10 晩餐会の始まりは不穏

 リザエラはナーリスを愛せずに、自ら命を絶ったのだろう。そう結論付けざるを得ない証拠の数々に、その日から私は、ナーリスと積極的に顔を合わせることを控えるようになった。


 相変らずナーリスは私を避けていたし、こちらから歩み寄らなければ、言葉を交わす機会はほぼゼロだ。


 時が過ぎ、気づけばナーリスの誕生祭が始まった。期間は約一週間。最終日にはお城の晩餐会があるものの、それまでの六日間は街がお祭り騒ぎになるだけで、私やデュヘル、ナーリスに役割はない。


 誕生祭の期間中、私は敷地内にある見晴らしの良い塔へと頻繁に上り、街の様子を眺めた。


 カラフルな布が建物の間を繋いでいる。万国旗かと思ったが、あれは国旗ではない。フラッグガーランドというやつだろう。水玉、チェックにストライプと、様々な模様が描かれていて、非日常感が満載だ。


 路地には出店が並び、大人も子供もお祭り騒ぎ。明るい笑い声が微かにお城の敷地内にも届くほど。


 けれど、そんな楽し気な空気を浴びてさえ、私の心は晴れないのだ。祭りの最終日、晩餐会にて、私とナーリスは必ず顔を合わせることになる。その時に、どんな言葉をかけるべきか少しも思いつかない。


 それでも時は無情。私の思いを汲んで時空が歪むことはない。ファンタジーとはいえ、その点ご都合主義にはなってくれないらしい。


 そうこうするうちに、とうとう腹を括る時がきた。今宵、お城で晩餐会が開かれる。


 

「リザエラ様、お綺麗ですよ」

「アリスのおかげよ」


 大きな鏡には、着飾った私と誇らしげなアリスの姿が映っている。私が仕事を誉めると、健気なアリスは満面の笑みを浮かべ、兎耳をぴくぴくと動かした。相変らずモフ可愛いのだが、最近はケモ耳を見るとナーリスのことが思い出されてしまい、心に鈍い痛みが走る。


 人の心の機微に聡く優しいアリスは、私の心の動きを感じ取ったのだろう。ほんの少しだけ兎耳を萎れさせてから、意識して明るい声を出した。


「さあ、今宵は煌びやかな晩餐会です。どうか良い晩になりますように!」


 魔力で扉が開かれる。自室を出て、滑るような足取りで広い廊下を進み、会場となる広間に近い控室へと向かう。そこでデュヘルやナーリスと合流するのだ。


 部屋に入ると、デュヘルがいつも通りの笑顔で迎えてくれた。


 夜会用の上下に包まれた長い手足。普段は額に下ろしているサラサラ銀髪は、今宵は後ろに撫で付けられていてなんだか男らしく見える。いや、元々イケメンなのだけれど、いつもとは違う雰囲気に、不覚にも胸が高鳴ってしまった。


 が、しかし。


 やはり私は筋金入りのモフモフオタク。私の目は、紫色のドレスを纏った乳母ウィオラの腕の中でチラチラとこちらを見るナーリスのおめかしした姿に釘付けだ。


 いつもはフリフリした衣装が多いナーリスだが、今晩は四足歩行用タキシードに身を包み、少しお兄さんに見える。


「ナーリス」


 声を掛けると、茶色い耳がびくりと動き、目を逸らされた。寂しいけれど仕方がない。だってリザエラは、息子を愛せずに死を選んだひどい母親なのだから。


 私は強張る頬をどうにか和らげてから、デュヘルの隣に並ぶ。


「デュヘル様、お待たせしました」

「待ってなどいないよ、愛しのリザエラ。つい一秒前にやって来たところだ」


 嘘をおっしゃい。口を衝いて出かけた言葉を吞み込んで、デュヘルの腕を取る。


「会場で皆さんお待ちのはずですね。さあ、行きましょう」

「ああ」


 控室の一角に、広間へと通じる出入口がある。扉の横に立つのは、私がリザエラとして目覚めた直後に会話を交わした、あの黒猫君だ。彼の名は確かフェールス。いつもデュヘルと一緒にいる。きっと、側近なのだろう。


 黒猫フェールスは私達の顔をちらりと見てから、扉を叩く。会場内に、魔王一家の訪れを告げる口上が響いた。


「ではリザエラ、ナーリスにウィオラ。行こうか」


 どことなく強張った声音で言い、デュヘルはフェールスを目顔で促した。やがて扉が開くと、会場の煌めきと熱気が吹き付けた。


 ふわり、と香水の匂いが鼻をくすぐり、華やいだ空気に胸を躍らせたのだけれど、高揚感は一瞬にして冷え込む。


 赤いカーペットの上を進む魔王一家に、どこか物言いたげな視線が突き刺さる。


 冷たい笑みに弧を描く目、派手な扇の下で交わされる囁き。表立って批判する様子はないが、確かにそこには負の感情が見え隠れする。


 嘲笑、侮蔑、時には哀れみ。


 どうしてこのようなことに。私は大混乱に見舞われた。


 デュヘルはこの国の魔王。リザエラはその妻で、二人が愛し合い、おうを育てることで世界に均衡がもたらされるはず。それなのになぜ、広間でこちらを注視する人々の眼差しはこんなにも冷酷なのか。


 答えは容易に想像できる。きっと、ナーリスが未だにモフモフしてるからだ。少し考えればわかることだったはずなのに、私達が魔王夫妻であり、権力を持っているという事実だけで、誰からも蔑まれることなどないのだと、思い込んでいた。


 広間中で鈍く光るのは、まるで異端を見るような目。モフモフへの愛情がクラス中に知れ渡った時、蒲原かんばらリサが悩まされた眼差しと同じだ。


 私は思わず身震いをした。それに気づいたのだろう、デュヘルが腕を軽く引き寄せてくれる。一人ではない。そのことが、この上なく心強い。


 やがて、いくつかの段を上り、魔王一家の席へと着座する。私とデュヘルの間にナーリスが座り、その背後にウィオラが控える構図だ。


 デュヘルが切れ長の目を細め、広間を見下ろした。普段リザエラに向けるお砂糖増し増しな表情とは打って変わり氷のよう。平常心の私ならば、ギャップに悶えそうなものだが、あいにく今は全身が汗塗れ。はっきり言ってそれどころではない。


 デュヘルは、朗々と響く声で言った。


「今宵は、我らが皇ナーリスの誕生祭にお越しいただき、歓迎する。どうか心行くまで楽しんでくれたまえ」

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