第9話 それはないよ

 夜更けにセインは目を覚ました。


 「うっ。うっ。うっ」例の同居人の辛そうな声が彼を起こした。


 暗闇に目が慣れて見えるのは、こちらを背にして寝そべった彼。先ほどの冷笑的な態度とは真反対で、何か辛そうに体を丸めて声を上げていた。


 「あなた、大丈夫ですか?」セインが問いかけた。


 「ああ、起こしたか。いや、苦しくてな」


「ご病気ですか?」


 「ああ。薬がないと辛いんだ」


「大分悪そうですね」


「まあな……」チアゴは喋るのもままならない。声から彼が震えているのが分かった。


 セインは鉄格子に歩み寄り、夜中にも関わらず声を張り上げた。


 「ちょっと!誰かいませんか?!」


周りの見えない収監者たちが驚いて起きた。


 「ちぃ」


「うるせえな」


「……」


 「やかましいぞ!」


このような場所では、出せと喚き立てたり、頭がおかしな奴が暴れたりするのは珍しくない。皆、うるさい新人が来た程度に思う。


 「看守兵!この人は具合が悪いんだ!来てくれ!」


薄暗い通路は無音だ。出入り口はあのじめじめした階段ひとつ。こんな地下の牢獄に見張りはいないみたいだった。


 「……むだだ。俺たち罪人がここでどうなろうがやつらの知った事ではない」チアゴがか細い声で呟いた。


 セインは不憫なチアゴの事、それに自分に対する不条理な仕打ちについに腹を立て始め、憤りに我慢が出来なくなった。



 彼は鉄格子の鍵穴に指を押し当て、圧縮した空気を送り込んだ。そして物質みたいに固めた空気を左右に回した。


 カチッ。この地下牢内に鳴り響く鍵の音。小さなざわめきがあちらこちらで起きた。


 「立てますか?さあ、僕の肩に掴まって」チアゴの腕を持つ。


 「やめておけ……。ここは王都のど真ん中、近衛兵詰所の地下だぞ。上には国軍がいる。逃げられっこない」


 「逃げなどしない。僕はこんな仕打ちに真っ向から反対する」セインはきっぱり答えて、半ば強引にチアゴを抱えて歩き出した。


 「おい!貴様何をしている!」慌ててランタンを持った巡回兵がやって来て、階段で叫んだ。


 「どいてくれないか」セインが静かに言った。


 巡回兵が空いた手で、摩擦音を立てて刀剣を抜いた。


 「動くな。抵抗すれば斬るぞ」


しかし、なおも動じずに向かって来るセインに、獲物を手に身構える彼の方がたじろいでいた。


 「やめといた方がいい」


 「うるさい!そこで止まれ」兵士はセインに向かって刀剣を振り下ろした。するとどうだろう。彼に刃が触れる瞬間、何か柔らかい粘土でも切りつけたかのように刃が静止し、空中で止まって動かなかくなった。


 「密度が高い空気は何よりも硬い。その刀剣はそこから永遠に動かないだろう」セインは呆気に取られる兵士を尻目に、階段を登り出した。


 「こ、こら!」兵士がセインにつかみ掛かる。しかし彼に触れる直前、見えない壁のようなものに触れて、そこから手を進める事が出来なかった。


 「怪我したくなければ、大人しくしていろ」


「貴様、魔術師か」兵士は動けない。


「違うよ。じゃあな」セインは階段を上がった。



 階段を登り切ったところに小部屋があり、どうやらさっきの兵士がいた当直室らしかった。その中を覗き込んだかと思うと、チアゴはセインの肩を離れて中に入って行き、小さなテーブルの前に歩いて行った。


 「どうしました?」セインが、薬でも見つけたのかと思って言った。


 「あったあった」チアゴは机の何かを見ている。セインには背を向けていた。


 「薬ですか?」


「ああ、俺の薬さ」



 「ぷふぁ。生き返ったぜ。ありがとうよ。これを飲まないと体が震えるんだ」


 チアゴはツルツルのスキンヘッドを真っ赤に染めて、太い眉をこれ以上ないほどへの字にし、なんとも幸せそうにこけた頰で笑って見せた。


 「薬って、まさか……」セインは目が点になる。


 「これさ。うっ。2日ぶりだからクラクラするな」


「酒?」


「お前さんも飲むか?」


こいつ、アル中か……。セインは頭を抱えた。俺はアル中に酒を飲ませるために……。


 ピー。


 甲高い笛の音がおもてから聞こえた。


 「牢獄破りだー!」どうやって知らせたのだろう。辺りが騒々しくなってきた。


 セインとチアゴが顔を見合わせた。チアゴは酔っ払いながらも、セインの表情の中に不信感を見てとった。


 「まあまあ。ようし、ついて来なさい。ここに剣があるな。私がどうにかしよう」チアゴは当直室に立てかけてあったブロードソードをつかみ、風を切りながら詰所の出入り口へ向かい始めた。セインも仕方なくその後について行った。

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