馬は力強くてヤバい
足音が消え、ドローンの駆動音が遠くなった頃、晴子とリリアナは行動を開始した。まずはリリアナの傷を癒し、体力を回復させる必要がある。重症でこそなくなったが、常人なら昏倒するであろう電撃を食らったのだ。油断は禁物だった。
「晴子。大綱グループの敷地を出れば、経済特区から抜けられるはずだ。最悪貴公だけでも日本に帰り、ガルディウムのことを伝えるのだ」
「そ、そんなの嫌ですよ! あなたを置いていくなんて……」
「馬鹿を言うな。このまま二人とも捕まってみろ。日本は文字通り沈没するぞ。それに、ガルディウムのことが公になれば、我がヴァルハラの恥をさらすことにもなる。私にはそれが耐えられん」
リリアナの瞳は真剣そのもので、そこには強い決意と覚悟が秘められていた。彼女はゆっくりと立ち上がると、服についた汚れを払う。
「それに今の話は最悪の想定をしたまでだ。ヴァルハラの騎士として、貴公を必ず日本へ送り返す。もちろんガルディウムについてもケリをつける。……晴子、まずは王都中心へ戻り、検疫検閲局に向かおう。ガルディウムについて警告せねば」
「でも、どうやって戻るんですか? みみ、見つかったら大変なことに──」
「何を言う。簡単な話だろう。今はレイヴンが時間を稼いでくれている。なれば押し通るのみよ」
リリアナは刃に刻んだ経典を指でなぞり、唇の中で強く唱える。経典を使えば体力を消耗する。ましてや彼女は先程重傷からなんとか復帰したばかりだ。
それでも、彼女は経典を唱える。騎士としての矜持が彼女を支えているのはもちろんだ。
しかしなにより、彼女は──ヴァルハラで一番と言って良いほどの、
「息を止めていろよ晴子! 熱気を吸い込めば肺を痛めるからな!」
「えっ!? は、はい!」
リリアナは両手で剣を構えると、それを風車のように回転させながら横薙ぎにした。瞬間、凄まじい突風が発生し、木々を押し倒し、大地を削り取り、炎が一つの直線と化して道を作った。
「行くぞ!」
リリアナと晴子は、一直線の道を駆け抜ける。後ろからは異変を察したドローン達が追ってきている。しかし彼らが追いつく前に、晴子の視界は開けていた。
そこは、うまい具合に駐車場──もちろんヴァルハラには自動車などないので馬車だが──になっており、その先には巨大な門があった。
「しめた! この馬車はカラだ!」
リリアナは御者席に飛び乗ると、晴子の手を引っ張り助手席に乗せる。鐙に繋がれていた馬車の固定具を剣で叩き壊す。白い馬は異変を察したか、一声大きく嘶いた。
すかさずリリアナが鐙に飛び乗り、晴子を後ろへと誘う。
「振り落とされるなよ!」
「わわ……わたし、馬なんて初めてでぇ!」
「安心しろ! 私は馬術も一流だぞ! ハイヤーッ!」
腹を軽く足で蹴ってやると、これまた馬はどうやらおそろしいことに巻き込まれたらしいと、悲観的に嘶きながらも歩み始め、徐々にトップスピードに達した。
晴子が門番達に目を向けると、彼らは慌てて敬礼し、「お疲れ様です!」と叫んだ。どうやら顔パスらしい。
「ここは一体?」
「関所だ。どうやらうまい具合にこちら側に出られたらしい。この先はヴァルハラの王城と城下町だ」
ドローンはすでに姿を消していた。さすがに王都へ入ることはしないようだ。リリアナの言う通り、城門を抜けてしばらくすると、立派な町並みが広がっていた。
中世ヨーロッパのような煉瓦造りの建物が立ち並び、道路にも石畳が敷かれている。
その中を、馬が蹄を鳴らしながら走る音は、とても心地よいものだった。
「い、急がないと……」
「任せろ。この馬は中々の馬だ。まばたきする間に着いてしまうぞ」
リリアナの言葉の通り、あっという間に到着した。王城の前には大勢の兵士がおり、その真ん中には、一人の男が立っていた。男を認めると、彼女はその前で馬を停止させた。
「リリアナさま! 一体何ごとですか!?」
「久しいな、ロゼッタ。馬上から失礼するが、火急の要件がある。検疫検閲局に伝えねばならぬことがあるのだ。すぐに案内してくれ」
ロゼッタと呼ばれた男は彼女のただならぬ様子に異常事態を感じ取り、二人を案内するように背を向けた。
「一体何があったのですか?」
「うむ。旧交を温めたいのはやまやまだが、急いでいる。我が国との友好国である日本の危機だ。一刻を争う」
「わかりました。何か大変なことが起こっているようですな……松田殿もご武運を祈ります」
彼は胸元に手を当て、目を瞑った。それは彼が信じる神への信仰の証だ。晴子も見様見真似で同じポーズを取り、頭を下げた。
「ありがとう。卿の忠義に感謝する」
そうして二人はようやく、ヴァルハラ国検疫検閲局へとたどり着いたのだった。
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