研究は奥深くてヤバい

 大綱グループは、ヴァルハラ郊外に設定された経済特区──その広大な敷地の中にいくつもの工場を抱えている。

 その中でも一番巨大なのは、やはりロードの中心にある、大綱工業本社ビルである。この中にある彼主導のギルドにレイヴンは勤めており、また彼が今回の事件に関与しているという疑いも強い。

 晴子とリリアナは早速調査を開始することにした。二人はリリアナの顔をもって敷地内への入場を許可され、ビルへと向かう。

「まずは、そのレイヴンという人物について詳しく知りたいですね。どのような人物なんですか?」

「……あまり思い出したくはないが、すくなくとも奴は英雄などではない。開発した経典で、戦争終結のきっかけを作ったのは間違いないがな」

 リリアナによれば、レイヴンは大量破壊兵器となりうる経典を多数開発したことで批判を浴び、終戦直前からずっと逃亡生活を続けていたらしい。そして終戦後は、彼の経典が引き起こした大虐殺の責任を取るためと称し、自ら処刑されることを望んだという。

「だが、それは表向きの話だ。実際には、戦争終結後、大綱グループの幹部肝いりで今から行く錬金ギルド『大平和会』のギルド長に収まった。人殺し用の経典をいくつも作って、悪びれもせず共有するような男だ。ろくでもないことはたしかだろう」

 大平和会。日本で言うところの企業スポンサー付のNPO法人であり、魔導の平和利用を目的とした研究機関。レイヴンはそのトップにいるのだ。

 晴子は自身の推理が形を成して行くような気がして、心臓が脈打つのを感じていた。大綱工業本社ビルの受付嬢に話しかけると、彼女はすぐに内線魔導をかけてくれた。するとほどなくして、中年の男性が姿を現す。どうやら、彼がレイヴンの上司にあたる人物であるようだ。

「はじめまして。私は大綱工業の専務を務めております、大綱修三と申します。大平和会のレイヴンさんにアポイントメントということで……異世界銀行の方と伺っておりますが」

「はい。わ私、異世界銀行の東京本部営業第二課課長補佐のまま、松田晴子と申します。こちらはヴァルハラ騎士団長のリリアナ・ユーディスさん」

「突然の訪問で失礼する。卿らの都合も省みぬことではあるが、急を要する故、レイヴン殿に目通り願いたい」

 大綱は一瞬眉をひそめたが、何かを察したのか、二人をレイヴンの元へと案内してくれた。

 通された先は、地下の研究室であった。大綱工業の研究棟の中でも、特に機密性が高く、厳重に管理されている区画のようである。この経済特区では、異世界の物質を使い、日本の技術で建物を立てるといった試みも行われているので、その一貫だろう。

「レイヴンくん。お客さんだぞ」

「ああ、そうか。わかったよ。いまいく──」

 白衣を着た、三十代後半ほどの痩せ型の男性。ぼさぼさと伸びた髪は脂ぎっていて不潔感がある。彼は大股でこちらへと歩み寄ってくる。

 戦犯だなんていうので、てっきりリリアナのような武人じみた男かと思いきや、理系の研究者のような印象だ。しかし、その瞳の奥には、狂気にも似た光が宿っているように思えた。

「それで、用件はなんだ? 俺は忙しいんだ。手短に済ませてくれないか」

 晴子はごくりと唾を飲み込む。そして意を決して、話を切り出した。

「レイヴンさんは、な、なんの研究をさ、されているんですか?」

「俺の研究に興味があるのか。わざわざ御苦労なことだ。魔導の平和利用だよ。……といっても曖昧すぎるか。具体的には、時流れと時登りの有機生物への使用の是非について、だ」

「貴様、まだそんなことを……!」

 リリアナが激昂し、剣を抜こうとする。それを慌てて止める晴子。

「ま、待ってください! どういう意味ですか?」

「そのままの意味さ。君も見ただろう。対象を老化させる魔導を。まさか脅しをかけてやっても構わず来るとは思わなかったが」

 まさかと直感し、晴子は振り返るが、専務の姿はもうない。罠だ。しかし何かが起こるより疾く、リリアナは駆け出していた。

 晴子がレイヴンの方に目を向けると、既に彼は完全に拘束され、地面にねじ伏せられていた。その手の先には、開いた経典が虚しくページをめくっている。

「愚かなことを。研究者のお前が一対一で私に敵うと思ったか」

「やめろ、お、折れる……!」

 リリアナは容赦なく、レイヴンの腕を踏みつける。彼の腕は軋む音を立て、悲鳴を上げていた。

「や、やめてくださいっ!」

 晴子が叫ぶと、リリアナはぴたりと動きを止める。

「……いいのか?  こいつのせいで私と貴公は狙われたのだぞ」

「そ、それはそうで、です。で、でも、事件のことが分からなくなりましゅ!」

 晴子は噛み噛みになりながらも、伝えるべきことをなんとか押し出した。リリアナもそれには同意だったようで、今度は刃を首に押し付けてレイヴンに凄んだ。

「晴子のとりなしだ。いわば貴様は彼女に命を救われた身。首と胴をそのままにしておきたくば、彼女の問いに正直に答えろ。わかったな」

 レイヴンはこくりとうなずくと、晴子に向き直った。

「さっきも言った通り、俺は魔導を研究している。それも、戦争に使うためじゃない。人類の恒久的な繁栄のために、魔導の可能性を探っていた。そしてその可能性のひとつが、時間の操作──時流れと時登りの応用範囲の拡大だ。今までは無機物にしか使ってはいけなかったが、そんなものは常識に囚われた愚かな行いだ。もっと積極的に有機物にも時の魔導を使うべきなんだ。食べ物に時登りを使えば、腹を壊さずにたくさんの食料を備蓄できるだろう!?」

 熱っぽく語るレイヴンだったが、晴子とリリアナはきょとんとしていた。

「……それだけか?」

 リリアナの問いかけに、レイヴンは少し苛立った表情になる。

「そんなわけないだろう。人間に使えば不老長寿が実現する。より簡単な経典で誰もが使えるようになれば、死ぬことに怯えずに済むんだ」

「それで? 研究は完成しているのか」

「人類の永遠のテーマだぞ。それに生物は日本から提供された情報によれば、無数の色んな種類の有機物で構成されている。時流れは全てを一気に歳を取らせればいいが、時登りの場合は当然体が正常に動かないとやる意味がない。適切な方法を生み出すには、この俺ですら生きているうちにできるかどうか……」

「つまり、まだ成功していないということだな?」

「……そうだ」

 レイヴンが渋々認めると、リリアナは深く息を吐き、剣を収める。そして晴子に耳打ちした。

「あてがはずれたかもしれん。こいつは確かに時の魔導を研究しているが、偽金のことは知らぬかもしれんぞ」

 晴子は頷きながら、レイヴンの前にしゃがみこんで話しかける。

「あの、貴方の研究のことはよくわかりました。私達実は、あなたの錬金ギルドが偽の金を作ってるんじゃないかと疑っているんです」

「……ああ。そういうことか」

「心当たりがあるのですか?」

「あるも何も……ここはあくまで新素材の開発と、その輸送方法についての──」

 その時だった。突然研究室にけたたましい警報が鳴り響き始め、晴子は思わず飛び上がる。

 放送を聞くなり、レイヴンの顔色がみるみると青ざめていく。

「緊急警報だ……まさか侵入者か?」

 リリアナはそれをきいてピンときたようで、レイヴンの手を引っ張る。

「な、何を!」

「貴様、さっきの専務に我々のことをなんと言われたんだ」

「は? そりゃ『時流れの研究についてバレたから、ついでに研究対象にしてしまえ』って……」

「貴様は馬鹿だ!  奴は貴様を囮にして逃げたのだ! なんなら貴様ごと始末するつもりだぞ。我々を下手人に仕立て上げてな!」

 リリアナの言葉を聞いて、晴子もようやく理解した。

「わ、私たちがレイヴンさんを殺したことにすれば、大綱グループに捜査の手を入れづらくな、なります!」

 逃げるしかない。レイヴンはおそらく、この事件のからくりを知っているが、それ故に被害者でもあるのだ。彼が死ねば、この事件は闇の中に葬られてしまう。

 逃げなくてはならない。

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