第12話 スケールの大きい小さいの話
テリーに導かれ、セインとチアゴは古びた教会に入った。朽ちた椅子が並ぶ聖堂を抜けて、奥の螺旋階段を上がる。中は異常に静かで、テリーのランタン以外に明かりはなかった。
恐らく司教の自宅兼仕事場であったであろう部屋の扉を抜けて、テリーはテーブルにランタンを置いた。
テリーはつぶらな瞳に垂れ目に見える模様があり、我々の半分ほどの背しかないアライグマによく似た獣人族だった。部屋はある程度整理されていて、彼の必要とする食料や道具と、元の持ち主であっただろう司教が置いて行った聖本や学門の書などは綺麗に本棚に仕舞い込まれていた。
「まあ、ゆっくりしていってくれ。もう兵士は来ていないみたいだ」テリーが小さな手で手招きした。
「テリー、助かったよ」チアゴが遠慮がちに壁際に座り込んだ。
「やつら、何でここまで追って来なかったのでしょう」セインは少し不思議だった。
「ここの地域には王都から弾かれた者が暮らしていて、少なからず体制に不満を持つ者もいる。今までも暴動が起きて大変な騒ぎになったりした事もある」テリーは椅子にちょこんと腰掛けた。「座りなよ。私はテリー。君は?」
「セインです」セインは向かいに座った。
すると、奥の部屋の戸が静かに開いた。
「パパー。誰か来てるの?」身体が毛でずんぐりした、小さなアライグマたちがこちらを覗き込んだ。五匹はいただろうか。
「ああ。いいから寝ていなさい」
「はい」興味津々だった子供達は残念そうに戸を閉めた。
しばらくチアゴが考えて言う。「俺ら、王兵をぶっ飛ばしちまったから、あいつら、日が明けたらスラムに降りてくるかもしれんな」
「はっはっはっ。それは大罪だ。あいつらネチネチ探しに来るぞ」テリーが愉快そうに言う。「捕まったと聞いたが?」
「ああ。酒場でツケが払えなくなって、酔っ払って寝てる時に連れて行かれた。起きたらどこか、分からなくてよ」
セインはやっぱりそんな理由かとガッカリした。何となく予想はしていたが。
「今晩中には出たいが、どうしたもんか」チアゴはテリーを見た。
「多分、あのトンネルは外で待ち伏せされているぞ」
「トンネル?」セインが訊いた。
「貧民街は城壁に面しているが、門がないんだ。みんな王都まで出ていくのが嫌な奴らばかりだから、用事があると自分たちで掘ったトンネルで街を出るんだ。城も暗黙の了解さ」
「トンネルが使えないとなると厄介だな。とてもじゃないが城壁は登れない」
「んんー。あれしかないかなあ」テリーは小さな手を前に組んで言った。
「なんか思いついたか?」とチアゴ。
「あのボラロ・イーガーが使った方法は?」
チアゴはそれを聞いて頭を抱えた。
「どんな方法ですか?」とセイン。
「あれは駄目だ。俺にはできん」チアゴは頭を振った。
「他に方法が思いつかん。夜中ならばまだマシかも知れんぞ」テリーは真剣だ。
「……酒はあるか?」
「葡萄酒ならもらったやつがあると思う」テリーが戸棚を調べ始めた。
「ねえ、どんな方法なんですか?」セインは執拗に訊いた。
「聞かないほうがいい。考える。それより、セインは何故捕まったんだ?」チアゴは酒瓶を受け取った。
「怪しかったからじゃないですか。脱走農奴だって言われましたよ」
「まあ、このスラムの住人候補間違いなしだな。正門から許可証なしに入るのはたいしたもんだ。んで、その魔導具はどうしたんだ?」
「魔導具?魔法使いか?」テリーが訊いた。
「いえ、これは貰ったんです」セインはボロボロになった布を解いた。
「指輪か?真っ黒だな。また、何で左手薬指なんかに」テリーが繁々と見つめた。
「はめてもらったんです」
「誰に?」
「その……魔神の女の子に」
無言。というか、テリーとチアゴは引いている。
「求婚された?」
「なんですかねえ。もう一回確かめてみないと分からないです。僕は愛していますが」
チアゴは葡萄酒を吹いた。
「そのオナゴは今どこに?」
「魔界に帰ったと思います。姫と呼ばれていたから帰らなければならなかったようで」
「姫……」姫にも色々ある。
「それ、外れないだろう?どうするんだ。禍々しい魔力を発散しているぞ。一般人には分からないが、一部の人間、魔神、龍神には分かるし、攻撃の対象になるかも知れん」
「構わないんです。何があっても。彼女を迎えに行きますから」セインが指輪を見つめて、何か幸せそうに言った。
「迎えにいくって、魔界に?」テリーが訊いた。
「はい。僕があちらに住んでもいい」
チアゴはまた吹いた。
テリーとチアゴはかける言葉がなかった。多分彼は、自分が言っていることがどういう事か分かっていないのだろう。
出会って間もない彼の恋恋慕を、彼ら二人が止める権利も理由もない。やめておけと言っても無駄だろう。二人はそれぞれに理解した。自分たちの理解の範疇を超えている事を。
「スケールがでかい話じゃないか」とテリー。「それに比べたらあそこから脱出するのなんか屁みたいな話さ」
「んん。まあそうだが」
「セインはやれると思うぜ。なあ?これだけの強い意志があるんだ。魔界に行くんだぜ?」テリーはセインにエールを送り始めた。
「ん、まあ面白そうな話だが、俺も昔みたく若くてイケイケじゃないしなあ。ここに隠れていてもつまらんかな」チアゴは酒をあおる。
「そうだろうそうだろう」テリーが立ち上がる。
「お前さんなんか、俺をあのドブに入れたがっているな……」チアゴがまたゴネ始めた。
「そんな事ないそんな事ない。あの水の流れなら、今行けばきれいさ」
え?と、セインは思った。「ドブ?」
「王都から流れる生活用水が、スラムを横切って城壁の外に流れ出ているんだ。飲めない水だから、俺たちはトイレに使っているがね。だからトイレはスラムの方が綺麗なのさ。上の連中は水洗じゃないから」
トイレ?
「まあ、そんなスケールのでかい話を聞いたら、あのドブを抜けるくらいって思っちまうな。よし、いっちょやるか」チアゴは立ち上がった。
え?
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