襲撃されてヤバい

「貴公、気づいているか」


 リリアナは黄金の心臓を後にし、大通りを抜けて裏道へ入るやいなや、小声でそう言い放った。晴子は無言のまま、周囲を見回す。

 彼女の言う通りだった。先程までまばらにいた通行人が、今は誰一人として歩いてはいない。まるでゴーストタウンのようだった。晴子は背中を冷たい汗が流れるのを感じた。

 彼女の本能は、危険を感じ取っているのだ。

 だが、そんな彼女とは対照的に、リリアナの顔色は明るく、どこか嬉しそうな表情をしていた。


「気づかぬか?」


「な、なんですか……?  私、怖いんですけど……」


「案ずるな。私がいる」


 リリアナは腰に下げた剣の柄に手を置くと、自信満々といった様子で歩き出した。


「後ろを向くなよ。どうやら我々は『黄金の心臓』を出てからつけられている」


 それを意味することが分からぬほど、晴子は鈍くなかった。彼女は生唾を飲み込む。


「ど、どうして……」


「わからない。しかし、我々を尾行していることは間違いない。今、我々の周りを囲っているのは五人ほど。おそらく、こちらの動きを探りに来たのだろう」


 リリアナはそう言うと、くるっと振り返り、剣を一気に引き抜いた。それはまさしく、宣戦布告であった。


「『光焔』リリアナ・ユーディスに用があるのなら今聞こう。だが危害を与えようと言うなら、容赦せんぞ。命を賭してくるがいい」


 その言葉に呼応するように、物陰に隠れていた男たちが一斉に飛び出してきた。全員が黒い外套を羽織っており、その顔には黒い布を巻いていた。その風貌はまさに、暗殺者と呼ぶにふさわしいものだった。

 リリアナの姿を認めたのか、先頭の男が懐からナイフを取り出し、刃をぎらつかせる。


「……愚かな。卿ら、己の分というものを知らんと見えるな」


 男達は何も言わず、ただ静かにリリアナの隙を伺う。リリアナはつまらなさそうにため息をつくと、その燃えるような赤髪をかきあげた。


「手加減はできぬぞ」


 リリアナはそういうと、地面を強く蹴り上げ、疾風の如く駆け出す。あまりの速さに残像すら見えてくるほどだった。

 一瞬にして距離を詰められたことに動揺したのか、黒装束の男達は慌てて短刀を構える。しかし、彼らの攻撃がリリアナに届くことはなかった。男の振るったナイフが宙を舞う。次の瞬間、男は首筋に強い衝撃を受け、その場に倒れ伏した。流れるような舞い──剣の切っ先が流星の尾を引くように襲撃者達をの間を縫うように通り抜ける。

 他の仲間も異変を察して飛びかかるが、同じように地面に倒されていく。まるで、そう仕向けられたかのように、機械的に──彼らは全員、瞬く間に制圧されてしまったのだ。


「峰打ちだ。死にはせん」


 リリアナの剣はヴァルハラには珍しく片刃であり、戦時でなくなった今となっては、相手を殺さず制圧する技術に特化している。晴子はその鮮やかな技に見惚れていたが、ハッと我に帰ると、急いでリリアナの元へと駆けつけた。


「リリアナさん! だだだ…… 大丈夫ですか」


「問題ない」


 リリアナがそう言って剣を納め、改めて男たちへと近づいてゆく。彼らは気絶しているだけのようで、死んではいなかった。

 晴子もほっと胸を撫で下ろすと、倒れた男の一人に近づき、顔を覆っていた黒い布を取り払う。そこには二十代後半くらいの若い男の顔があった。


「何者だ? どうやら我が国の出身のようだが」


 リリアナの問いにも答えようとせず、男は苦しげにうめき声を上げるだけだった。

 次の瞬間には、男たちの様子がおかしくなった。肌は枯れるように瑞々しさを失い、加速度的に歳を取っていく。

 明らかに魔導によるものだ。


「時流れか。酷いことをする」


 彼女は小さく呟いた。


「リリアナさん、ここ、これは……」


「もう助からん。貴公は知らぬかもしれんが、魔導には肉体操作が可能なものもある──しかしここまでされれば、命がない」


 ヴァルハラでは、時間の流れを操作する魔法は禁忌とされている。リリアナは哀れみの目を彼らに向けた。


「いわゆる流星だな」


 流星とは、ヴァルハラでいうところの『望まぬ死を人為的に運命づけられ、命を賭す者』を指す隠語である。晴子はリリアナの言葉を聞きながら、彼らが身につけていた外套を手に取った。その裏地に縫い付けられた紋章を見て、眉をひそめる。


「紋章──?」


「フウム。どうやら組織立った行動のようだな」


「わ、わわ……私達を殺すために送られてきた刺客ということでしょうか」


「そうだ。しかし、回りくどいやり方をする。それに、これだけの人数を揃えられるのであれば、もっと効率的な方法もあるだろうに」


 リリアナは少し考えを巡らせ、現段階での結論を出した。


「脅し──か? まさか。まだ我々は単に金についての現状確認をしただけなのに」


「ど、どういうことなんでしょう」


「この者達は、我々の動きを制限するための牽制かもしれん。我々を本気で排除するつもりなら、こんな中途半端なことはしないはずだ」


「確かに……そうですね」


 リリアナの推測は的確だったが、それ故にわからなくなってきた。日本の金相場は大きく揺れ動いている。そして、ヴァルハラではその一方で、金が流出したような事件性は感じられない。自分たちの行動が、命を奪われるような緊急事態を生むとは、どうしても思えないのだ。


「リ、リリアナさん。金の存在は確認できました。それでも、わたしはこの状況──変だと思います」


 晴子の真剣な眼差しに、リリアナも同意を示す。


「我が国から金が流出していないだけなら、単に貴国の問題で済むだろう。しかし、先程のようにこのわたしに刺客が差し向けられ──あろうことか失敗した者に口封じのように時流れされるまでされるのは気に食わん。これでは我々に調べてくれるなと言っているようなものだ」


 リリアナは老いてその命を散らしていった男たちが握っていたナイフを持ち上げ、その柄を確認し始めた。


「ヴァルハラにおいて、刃は戦士の証だ。どんな身分の者でも、戦士ならば名誉を授けられる。逆に言えば、戦士として認められるためには、己が戦士であることを証明せねばならぬ。刃に刻んだ印は、戦士の身を証明するものだ」


「身、身分証明書のようなものですか」


「貴国風で言うのであればそうだ。己の家や、所属するギルド──戦士ならば己の刃に多くの印を刻む。その中で共通するものがあれば──」


 リリアナはそう言いながらナイフの腹を指でなぞり、ある一点で止まった。そこには何か文字のような跡があったが、既に掠れて消えかかっていた。


「ふむ。わざわざ消しているとは──問題はこれが読めるかどうかだ。読めたとしても意味がわからなければそれまでだが……晴子殿、貴公はこれをどう思う」


 晴子はリリアナが指差したその印を見る。彼女は驚いた。『読める』のだ。ヴァルハラでは古代ブリティッシュ語に似た言語体系が使われているが、似ているだけで同じ文字は存在しない。日本語話者である晴子はヴァルハラ語は全くわからない。あくまでも魔導によって、ヴァルハラの人々が日本語を理解し話しているだけなのだ。

 つまり、ヴァルハラ語で書かれた文字は晴子には理解し得ない。当然、戦士の身を証明する印など、読めるはずもない。

 しかしそこには確かに漢字で『岡』の字が刻まれていた。


「これ……わ、わたしにもよよ、読めます!」


「つまりこの男どもは、貴国の組織に所属する我が国出身の戦士ということになる」


 リリアナは淡々と言葉を紡ぐ。しかし、彼女の顔には怒りにも似た感情が浮かんでいた。それは鉄面皮と言ってしまって良い彼女が初めて見せた表情だった。

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