第11話 闇に向かって走れ!

 ぜえっぜえっ。やはり空気抵抗で身体を軽くしているとはいえ、大人を担ぐのは重い。夜の薄暗い道を裸足で走るのは大変で、踏み外したり、何かを踏まないかという恐怖もあった。


 「そこを右」さっきまで意識朦朧としていたチアゴが喋った。「あんまり揺らさないでくれ……」


 「……大丈夫ですか?」セインは呆れて言った。なぜ助けたか分からない。きっとあの王都の近衛兵がいけ好かなかったからだろう。


 「王都で嘔吐はいただけねえなあ」


 「チアゴ、あなたそれ言うの、初めてじゃないですね」セインはクスリともせずにきっぱり言った。


 「ああ、街の居酒屋ネタだ」


「あなたここにどれくらい住んでいるんですか」


「ほんの五年ほどだ。流れ者だからな」


「魔界の将校を殺害したのは本当ですか?」


「ああ、昔ぶっ飛ばしてやったよ。アンデッド系のやつでな。昔は四魔将だったのをひとり減らしてやった。当時は魔界に陸海空の軍ともう一つ、不死軍団ってのがあった。俺も血気盛んだったから名前の札を首にかけて歩いたもんだ。魔神を見つけては喧嘩を売ったもんだ。昔はまだ地上にたくさん魔神が出て来てたから」


 彼が言う事が本当なら、彼を助けて良かったかもしれない。だが……。


 「この王都から脱出する方法はあるのですか?門は抜けられないでしょう?城壁も高いし登れそうにない」流石に今のセインの力量では30メートルまで飛ぶ力は無かった。


「うーん。今考えて……」


「おうい!いたぞ」建物の間の細い路地、大通りの方から誰かが叫んだ。街は近衛兵で溢れ始め、無数のランタンで明るくなっていた。


 セインはまたダッシュする。


 「とりあえずはだな、あちらに向かうか。俺が住んでいた……」


「あの、走れるなら降りてもらえますか?」セインは息を切らしながら言った。


 「おお、すまんすまん」チアゴは地面に降りて少しよろけた。だが走り出した彼は、意外にも軽やかで、空気に乗りながら走るセインと同じ速さで走った。


 やはり凄い人なのだろうか。


 「とりあえずついて来い。俺が住んでいた貧民街に入り込めば何とかなるかもだな」


 「貧民街?」


「悪いやつとかが住んでたりする。どんな街にも必要悪で存在するのさ」


 王都はもう大きな騒ぎになっていた。暗くて複雑に入り組んだ裏路地を行けども行けども、笛の音とゆらめくランタンがすぐ近くを走り抜ける。


 「スラムまで降りるにはランタオ広場を抜けなければならない。大きな森林公園みたいなので、その中に階段があるのだ」


「何か問題が?」


「多分兵士が張っていると思う。街の要所の一つだからな」


 「そこは彼らに悪いですが、ぶっ飛ばしましょう」


「ん。そうだな。しかし、俺は剣がない。剣がない俺は最弱なんだ」


 セインはまた頭を抱えるしか無かった。まあ、仕方がない。一か八か。


 家の切れ目を抜けて、二人は街中に現れた灌木に飛び入った。まだらに木が生え、草が夜露に濡れて足にこびりついてくる。足を切りそうで不快な感じだ。


 「見ろ。あの向こうに階段がある。しめた!まだ近衛兵はこちらに来ていない」チアゴが木々の向こうを伺いながら言った。


 二人は一気に藪を駆け抜け、何も無い砂地の広場をひた走る。立派な日時計台を横切り、一目散に階段を飛び降りた。


 ピー。「今何か走ったぞ!貧民街だ。階段の方に向かった!二人だったぞ」階段の上の方の背後がざわついた。見つかった。


 「チアゴ、どうします」階段がだんだんボロボロになっていき、降りて行くにつれ、石が砕けていたり木の舗装が劣化していた。何かだんだん暗くなっていくみたいで、深淵にでも入っていくような気がする。


 煌びやかな王都から少し下がった地形の、この貧民街はまるで城壁に閉じ込められた牢獄みたいだった。かつての旧市街地で、古びた石造りや木造の建物は荒廃しており、人の気配を感じない雰囲気だ。往路も看板の木片やゴミを入れる樽が散乱していて、王都でも秩序が全く違った。


 「兵士は来ますかね?」


「余り奴らにとって来たい場所ではないが、来るだろうな」



 「チアゴ!チアゴ!」声がした。二人はその小さなかすれ声に驚き、やがてチアゴは何か閃いたみたいに声の主を探し始めた。


 「テリーか」チアゴも小さな叫び声で答える。


 「チアゴ!捕まったと聞いたが、牢獄から出て来たのか。こっちだ」深淵のまた奥。暗くて荒れた建物の細い裏路地から、小さな誰かが手招きしている。チアゴはセインに合図すると、迷いもなくさらに暗い路地に入って行った。セインも、どうなるのかと思いつつ、もはやついていくしかなかった。



 「確かに入ったか」ランタオ広場、貧民街への階段の上り口。近衛兵が三十人ほど集結していた。階段には降りる事をためらう兵士。


 「はっ。ジェニ隊長。確かに二人はスラムに降りたようであります」兵士が丁寧に報告した。


 「うむ。こう暗くては我々も犠牲者を出してしまうかも知れん。あのチアゴも中々の手だれだった。捜索は、今晩は打ち切りだ。この階段の上り口に交代で見張りをつける。何かあればすぐに馬を走らせるように」


はっ。


 ジェニは自分の馬にまたがり、宿舎に戻り始めた。街はまだざわついていた。少し、街の人を騒いで混乱させてしまったのを反省する。


 あのセイン、それにチアゴも只者ではなかったみたいだ。私の目に狂いはない。果たして我々の力量で捕まえられるか。明日の朝にはすでに居なくなっているのではなかろうか。出来れば真っ向から戦いたくはないが。勝ち負けではなく、武人として。


 だが、こうも考える。我々人間が争う前に、もっと立ち向かわなければいけないものがあるのではなかろうか。


 

 

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