスに促され、私は渋々馬車へと戻った。


 急に止まれと言われた挙句、しばらく放置された鳥顔の御者は不機嫌そうだが、アリスが先にお金を渡してくれたらしく、きちんと同じ場所で待っていてくれた。アリス、やっぱりできる子だ。


 ウィオラ、もしくはそっくりさんの動向は気になるのだが、沈みかけて大きくなった太陽を見る限り、潮時だ。


 気を取り直して帰路につき、帰城後、慌てて身支度をする。無事に時間通り、何事もなかったかのような顔でデュヘルとの晩餐に臨んだ。


 が、ちょっと目が怖かったので、こっそりお城を抜け出したことはバレていたのかもしれない。



第二章 終

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