7 お忍び訪問
※
「リザエラ様、こんなことが知られたら、デュヘル様に叱られてしまいますよう」
地味なワンピースに身を包み、帽子を
向かう先は赤い屋根を持つレンガ壁の邸宅。保護院だ。
シャンデリア落下事件の日、災害について調査しようと決意した私だが、城内にはこの疑問に答えてくれる人は誰もいない。それならば外部の人間に訊くしかないのだが、あいにく知り合いはほぼゼロだ。
記憶がある限り唯一面識があるのは猫院長だけ。それならばと思い、単純ながら保護院までやって来た。
「しばらくはできるだけお部屋から出ないようにと、デュヘル様が仰っていたじゃないですか」
「巻き込んでごめんね、アリス。でも大丈夫よ、あなたが怒られないように全力で守るから」
「そうじゃないんです! 万が一リザエラ様に何かあったらと思うと心配で」
「大丈夫」
私はもう一度気休めを吐き出した。純粋に私の身を心配してくれるアリスには申し訳ないのだが、これ以上室内でじっと息を殺しているなんてうんざりだ。
「ううううう。品行方正なリザエラ様はどこへ」
「一回死んで強くなったの」
さり気なく失礼なことを言われたが、事実なのだから仕方がない。しばしば耳に入る情報によれば、以前のリザエラは清く正しく淑やかな聖女だったらしいのだが、私はリサだ。開き直ってずんずん歩く。
保護院に隣接する礼拝堂の扉は、日中はいつも開放されている。内部にある神樹の根を頼りに来る人がいるだろうからだ。
私は、気乗りしない様子のアリスの腕を引っ張って、建物内に身体を滑り込ませた。
先日デュヘルと一緒に公的な訪問をした際には正門から訪ねたのだが、今回は礼拝堂側から内部に入る。さすがは神聖な場所。厳かに祈りを捧げる人々の衣擦れや息遣いが空気を揺らす他には、音がない。
私達は足音を立てないようにしずしずと進み、礼拝堂の端に位置する扉に近づく。ここから、子供達が暮らす区域へと入ることができるのだが、もちろん不用心に開け放たれている訳ではない。扉の横にはいかにも強そうな虎獣人さんが立ち、不審者に目を光らせている。私は明るく声をかけた。
「こんにちは。突然申し訳ないのだけれど、院長さんにお会いしたいの」
話しかけられることなど想定していなかったのだろう。虎獣人さんはぴくりと耳を立て、何度か瞬きをした。なんだか眠たそうな目だ。もしかしたら居眠りしていたのかもしれない。
彼は、しばらく私達を観察してから、金色の瞳に一瞬だけ哀れむような光を浮かべた。それから小さく首を振り、感情を打ち消した声音で言う。
「お子さんを預けに来たのですか? それなら、外に回って向こう側の扉を叩いてください。院長ではないですが、係の者がお話を伺いますから」
「いいえ、違うの。院長さんに会いたいのよ」
逞しい体つきをしているのに、虎獣人さんの動きはのんびりしていてちょっと可愛らしい。もう何度か瞬きをした後、彼はやっと怪訝そうに眉根を寄せた。
「院長は多忙ですので」
「手が空くまで待つわ。それに私達、怪しい者ではないの。院長さんの知り合いなんだから」
私は帽子のつばに指先を添え、軽く押し上げた。権力にものを言わせるのは気が引けるのだけれど、背に腹は代えられない。私は顔面をさらけ出し、驚きに見開かれた金色の目を見据えて言った。
「リザエラが来たと伝えて」
さすがに眠気も覚めたらしく、虎獣人さんは口を開けたり閉じたりを繰り返してから、ごくりと唾を飲み、わたわたと扉の向こうへと飛び込んだ。
「リザエラ様、目立つことしたら後で怒られちゃいますよう」
「それならアリスが災害と
「私は何も知らないんです。本当です」
アリスが、今にも泣き出しそうな呻き声を上げる。しゅんと萎れる兎耳を見ていたら途端に申し訳ない気分になり、アリスを巻き込んでしまったことに後悔を覚えたが、もう遅い。
先ほどの虎獣人さんが、いくらかは落ち着いた様子で戻って来た。若干挙動不審気味だが、なんとか真っ直ぐ歩き、私達を施設内の一室に案内してくれた。
その部屋は、正面入り口の側にある。お城の調度品ほど華美ではないけれど、さすが魔王家からお金が出ているだけあり、一定水準の品位が保たれた内装だった。
応接室なのだろうか、木目を生かした上質そうなテーブルをビロードのソファーが囲んでいる。壁には、いかにもな大きなのっぽの振り子時計。火は入っていないものの暖炉もある。これがなかなか芸術的で、柱の代わりにケモ耳の聖人像のようなものが暖炉上部の炉棚を支えている。ちょっと欲しい。いくらで買えるのかしら。
そんな調子で遠慮なく室内をきょろきょろと見回していた私の耳に猫院長入室の知らせが届く。背筋をしゃんと伸ばして聖女の顔を作った。
「まあリザエラ様。わざわざお越しくださり恐縮です。いかがなさったのです」
猫院長はブルートパーズのような目を丸くして、いそいそと室内に入ってくる。私達の向かい側のソファーに座ると、彼女は灰色の艶やかな長毛に覆われた首を傾けた。
「前回魔王陛下といらっしゃってから、三日経つでしょうか。もしや先日、何か私どもが粗相でも?」
「いいえ、違うの。先日は素敵なおもてなしをいただいて感謝しているわ。今日は突然押しかけてごめんなさい。でも、どうしても聞きたいことがあって」
猫院長は眉毛……があるだろう辺りをぴくりと動かした。私は単刀直入に言う。
「災害と只人の増加について知りたいの」
「なぜ私になど。高貴な宮廷の方々の方がより広い知見をお持ちでは」
「あなたの経験に基づいた話が聞きたいのよ」
「経験?」
「そう。保護院に預けられる子供が増えているのでしょう。只人の増加については身近に接している問題のはず。それに、礼拝堂には多くの人々が集まるもの。災害の噂を耳にすることも多いでしょう?」
ここへ来たのはどちらかと言えば消去法だったはずなのに、考えを言語化にする度に、徐々にもっともらしく思えてくる。この件を訊くには彼女はもってこいな相手だ。
猫院長は私の真意を推し量ろうとするように、値踏みするような目でこちらを見た。少し警戒心を抱いたようで、全身の毛がぶわっと膨らむ。けれどそこはさすが、一施設の長。すぐに取り繕って、いつも通り目尻に柔和な笑みを浮かべた。
「仰る通り、災害も只人も増えていますわねえ」
「やっぱり、
「残念ですが、私などにはわかりかねます。それに、ナーリス様は皇として何ら不足のないご立派なお方ではありませんか」
そうだった。ナーリスは誕生祭で人型を披露して、不完全な皇という噂をばっさりと斬り伏せたのだ。まあ結局最近はもっぱらモフモフ姿なのだけれど、それが私のせいであることは疑いようもない。
私には責任がある。ナーリスのために、住民であるモフモフのために。まずは、この異常現象が皇の不完全と関係しているのか真相を知り、今後の行動を見極めなくては。
世界の仕組みを解き明かし混乱を終息させること、それはきっと私達一家の安全確保に直結する。
「そうね、ナーリスは立派な皇になる。本来なら、何の問題もないはずなのよ。だからこそ、災いが起こっていることが不安なの」
猫院長は少し心動かされたようだ。先ほどよりは心の籠った口調になる。
「ナーリス様との関連はわかりませんが、皇が年若い時分には元々、聖と魔の均衡が安定せず、世界が揺れ動くものなのですよ」
「え、そうなの」
思わず間抜けな声が漏れた。アリスに視線を向けると、こくこくと大きく頭を上下に振っている。茶色く丸い目が主張している。『だから言ったじゃないですか、本当に私にもわからないって!』
「リザエラ様は、記憶を失くされたそうですね」
おいたわしい、と眉尻……の辺りを下げて、猫院長は続ける。
「聖女であるリザエラ様に差し出がましいことを申し上げますが、百年に一度、皇がそのお力を使い切り神樹に戻って聖力と魔力に還る時、自然災害が増加するのは周知のこと。さらに、新たに生まれた皇が無事ご成長されるまでの十年弱は混沌の時代と呼ばれます。今はまさにその時期ですから……」
「じゃあ、最近の異常な現象は、ちょうど百年前にも全く同じように起こっていたの?」
「申し訳ございませんがリザエラ様。百年前のことは私も知らないのです。いいえ、だからこそ、世界中の人々が憶測だけで不敬を吐いているのでしょう」
だから、民衆の無責任な発言など、取るに足らないものですよ、と温かい目で微笑んで、猫院長は続ける。
「神樹から離れた地域で暮らす人々はほとんど皆、只人として生を受けます。皇の状態がどうあれ、遥か昔から変わりません。そして、そうした人々は只人の姿で何不自由なく幸福に暮らしていると聞きます。真に心が不自由なのは、神樹の御許で生を受けた私達こそかもしれませんね」
手がかりは早々に霧となって消え去った。早くも挫折感を覚えた私の目には、猫院長の顔が朧げに霞んでいくように映った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます