異世界から黄金が溢れてヤバい

高柳 総一郎

金が高くてヤバい

 眩い黄金が目の前に広がっていた。その輝きは人を狂わせる力を持ち、私たちは今までずっとそれを目の当たりにしてきた。


「……ほんとうにいいのか?」


 リリアナはそう口にするが、今更晴子は迷わない。この狂気じみた輝きを闇に葬らなければならない。私たちはそう決めて、ここまで来たのだ。




「金相場の変動がおかしい?」


 経済産業省金融金属取引規制別室は、その名の通り金融貴金属の取締部署であり、ある意味ではマイナーな存在だった。貴金属市場では、租税回避や相場操作を企む者が後を絶たない。特に金相場の急騰には注目が集まっていた。山岸は部下の内藤から、金相場が下落傾向にあるとの報告を受けたが、気にせず回覧文書へ目を落とす。


「そんなこともあるだろ」


 この時期は忙しい。まともに髪を切りに行ったのはいつだったか。山岸はため息をつきながら、コーヒーを流し込む。この部署は経済産業省でも正直なところ閑職といって差し支えない。取締といっても、警察のような捜査権があるわけではない。せいぜいが、市場の観察に留まっている。

 つまるところ、あまり大騒ぎして仕事を増やすような真似はしたくないのだ。


「いえ、それだけではありません……、急落しているんです。しかも、かなりのスピードで」


「はあ? 今は海外でも金相場は上昇傾向だったろ? 何が起こったんだ?」


 山岸は内藤が示したグラフを見て驚愕した。金相場がまるで大事件が起きたかのように急速に下落していた。しかも、この二十四時間で千円以上下がっている。

 特筆すべきは、それが日本国内だけにとどまっていることだ。いずれにしろ、おかしい。


「どういうことだ?  まさかどこかの企業が一気に売却しているのか?」


「それもあり得ますが、だとすればどこが? 市場が動くほどの売却なら、受け入れる側も限られますよ」


「まずいな。……心当たりをあたるか」


 山岸は立ち上がり、すぐに電話をかけた。彼の予想通りならば、すでに情報を掴んでいるはずだ。


「もしもし。松田さんですか? お世話になってます。えぇ、はい。おそらくそちらも掴んでらっしゃるとは思いますが、事態が事態ですので……うちの上司と揃ってお話できればと思うんですがいかがですか?」


 相手の動きもまた早かった。

 一時間後には省内に到着して、部屋にノックを始めていた。


「どうぞ」


 入ってきたのは、スーツ姿がよく似合う黒髪の女性だった。猫背で髪はボサボサ、分厚い眼鏡をかけている。メイクは素人の山岸がわかるほど下手で、そばかすが浮いている。年齢は20代後半くらいだろうか。彼女はへたくそな笑顔で、ギザギザの歯を見せながら名刺を差し出した。そこには『異世界銀行東京本部営業第二課課長代理』と書かれている。


「し、失礼します。私、異世界銀行の松田晴子です。先程、電話でご連絡させていただきました者でひっ、す」


 噛んだのが恥ずかしかったのか、またもへたくそな笑顔を浮かべている。内藤は怪訝そうな顔をしているが、山岸は動じず、部屋の中に入るよう促した。


「はい、お待ちしておりました。どうぞこちらへ。部長、彼女が来られました」


「ああ、これはどうも松田課長代理。早速お話を聞きたいのですが、よろしいですか」


 部屋の中には、山岸のほかにもう一人いた。痩せこけた四十代の男性で、部長の伊藤だ。彼はデスクの向こう側から座るように促し、話を始めた。


「はい、まず最初に、今回の件ですが、あの……その。どこまでご存知でしょうか」


「おそらく君たちとそう変わらんよ。この相場の下落の原因は、日本の金相場に大量の金が入り込んできたことだ。いわば密輸だな。ヴァルハラ産なのは間違いないだろう」


 ヴァルハラとは、二〇一三年に福島県で発見された地割れの中で発見された異世界の入口──その先にある、この地球とは大きく様相が異なる王国のことである。その国では科学文明は未発達ながら、「魔導」と呼ばれる技術体系が形成されていた。魔導はヴァルハラの世界──ちなみに、ヴァルハラには星や大陸、世界そのものに名前をつける文化がないため、政府は仮称として「異世界」と呼んでいる──にのみ存在する大気の成分を媒介としているため、技術の持ち出しはできない。

 同様に、日本側からは異世界の保護のために技術や物品の持ち込みは基本的には制限されている。

異世界銀行は、官民合同の第三セクターとして設立された機関であり、その実態は調査機関である。現在は申請が通った民間企業のみが往来できる段階にあるため、彼らが何を持ち込んだり持ち出したりしているのかを厳しく調査するのが、異世界銀行の役割であり、それを担うのが異世界調査部だった。

 松田は続けた。


「ご、ごぞんじのとおりひっ、異世界銀行では、異世界との取引において、金や貴金属などの通貨の取り扱いには細心の注意を払っています。しかし、今回の件は異例のことです。異世界の金が日本に──それも大量に持ち込まれたということです。その原因やメカニズムについて、私たちは懸念を抱いています」


 伊藤部長は深く考え込んだ後、口を開いた。


「その金を持っている人々は、どうやって入手したのか、把握しているのかね?」


「現時点では詳細は不明ですが、ヴァルハラを行き来できる組織は限られています。わ、私たちは関係者の聞き込みや、異世界銀行の取引履歴の調査を進めていましゅ」


 伊藤は重々しく頷いた。

 山岸にも、ことの重大さは感じられる。金相場は経済の指標と言って差し支えない。それがここまで大きく乱されれば、日本だけの問題では済まないかもしれない。


「異世界の金が大量に流通することで、インフレや通貨の不安定化が起こりかねない。経済のバランスを崩す恐れがある。速やかな対策が必要だな」


 松田はぎこちなく頷き、それでいて淀みなく──今度は予め決めていたかのように話を続けた。


「異世界銀行では、関係各所との連携を図りながら、現在も対策を検討しております。また、異世界の状況についても調査を進め、根本的な解決策を見つけ出したいと考えております」


 伊藤は厳しい表情でそれに頷き、山岸を一度見た。


「それは当然そうだ。慎重に対処せねばならん。異世界にも経済がある。こちらに金がきているということは、必然的に異世界からも金が消えている可能性もある。つまり現地に渡る必要があるのだ。それも一刻も早くね」


「しかし、現地には誰が行くんです? ヴァルハラどころか、異世界そのものに現在渡航制限がありますよ」


 山岸は訝しむ。彼の言うとおり、ヴァルハラに渡ること自体制限がかけられている。政府職員たる山岸でもそれは同じだった。


「だ、大丈夫、です、でしゅ。わ、私がっげ、現地に飛びます、から!」


 松田は目を伏せたまま、分厚い眼鏡を押し上げて鼻息荒く言った。彼女の所属する異世界銀行東京本部営業第二課は、ヴァルハラと日本を自由に行き来できる唯一の組織なのだ。

 異世界からの金の流入が日本の経済に与える影響は計り知れない。異世界調査部は、異世界との取引の安定化とバランスの取れた経済を維持するために奮闘することとなる。

 二つの世界を跨いだ長い戦いの始まりであった。

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