逃走は大変でヤバい
三人は逃げた。ただでさえここは相手の領域だ。始末するつもりだと分かれば長居する必要はない。
「おい待て! どこへ行く気だ!?」
レイヴンは必死に呼びかけるが、リリアナも晴子も止まる気配はない。廊下を走り抜け、階段を駆け下り、とにかく遠くへ。特にレイヴンは焦っていた。
自分だけは安全だと思っていた。新金属の開発に伴う輸送問題──古代の錬金術による失敗作であるそれを日本に運ぶために、時の魔導を応用する。画期的な考えだったし、理論上では可能だった。
すでに数度の輸送に成功し、大綱グループは研究費用も出してくれた。順風満帆のはずだった。この女たちが来るまでは──。レイヴンは二人を追いかけて走り出す。
「お前ら……絶対許さんぞ!」
「黙らんか! こっちは貴様のお陰でどうなるかわからんのだぞ! 首を落とされんだけマシだと思え!」
リリアナの怒声にレイヴンは怯む。自分は後方支援がメインだったが、彼女は前線で数多くの武功を立てた本物の英雄だ。胆力も並ではなかった。
「リリアナさん、ど、どこに逃げましょう!?」
「私に聞かれても困る! レイヴン! 貴様はここでの仕事は長いのだろう? 何か抜け道はないのか!」
レイヴンは少し眉根を寄せて考えを巡らせる。そして一つの答えを導き出した。
「そういえば、地下の隠し通路があったはずだ。そこを使えば地上まで出られるかも……」
「よし、案内しろ!」
リリアナはレイヴンを腰から小脇に抱え込み、そのまま走る。晴子はその後ろをついていった。
「一体何なんだ! お、俺は時の魔導について研究していただけなんだぞ!」
「その時の魔導が、や、や厄介なことに使われているんです、しゅ!」
晴子はまたも噛んで、ふるふると頭を振りながら、解説した。
「こ、ここは新金属の開発が行われていたんですよね? そそそ、それはもしかしなくても『金に組成が良く似た』ものだったんじゃありませんか?」
「あ、ああ。その通りだが……それがどうかしたのか?」
リリアナは息も切らさず、まるで止まって話し続けているかのようにそれに口を挟んだ。
「レイヴンよ、貴様は本当に大馬鹿者だ」
「な、なんだ急に」
「いいか、新金属の性質は、似ているどころかおそらく金そのものなのだ。時の魔導はその輸送に使うための手段に過ぎん。それが確立してしまえば、用済みになるのは想像に難くない。貴様は使い捨てられたのだろ」
「……たしかに、時の魔導によって新金属──ガルディウムというんだが、軽量に圧縮し、時登りによって再構成できるようになったが、しかし……時の魔導はもっと可能性がある魔導なんだぞ! まだ解明されていないことも沢山ある! もっと利益だって生むはずなんだ! それを、それを……!」
レイヴンは涙を浮かべて訴える。リリアナは彼の言葉を遮るように言った。
「レイヴン、晴子は自分の故郷にそのガルディウムとやらを持ち込まれたせいで、迷惑を被っているのだ。我々ヴァルハラの民としては、そのような不名誉を被るのだけは避けたい。だから、頼む。晴子の故郷の経済を守りたいのだ。ヴァルハラの誇りのために、その力を貸してほしい」
レイヴンはそれを聞いてハッとした。自分の研究が誰かの役に立つ。かつて戦犯扱いされ、絶望のうちに彷徨った末、大平和会のギルド長に抜擢され、それを引き受けたのは、そうした感謝に魅力を感じたからではなかったか。そんな当たり前のことが、彼の心を落ち着かせた。
「分かった。俺に出来る限りのことをしよう」
「ありがとうございます。ほ、ほんとうに助かります!」
晴子が深々と頭を下げたので、レイヴンは思わずドギマギした。どうやら女性のことが得意ではないらしかった。
「さて、問題はここからどうやって脱出するかだな。おい、レイヴン。地下通路とはここか? 行き止まりにしか見えんが」
リリアナはレイヴンをその場で手を放して下ろす。床に放り出された彼はなんとか立ち上がり、二人を先導する。
「そうだ。この壁の向こう側に階段がある。そこを降りれば地上に出られるはずだ」
「そうか。ならば早速行くぞ。時間がない」
「はい!」
リリアナはレイヴンが示した壁の前に立ち、蹴りを放った。よほどの威力だったのか、壁はいとも簡単に穴が開く。かびくさい臭いと共に階段が現れ、彼女は小さなカードを取り出して経典を唱える。小さな光の玉が宙に浮き、地下通路への道を照らした。
「うむ、これなら迷うことはないだろう。行くぞ」
三人が地下通路へ足を踏み入れる。レイヴンは直後振り返り、ノートを取り出すと経典を唱える。崩れた壁がみるみるうちに戻り、元の形へと完全に姿を取り戻した。リリアナはレイヴンの手を取り、彼を前に歩かせる。
「レイヴン、貴様が先導しろ。……言っておくが、私はすぐには人を信用せんタチでな。柄に手は置いているし、怪しい動きをすれば斬る」
「俺も元々は軍人だ。その程度は分かってる。安心してくれ」
晴子はそんな二人の会話を聞きながら、リリアナを見る。晴子自身もそうだが、少し疲れているように見えた。
だが彼女の瞳にはそれ以上に確かな覚悟が宿っていた。晴子はそれに気づき、少しだけ胸を痛めていた。日本のためとはいえ、異世界の住民であるリリアナに苦労をかけているのだから。
「……リリアナさん、大丈夫ですか? お疲れのようでしたら……」
「問題ない。それよりも急ごう。一刻も早くガルディウムの流出を止めねば」
「は、はいっ」
二人は、レイヴンの案内の元、地下通路を走っていた。先頭を歩くのはリリアナ。晴子を庇いながらも、彼女より一歩先を進み、周囲に目を光らせている。
「もうすぐ出口だ。あの扉を出れば、外に出られる」
「分かりました。リリアナさん、も、もうすぐみたいです」
「あぁ、急ぐぞ」
三人は小走りになり、ついに外へ出た。そこは森の中だった。鬱蒼と茂った木々が、日の光を遮っている。森の奥から、鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「ここはどこでしょうか……?」
晴子があたりを見回すが、大綱グループの本社ビルは見えない。ここまで木が高いと仕方ないことだが──。
「おそらく、大綱グループの敷地内だろう。敷地も広大だからな」
レイヴンは油断なく、かつての従軍時代を思い出すように、周囲の警戒を続けていた。その時、晴子が指を差した。
「ああ、あれって、ひ、ひひ人じゃありませんかね?」
木々の間に、黒い人影が現れ、すぐに姿を隠した。よく見ると、他にも数人の黒いローブを着た者たちが動いている。
「なんだ、あやつら──」
「まさか、大綱の関係者か……」
レイヴンはそう呟くと、ノートを構えた。彼程の使い手であれば、すぐに時流れを放ち、相手を死に至らしめることは容易い。
「待て、レイヴン。お前は下がっていろ。私がやる」
リリアナは剣を抜き、構えた。殺せば情報が得られなくなる。それに、万が一彼が裏切ればリリアナに対抗手段がない。
「しかし、相手は得体の知れない奴らだぞ」
「ふん、心配するな。貴様、私を誰だと思っている。ヴァルハラ騎士団名誉騎士団長──『光焔』のリリアナを舐めてもらっては困る」
彼女は覚悟をとっくに決めて、あたりに響き渡るほど大きな声で、名乗りをあげた。
「己が所業に後ろめたき儀があるもの、道を開けよ。──我が剣、覚悟なきものにはちと重いぞ!」
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