第2話 やっぱり親子や

 「な ん だ と ……」


魔界。一年中暗雲が垂れ込め、湿度が高く、川には濁った水が流れる、魔神を頂点とした悪魔達が住う世界の第九階層。別名地獄。


 毎日血を血で洗う争いが絶えないここにおいても、悪魔は強き者を頂点に、いくつかの集団を形成し、城を建て住う。


 魔界最大勢力のギャギャラランド国モイスチャー大公は、その巨大な顔を真っ赤にして怒っている。巨大な台座から前のめりに乗り出し、蛇の尾をぱたぱた鳴らし、水牛みたいな角も、体を覆う鱗も、自慢の深い髭でさえ、怒りに逆立っているみたいだった。


 「ヨシュア、なんと言った?」太公は自分の感情を抑えながら訊きなおした。


 「姫様がブラックエンゲージリングを」


「誰に?」


「ですから、人に」


「人!人間と契りを結んだというのか?」


 「そ、そうでございます」骸骨騎士ヨシュアもそれほどまで殿下が激昂すると思っていなかったので慌てた。


 ブラックエンゲージリングは魔界の秘宝。この国の風習では、親から年頃となる子に手渡され、それを永遠の愛を宣誓するのに使われる。魔力を帯びた指輪で、ただの象徴であるにとどまらない。


 「なぜ、そんなものを地上の遠征に持って行った?戦争だぞ。社会経験にと、あいつに地上の遠征に帯同を許可したのが悪かった。それで貴様、その様をただ黙って見ておったのか?」モイスチャー太公は奥歯をすざまじく歯軋りながら言った。


 「まさかと思い、それを止めるタイミングもスキも逃してしまいました」


「あの魔導具がいかなるものか、お前承知しておるな?あれはもう再々は造れん」


「はっ」ヨシュアは頭を下げたまま言った。ああ、久しぶりに食らった大目玉だ。しかも今までで最大かもしれない。


 太公は黙りこくり、荒げた息を整えた。そして、王座の脇に飾られた一枚の絵画を見た。おどろおどろしい薔薇の冠を頂いた、艶やかな髪の毛にライオンのごとき獣の顔。うっすら化粧をしている。大きな襟のついた豪華絢爛なドレス。いつまでも色褪せないあの頃のままの美しい王妃。本物みたいな輝く瞳。


 「おまえや?なんということか。私たちのたったひとりの娘が、事もあろうに脆弱な下等生物の人間に熱を上げてしまうとは。なんと思春期の女の脆いことよ」


娘は83歳。人間にして20歳といったところ。


 「どうする」太公はヨシュアに訊いた。


 「は?」


 「これからどうするかが問題なのだ。起こってしまった事は仕方がない」太公は顎髭をさすりながら遠い目をして言った。


 「はあ。いかようにも、私めには分かりかねまする」


 「わしはこうしたい。そやつを滅殺する」


「はあ!め、滅殺でございますか?」


 「そうだ。あのアナリラスに悟られぬように屠れ。地上に駐屯する魔神たちに通達し、魔界からもひとをやって確実にやれ」


 「しかし陛下、ばれたらアナラリス様から恨まれましょうぞ」ヨシュアは狼狽した。


 「その時は貴様ら、一家浪党無限地獄に突き落としてやる。よいか。絶対に悟られないように、そやつを消し去れ。ブラックエンゲージリングごと跡形もなくな」


「しかし、あの指輪は……」


「だからだ。それはお前たちが知恵を絞れ。さあ、行け!」


太公の、居城を揺るがすような咆哮に驚き、ヨシュアは一目散に城を後にした。



 ……と、パパは考えるだろう。とアナリラスは思っていた。彼女は自室で、負傷した腹部に治癒魔術を施されていた。キングサイズの2倍のベッドに寝そべり、天井に愛おしい彼の顔を映し出していた。


 滴る汗に、血管の浮き出た腕。密着した時に感じた脈打つ彼の硬い身体からは、初めて感じる男性のたくましさというものと、命をかけた全力の強い意志を感じた。


 ひとを好きになるって嬉しくて苦しい。彼も同じ気持ちなのかしら。


 はたと妄想の世界から帰り、治癒魔術を施している女郎を見やった。


 あら、わたしみっともない顔してなかったかしら。女郎たちはうつむいてなおも治療に集中していた。


 彼が同じ気持ちかは、今はアナリラスにとってどうでもよかった。わたしが好きでそれで幸せ。死ぬまで外れないというブラックエンゲージリングをはめてやったけど、それは二次的なもので、今は好きになれた事が嬉しい。


 果たして、パパが起こすであろう行動を考えた。せめてヨシュアに見られていなければ(あのお喋り骸骨じじいめ)。しかし、どちらにしても私は太公の娘。ひとりでこの城から逃げ出して地上に行けるわけでもない。なんせ私がいなくなれば何百万という悪魔たちが私を探しにやってくる。


 彼は迎えに来てくれるかしら。でもどうやって?次元の歪みから魔界に来て、この城に?どうしよう。


 心配なのはパパが、彼に刺客を送り込む事。


 彼。名前は何かしら。


 アナリラスはしばらく考えていたが、やはり最初に思いついた案から離れられなかった。


 彼を鍛えて強くするしかない。彼には悪いけど、私も彼に刺客を送り込むしかないと思うの。パパの配下をぶっとばせるようになれば生き残れるし、パパも考え直すかもしれない。


 でも、彼はこの城を継いでくれるかしら。まあ、彼が迎えに来たら、堂々と彼と出て行ってもいいわ。どちらでもいい。ならパパと同じくらい強くならないとダメかしら。まあ、一騎討ちになれば私が止めに入ればいいか。


 アナリラスは一応考えがまとまってすっきりした。口が端から緩んで笑っちゃう。赤ちゃんは人間かしら、魔神かしら。なるべくたくさん欲しいわ。ペットに犬を飼うの。火や氷が吐ける凶暴なの。


 焦点が定まらない姫君を見て、女郎たちはまた例の妄想癖が始まったと思った。

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