刺客の正体がわからなくてヤバい

 刺客を退けたのは良かったが、二人の間には不安が芽生えた。なにしろ、命をとろうと言う相手だ。それに、リリアナは武名の誉れも高いヴァルハラの有名人。それを殺そうとするのだから、よほどの組織が絡んでいると見ていいだろう。

「とりあえず、ここは離れましょう。もうすぐ日が暮れます、から」

「ああ、その通りだ。宿をとっているのか?」

「いえ、実はまだ……」

「なら都合がいい。貴公、一人にならんほうが良いぞ。私はともかく、貴公があのような輩をなんとかできるとは思わんしな。良ければ私の屋敷に来るといい」



 リリアナは自分の家へと案内してくれた。そこは街外れにある大きな洋館であった。豪邸というほどではないが、一人で住むには広すぎるくらいの邸宅だ。

 門をくぐると、庭師が丁寧に手入れをしている庭園が出迎えてくれた。花壇の花々が咲き誇っているが、その美しさを愛でる余裕はなかった。

 玄関を開けると、中もなかなかの広さがあった。天井は高く、シャンデリアの照明は眩いばかりに輝いている。廊下を進むと、階段があり、二階に続いているようだった。

「ここが私の部屋だ。適当に座ってくれ。茶を用意させよう」

 ヴァルハラにおける茶とは、日本で言うところの紅茶である。リリアナの私室に備え付けられたテーブルの上には、ティーポットが置かれていた。

「砂糖はいくつ入れる? ミルクは」

「お、お任せします。そそ、それより……リリアナさん。あの人たちに心当たりはありませんか」

 晴子がそう言うと、リリアナは一瞬目を伏せて、それから静かに口を開いた。

「それは貴公のほうが詳しそうだがな。……時流れまで使って口封じしてくるような輩だ。よほど大きな組織だ。それにあの印──」

 リリアナは魔導によってヒーターを操作し、湯を沸かし始める。その音はまるで、これからのことを暗示しているようにも感じられた。

「恐らくは貴公と同じ世界から来た組織──というのが自然な考えだろうな。たまたま貴公にも読める文字のような印を刻んだ暗殺者が、あのように示したように来るとは思えん」

「……やっぱり、そうですよね」

「貴公に心当たりはないか?」

「正直なところを言えば、あります。あの字は漢字の『岡』の字です。わ、我が国からヴァルハラには、渡航するためにはた、大変厳しい条件があるんです。つまり」

「その『岡』という文字を持つ組織は少ない、というわけだな?」

  晴子は頷き、カバンからタブレットを取り出して操作する。出てきたのは、ヴァルハラへの渡航を許されている企業や組織のリストだ。

 ちなみに、組織に所属していない個人によるヴァルハラへの渡航は禁止されている。また、日本国籍ではない人物の入国も厳しく制限されている。

 そのリストを見て、リリアナは顔をしかめた。

「随分と数が多いのだな……」

「えっと、このリストにある会社だけで、およそ千社以上はあると思います。こ、これでもだいぶ絞ったほうなんですよ」

 岡崎、岡野といった単純に『岡』の字を使う名前から、鋼業のように部首の中に含まれることもある。

 日本語は複雑なのだな、とリリアナはどこか感心したように呟いたが、これでは何もわからないのと同じだった。しばらく沈黙が続いたあと、リリアナは言った。

「とにかく、まずは落ち着くことだ。お茶が入ったぞ。冷めないうちに飲むといい」

 リリアナはカップに注がれた紅茶に、ミルクを注ぎ砂糖を入れる。優雅にそうしている彼女を尻目に、晴子はリストとにらめっこしながら、一気に飲み干した。

「……はぁ」

 一息ついて、晴子は大きくため息をつく。少しだけ、冷静さを取り戻した気がした。

「明日はどうする? これではまだ何もわかっていないのと同じだろう」

 リリアナの問いに、晴子はすぐに答えられなかった。彼女の言う通り、今のままでは打つ手がない。しかしここで諦めるわけにはいかない。

 晴子がヴァルハラへやってきたのは、ただ観光するためではなく、仕事のためなのだ。

「大丈夫、です。こうなったらとことん調べます。なんでもいいから手がかりが欲しい、です」

「手がかりか……金の保管は確認できた。ならあとは、採掘を見に行くと言う手もあるが──仮にそこになにかあるとしても時間がかかりすぎる。そうだな……貴公の世界では、金の精錬はどうやって行うのだ?」

「 そりゃあ、熱で溶かして不純物を取るんですよ。他には、たしか電気分解させるとかもあります。き、企業によっては、不純物の入っていないものを作ることだってで、できるんです」

「なるほど。炎で一気に溶かすのか。危険だが道理だな」

 妙な物言いだった。金は古代から存在する貴金属で、その輝きと重みそのものに価値が見出されてきた。

 なおかつ金は稀少で、取り出すための方法もそう多くない。だからこそ価値があるのだ、といえばそうだ。

 そういえば、ヴァルハラではどう金の精錬を行っているのだろう。黄金の心臓で見た金貨は、磨かれたように美しかった──。そこまで考えて晴子は気がついた。もしかすると、あの美しい黄金は、日本さながらに金を純度高く精製したものなのではないだろうか。

 金は酸化しやすい金属である。酸素に触れることで黒く変色し、やがては錆びてしまうのだ。それを防ぐためには、金そのものを高温で焼く必要がある。しかしリリアナの物言いでは、炎すら使わないような言い草ではないか。

「ヴァルハラでは、金は一体どう作っているんですか?」

 リリアナはそれを聞いて少しいたずらっぽく笑った。普段の騎士らしい生真面目さが薄れ、友人のような気さくさが顔を覗かせる。

「今話しては面白くなかろう。ならば、明日はそれを確認しに行くか。我が国の誇る錬金ギルド『アカディア』を案内しよう」

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