9 リザエラとリサ、それからウィオラと彼女の真相②
控えめそうなのに芯が強い。ウィオラの笑みは、スミレが見せる表情とそっくりだった。
でもそれこそ何が何だかわからない。ウィオラはリザエラと一緒に向こうの世界へと転生したというのか。そういえば、リザエラが棺桶の中にいた時期に、ウィオラは暇を取っていたと言っていたから筋は通る。でも、いったいどうして。
目付役だったのかもしれないし、混沌術を維持するために必要なことだったのかもしれない。まあ、どちらにしても、日本の三十年がこの世界の一ヶ月程度の速さで過ぎ去るのだから、転生先に同行しようがしまいがウィオラ本体に大した影響はないのだろうけれど。
いや、それよりも。
「殺そうとしたって……」
「ええ。あなたを死に追いやろうとしたのは私。あなたが死ねば、魂を失ったリザエラ様の身体は腐敗して、普通の死が訪れる。そうすれば、私だけのものになると思ったの」
「何が」
「ナーリス様の、心が」
潤んだ紫色の瞳を見て、彼女の行動の真意がすとんと腹落ちした。リサがリザエラに戻ってから今日まで薄々感じていた違和感の正体がわかった。
思い返してみればウィオラは、私なんかよりもずっと、献身的にナーリスに尽くしてきた。
生誕パーティーの夜、大衆の面前で全裸を晒したナーリスをいち早くショールで包んだのも、エナが花瓶を割ってしまった時にすぐさま駆け寄り抱き締めたのも、全部全部ウィオラだった。
ウィオラはナーリスを誰よりも慈しんでいる。そしてナーリスも乳母を誰よりも信頼している。きっと実の母親よりも。それ以上、いったい何を望むというのだろう。
「ナーリスは、ウィオラを慕っているじゃない」
ほんの少し棘がある声で私は言った。ウィオラはゆったりとした動作で瞬きをした。
「私がいくら愛しても、ナーリス様は、他の誰よりもリザエラ様に愛されたいと願っていました。最初はそれで良いと思っていたのです。でも、スミレとしてあちらの世界で過ごすうち、私の心はどす黒く染まり始めました。あの世界で持てはやされる要領の良さや狡猾さの中に身を置いて初めて、気づいたのです。ウィオラはナーリス様を独り占めすることができるのに、行ったことといえば、律儀にもリザエラ様との仲を取り持つために禁忌を一つ重ねただけ」
「だからリサを消そうと? じゃあのトラックは」
「あれは偶然です。私が計画したのは、リサちんがモフモフオタクであることを会社中に広まらせ、精神的に追い詰めること。そして最後には心を蝕まれて仕事を辞めて、病気にでもなってしまえと……。混沌術に織り込んだ式は、別世界の住人となりぴったり百年後に天寿を全うすれば、リサとしての記憶を持ったままリザエラ様の肉体に戻るという仕組みです。けれどそれが途中で中断されたら」
つまり天寿を全うできなかったなら、混沌術は予定通りには発動せず、リザエラが蘇ることもない。そう思ったのだろうがしかし。
「それでも、リザエラは帰って来たのね」
「はい。記憶を失くされたのはおそらく、無理な形で術が中断されかけているからです。帰って来たリザエラ様がナーリス様に愛情を向ける様子を見て、私はリサちんにしたことを心から後悔しました。もし、リサちんの身体が死を迎えれば、リザエラ様に変化が起こり、ナーリス様をまた悲しませてしまうかもしれません。それを阻止するため、そしてせめてもの贖罪のため、混沌術であちら側の身体を繋ぎ止めていたのです」
中断されかけている、ということはつまり、ウィオラの根回しの甲斐もあり、今でもリサの身体は息をしているのだろう。でも、と私は気づく。日本とこちらでは、時の流れが異なるという。もうそろそろ、リサが生まれて百年が過ぎ、術が完全に機能するのではないだろうか。その時にリザエラの記憶が戻る可能性もあるのでは。
私の表情を見て、考えに気づいたのだろう。ウィオラは小さく首を横に振る。
「申し訳ございません。こうなった今、リサちんが天寿を全うすることでどんな結果が待つのかは不明です」
未来は不確定。だが、これでほとんど全ての経緯が判明した。
愛情と責任感の間で揺れ動き、心を壊しかけたリザエラ。彼女は無条件に犬型ナーリスへの愛を注げるようになるため、混沌術士ウィオラの手を借りて日本に転生。
リザエラ改めリサは、当初の予定どおりモフモフ愛を手に入れて、聖女の身体に戻る日を待っていた。そんなある日、魔が差したウィオラの衝動的な発言により、ショックを受けてぼんやりしていたリサは無様にもトラックにぶち当たる。
強力な混沌術のお陰もあって、天寿を全うすることが確定しているリサは今、意識がない状態で入院でもしているのだろう。そしてその中身である精神はリザエラに戻ったが、予期しない帰還のため不具合が生じ、リザエラとしての記憶を失っている。
これがざっくりとした真相だ。
気づけば法廷内はしんと静まり返っていた。あまりに突飛な話であり、当事者以外の傍聴人の頭の上には困惑が漂っているような気がする。
やがて、静寂を破ったのはリーチ侯爵だ。
「混沌に下った先で様々な確執があったようですが、今重要なのはここにおられる聖女リザエラ様と皇の乳母ウィオラ殿が、混沌術の私的利用をした罪人であるということ。そしてウィオラ殿はエナを……」
そこまで言い、ぐっと唇を噛み締めて、リーチ侯爵は額を抱えた。エナのことを本当の身内のように可愛がっていたのだろう。そんな男に殺人の濡れ衣を着せてしまったことに、今さらながら罪悪感が募る。
そのまま嗚咽混じりに肩を揺らし始めたリーチ侯爵へ視線を向けてから、デュヘルが口を開いた。
「動機はどうあれ、混沌術の私的利用は法を逸脱した行為だ。相手が何者であっても、裁きを与えねばならない」
デュヘルの言葉はもっともだ。国民の模範となるべき魔王の妻が法を犯すだなんて、あってはならないこと。
「最も重刑である終身刑を言い渡すのが妥当だろう」
デュヘルは私の方をちらりとも見ない。法廷内に響く声だけが、彼の失望と怒りを表している。
「塔に閉じ込めるのも良いが一つ提案がある。……彼女らを、混沌に落とせ」
私ははっと顔を上げた。混沌。つまりまた転生するということか。
「な、なぜ?」
「ウィオラは混沌術に精通している。ゆえに、幽閉したとしても予期せぬ方法で脱獄をしたり、この国に害なす可能性がある。そしてリザエラは聖女。いつか悪意を持った何者かが彼女を利用しようとするかもしれない。その点、混沌に落としてしまえば全ての懸念が解消される」
「ですがデュヘル様。いかなる身分の者であれ、重罪人は、死が訪れるその日まで生涯幽閉されるべきです。それに、混沌術を私的利用するのは」
「裁判官殿。これは私的利用ではない。公的利用だ」
断固とした調子で返されて、羊裁判官は「ひゃい」と哀れな声を上げて引っ込んだ。
裁判にここまで干渉して良いのだろうかと思ったが、何といっても彼は魔王。横暴も許されるのかもしれない。
デュヘルの提案は、刑の執行のために混沌術を使うという点以外は理にかなっている。けれど同時に意外でもあった。
リザエラを偏愛しているあのデュヘルが、二度と手の届かない場所へと妻を送り込むだろうか。まあ、裏切られたような気持ちを抱いて大いに失望し、
私は小さくデュヘルの名を呼んだけれど、赤紫色の瞳は結局、私の姿を映すことはなかった。
突然の提案をした魔王の真意を読める者は誰一人としていない。裁判はそのまま、なし崩し的に閉廷し、私達が混沌に下るための準備が迅速に進められた。
翌日、魔力を幾重にも張り巡らせて外部への影響を最小限に留めた、防混沌術仕様の地下室へと向かう。ここから再び、地球に生まれ直すのだ。
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