あの凶悪魔神娘を嫁にします( 予定調和)

山野陽平

オープニング スキップしますか?

第1話 恋に堕ちて

 絶え間なく起こる戦乱の中、今回の争いは特に激しかった。毎日大地に轟音が鳴り響く。街は壊れ、森は焼かれ、弱き生物は息絶える。空は龍神族や魔神で溢れ、大地には武装した人間が歩き回る。


 川は枯れ、大地は痩せ、人が住む世界はいいところなしの状況だった。それは龍神と人が住う地上世界。そこに魔界から魔神達が攻め込んできたのだった。


 そこにまた裏切るやつとか、独断で勝手な行動をとるやつとか、同族で争うとか、もう混沌としていた。迷惑なのは人間達。王や諸侯は徒弟を組み、強固な城壁を築き、甲冑で武装して、鍛え上げた武道や魔法を駆使して侵略者や破壊から逃れようとするが、やはり人の理の外に属する暴力に、真っ向からなす術はなかった。


 オーラント公国ブルフィン候領、南西の村、オカラリンタル-ペペラミナーラル。54年前にペペラミ村とナーラル郡が合併した村だ。しかしそれでもしっかり過疎化が進んでいる。人口は500人ほどで、ほとんどが小作人だ。



 その村の裏手の山の斜面で、黒髪の男は呆然と立ち尽くすしかなかった。痩せこけた中背。身体にはボロボロの衣服をまとっていた。目が青く鼻筋は通っているが、肌は真っ黒に焼けて黒い。


 なんて事だ。自分の村が燃えている。


 山から吹き荒ぶ風は龍神や魔神が放った炎を燃え上がらせ、山村を赤く包み込む。


 明日から住む家もない。耕す畑もない。食べるパンも黒焦げだ。


 彼に家族はいなかった。生まれもっての小作人。生涯22年間、ここの地主の奴隷で、なぜここにいるのかも分からない。与えられた木の小屋で寝泊まりし、朝になると鐘の音で起きる。ブーツを履いて、もう一枚だけある服に着替えて外に出る。クタクタの帽子も被るがほとんど日除けにならない。昼には地主の奥さんからパンと塩のスープが配られる。彼と同じような生活をしている者がたくさんいた。日が暮れるとまた村に鐘が鳴り、みんなそれぞれの小屋に帰る。夜も硬いパンと、野菜スープ。僅かながらの給金で、たまにエールを飲む。それが毎日。普通だ。


 地主の立派な家も燃えていた。もう崩れてなくなりそうだ。空にはさっきまでいた影はいなかった。それらは竜であるか魔神であるかも分からなかった。なんせとてつもない速さで飛び回っていたから。

 

 あんな村を燃やしてもやつらにいい事なんてないだろう。きっと争いの火の粉が散ったに過ぎない。気にも留めていないだろう。なんて事だ。


 彼は地主からセインと呼ばれていた。誰がつけた名前かは分からない。番号とか記号みたいなものだ。セインは燃える火に魅せられるように村に歩いていく。木や灌木を避けながら、裸足で、先程必死で駆け上がってきた斜面をよたよたと歩いて降りた。


 足は傷だらけで、クタクタの服は木で引っ掻いてもうぼろ切れ。顔も舞い上がるすすで真っ黒。


 みんな死んだのか。涙は出ない。考える事を必要としなかった人生で、身の回りの人がいなくなる事をどう捉えたらいいか分からなかったから。


 熱かった。焼ける村は熱くて、これ以上近寄れそうにない。そう思った瞬間、右手の少し奥の茂みで、何か音のような、気配のようなものを感じ取った。


 誰がだろうか。自分が知る誰か。


 セインは足速に歩き出して、素早く灌木に回り込んでみた。


 わっ。


 女。女性と言うべきか。酷く傷ついている。木に寄りかかっているが、人のものでない色の、紫の血が少し辺りに散っていた。


 肌が恐ろしく白く、黒い唇と髪の毛。尖った黒い耳が人より少し上に付いているが、それ以外は人と同じだ。肌を露出した衣服を着ているが、白くぴったりとフィットしていて、まるで裸みたい。手足が少し大きく、それらの爪が黒くて非常に長い。


 そして酷く腹部を怪我していて、紫の血が滲んでいた。それを必死で抑えながら恐怖と憎しみのこもった虚な目でこちらを見ている。綺麗に揃った前髪には脂汗が滲んでいた。



 セインは黙って立ちすくんだ。魔神だ。初めて魔界の魔神を見た。どこか遠くで龍神族と魔神族の争いが起きているのは聞いていた。しかし、目の前には自分と大差ない背丈の女性がいた。そしてこんなに近くで若い女性を見るのは初めてだった。こんな山村の農奴を蔑まない若い女性などいないのだ。


 すると突然、男の野太い大声が聞こえてきた。


 「おい!確かにこの辺に落ちたんだろうな!」


 「間違いない。あの悪魔め。龍神様の一撃で落ちてくるのを見たんだ」


「探せ!探せ!」


 人間達の声は斜面のたもと、火の収まった村の方からしているみたいだった。どやどやと人が集まって来ている物々しい雰囲気だ。それが段々大きくなる。


 セインははっと振り向き、女を見た。女も見る。


 甲冑らしき金属音と草木をかき分ける音が近づいてくる。


 女は苦痛に喘いでいた、が不思議と目が合うと、そこに絶望だとか悲しみといった表情はなかった。


 セインはそれを不思議に思った。そして思った。


 「こっちに魔神の血が落ちているぜ!この辺にいるにちがいねえや!」声がさっきより近づいた。


 セインは次の瞬間、なりふり構わず女を抱えて走り出していた。女は抵抗もせずに眼を見開いてセインの顔を見つめていた。セインは必死の形相で斜面を駆け上がる。足から血が出ていたが気にはならなかった。


 なんて事をしているんだ!人間に対する裏切りだ。見つかったら大勢に追いかけられて、捕まって罪を問われる。殺されるかもしれない。だって魔神の手助けをしているんだから。


 セインの心臓は張り裂けそうなくらいに高鳴った。人を抱えて山の斜面を登っているせいと、罪の意識と。


 しかし今感じるのは抱える女のすべすべしてしっとりとした肌。初めて感じる生々しい女性。こちらを見つめる女の顔が横目に見える。彼女の冷たい吐息が、セインの顔にかかる。



 疾走するセインは頭上が暗くなったのに気がついた。自分の上に巨大な影が落ちてる。何かが並走、いや並飛行している!


 セインは追っ手かと頭上を見上げた。


 そこには何か四つ足の獣の腹。しかもそれは肉がない骨の腹。それが徐々に脇に逸れて、木々を避けながらセインと並走していた。


 牛の骸骨にまたがった人の骸骨。それが同じ速さで空中を走っていた。


 「姫様。ご無事でしたか。今そやつを屠りますので」そう言うと骸骨は袂から大きなだんびらを取り出した。


 やばい。そやつとは自分の事だ。殺される。


 次の瞬間、女は手を上げて、まるで静止するかのように骸骨に合図した。


 セインははっと立ち止まる。骸骨の騎士も緩やかに静止した。しばしの森の静寂。もう人間の追っ手の声はしない。


 「人が魔神をさらうとは聞いたことがないわい。逆はあるがの」そう言うと骸骨はかたかた笑った。「姫様。帰還しましょうぞ。我が軍は引き上げておりまする」


 セインは女をそっと下ろした。女は腹部を押さえながら、そぞろに骸骨騎士に向かって歩き始めた。


 だがややして、振り返りセインに近づく。そして吐息がかかるかというような距離まで顔を近付けると、何かを差し出して、セインの左手を持ち上げた。指輪だ。見た事もないような漆黒の、輝きのない重い指輪。それを女はセインの薬指にはめ、セインの頬に唇をやさしく押し当てた。


 骸骨は呆気にとられた。


 「姫君、なんたることを。その指輪がいかなるものか……」骸骨がそう言いかけた時、姫と呼ばれた女は骸骨を見た。その真に迫った目を見て、骸骨は言葉をつぐんだ。



 「人間の青年よ。心して聞くがいい。それはそなたらの理の外にある愛の証。魂を地獄の劫火で焼かれる覚悟をせよ。それは死よりも恐ろしい。しかし幸福とそれは表裏一体なり」


 姫様と呼ばれた女は少し恥ずかしそうに顔を伏せたまま、無言で骸骨騎士の背後にまたがった。骨の牛はゆっくりと空中を歩き始め、やがて加速した。そして、どことも分からない方角へあっという間に走り去って行った。


 急にセインに寂しさが込み上げた。行ってしまうんだ。ずっとセインは彼女を見ていたし、彼女もセインを見ていた。

 


 


 


 

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