第2話 吾輩は飼い主である!

「何とち狂ったことを仰られるのかしら当家の変態旦那様は。どなたかお医者様を手配して下さらない?」

「「「………」」」

 まさかここまでドン引きされるとも思わず、手を上げた間抜けなポーズのままメルクトは硬直した。

「ほ、保護だ!!保護なら良いだろう!?」

 配下からの眼差しが痛い。突き刺さる。

「いや、あの。孤児院とかに預ければ良いじゃないですか。なんでまた自分で育てるとか」

「いや、なんだ。その。」

 暇つぶしに。なんて言える空気ではない。

「ヨロシいのデは」

 口ごもったメルクトを助けたのはハルバニアだった。

 執事服に身を包んだアルバトールは少女の横にしゃがみ込むと恭しく手を取った。

「アルじサマはそろソロゾクセいにふっきされるベキです」

 そして、とハルバニアは続ける。

「コミュショウなアルジさマにはニンゲンとこみゅニけーしょんをトルレンシュウがひつようカとゾンジます」

 最も付き合いの長い、優しいアルバトールはメルクトの繊細とは言えないまでも脆いハートにとどめを刺したのだった。



 白い壁にランプの光がゆらゆらと反射して二人の影を作る。

「まず、少女。貴女はここで飼育されることが決まったわけだけど」

 リールテールはメルクトに許可を取ると少女と別室に移動した。

「勝手に決めるな!!僕は帰るぞ!!!」

 まぁもっともな反応である。

「何処に?」

「今まで一人でやってきた。これからだって」

「それではまた街で犯罪に手を染めるのでしょう?旦那様は変態ですが街の治安には心を裂いてきたお方。貴女がそれを乱すならば」

 殺します。とは口にせずにリールテールは少女が持っていた剣の切っ先で少女自身の顎をつ、と持ち上げた。

「…」

 少女の背中に汗が滲む。

 時計の音だけが室内に満ちた。

「あら泣かないのですね。」

 トカゲの顔をきっちり45°傾けてリールテールは声音だけで笑った。

「結構ですわ。貴女は合格よ」

「…なにが…」

「飼育は撤回するわ。貴女を雇います」

「は…」

「雇用してあげると言っているのよ。給料は…あとでハルバニアにでも決めさせましょう」

「どうして」

「ハルバニア…さっきのトカゲ男が言っていたでしょう?旦那様はコミュ障なのよ。わたくし達以外の話し相手が必要だわ」

 それは人間を雇う理由にはなっても少女を雇う理由にはならないのではないだろうか。しかし少女はその言葉を飲み込む。確かに街に戻ったところで仕事の当てなど無いのだ。

「…何を…すればいいの…?」

「そうね…貴女、旦那様を落としなさい」


「は………?」


「旦那様に恋をさせなさい。給料は成功報酬で全額支払うので、逃げよう何て思わない事ですよ」

 少女の目が点になる。落とす?恋?

「そういうのは…もっと…その…大人の女の人に頼んだ方がいいだろう?」

 それとも彼は、メルクトは児童性愛者なのか。

「彼はロリコンではないわ」

 少女の考えなどお見通しと言わんがばかりにリールテールは舌をちらりと出した。

「貴女にとってはそれが一番いいハードルだと思っただけよ。一般市民。良い事?励みなさい。貴女自身の自由のために」

 さて、とリールテールは優雅に剣をしまうと腕をまくった。

「それでは本題よ。まずは消毒しないとね。」

 少女の顔が凍り付く。本能が、逃げなければとレッドアラートをならす。

「なに…を…」

「ダイジョオブヨイタクナイカラ」

「いひにゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 ハルバニアとメルクトの居る部屋まで悲鳴は轟いた。

「ハルバニア。リールはなにをしておるのだ」

「おフロでコギタナイがきをショウどくスルともうしてオリました」

 ただの風呂で何故こんな悲鳴がでるのだろうとメルクトは額に玉の汗を浮かべる。

余談ではあるがこの時の悲鳴は近隣を通りかかった商隊に聞かれ、魔王城で人体実験が行われている。という噂を生むことになるが、それは別の話である。



+ + +



「キレイニナッタノニケガサレタキガスル」

 風呂から出てきた少女は心持ち虚ろな目をしているようではあったがそれに触れる物は誰も居なかった。

「まぁ、なんだ。娘。ドンマイ」

「タシかにミぎれいにはナリマシたね」

 泥やら埃で汚れ切っていた髪は癖のない綺麗な赤毛であり、元より利発そうな碧い目によく似合う。肌はそばかすが少し散っているが大きな傷跡もない。ドブのような臭いも取れて可愛らしい少女の出来上がりであった。

「普通に洗っただけですのにぎゃーぎゃーうるさいこと」

 ふんとリールテールは鼻を鳴らした。

「さて、次は旦那様ですね」

「え?我輩?」

 魔術師は椅子から立ち上がった。伸ばしに伸ばして地に着くほどになった髪がもしゃっと音を立てた。

 知覚強化を施した魔術師には視覚がなくても本が読める程度のものぐさスキルが身についていた。

 それに加えてちょっぴり師のガンドルフへのリスペクトも混じっているのだが、なまじ尊敬の念をあらわにした試しも無いためかちっとも信じられてはいない。

「切りましょう」

「ソウダナ」

「ですネ」

「ウットオしい」

「ウヌ」

「お、お前達っ!!」

 配下に総動員で冷たい眼差しを向けられ魔術師は狼狽した。

「と、トカゲに戻りたいのかっ」

「旦那様の取り寄せたカエル。突然変異のレアなカエル。わたくしの部屋で保管させて頂いております」

 リールテールがどこからか鋏を取り出した。

「鼠に一声掛ければ始末できますが、いかがなされますか?」

 魔術師は、乾いた笑いをもらしてうなだれた。


じょきじょきじょき

 リールテールが長すぎる髪を少しづつ束にして切っていく。

一気に切ると引っ張られて痛いだろうとの彼女なりの配慮だ。大量の髪の毛が床に散乱する。

 少女はぶかぶかな侍女服を着て掃除用具を持って、必死に下に敷いた敷物からはみ出た髪を掃き集めている。

「まだかー…りーる…」

 しょんぼりした声を漏らしてメルクトは顔を上げようとしたがハルバニアの刺すような視線に気付いて止めた。

「旦那様は男前なのですからご尊顔を隠されることは無いではないですか」

「蜥蜴基準の男前ってなんなのだ?そもそも我輩は何故外に出ねばならないのだ。道義的責任は果たしているのだ。必要はないであろう」

 しょぼくれ魔術師様の愚痴を一切スルーしてアルバトールは髪を切る。

 暫くじょきじょきと鋏を走らせると細もてな青年の顔があらわになる。

「ホントに顔は良かったんだな。」

 はぁと少女が驚きに軽く目を見はる。二重の驚きで。

「世辞など要らぬ」

 青年魔術師の瞳は林檎よりも赤い深紅だった。

「黙って下さい禿が出来ますよ。はい、次はひげを剃りますから」

 トカゲとは思えない器用さでリールテールはメルクトを整えていく。

 それを見てハルバニアや他のアルバトールがうんうんと頷く。

 少女はこのメルクトという男が配下に愛されていることを知った。

 結局、1時間でメルクトは元の姿を忘れる程さっぱりとした。

「顔が…すーすーするのであるぞ。ハルバニア」

「コトバづかいガおカしいデス。アルジさま。」

 それにそれは普通のことですとハルバニアは続けた。

「あんなに髪を伸ばして、目は悪くならないの?」

「もとより我輩は弱視である上、常に魔力回路による疑似視覚を展開している。必要はない」

 メルクトは横柄に答えると頬杖をついた。

「貴様を飼うと決めてこんな目に会うなど、我輩人生最大の誤算である」

「大した人生送っていないように聞こえるので止めた方がいいですよ。旦那様」

「ドウセひまだったカラなにかシげきがホシかったのデしょう」

 ぐ。とメルクトが息を飲む。

 それを返事と受け取ったのかやれやれと下っ端アルバトール達は持ち場へ戻っていく。

「お前、アホなんだな」

 少女が半眼でメルクトに哀れみの視線を送る。

「アホと!!この偉大なる魔術師メルクトをアホとぬかすか小娘!!!」

 メルクトははたと固まる。

「そういえば娘。名を何と申すのだ?」

 ここに至るまで一度も尋ねられなかったことに軽く衝撃を受けていた少女は ため息をついて不承不承といった具合に答えた。

「…リディ」

「犬のようだな」

「キャサリン様と話されたときもそんなことおっしゃってましたが、旦那様はだから女性に嫌われるのですよ」

 キャサリンは別に犬っぽくも無いだろうにと思いながらリディはメルクトに尋ねた。

「それで…僕は何をすればいいのかな」

 リールテールと交わした約定はメルクトには言えない。

「ふむ。そうだな。我輩は小娘を飼育せねば」

「結局飼育になったのかよ」

「まずそれだ、その言葉遣いをなんとかせねばなるまい」

「ぐ」

「良家の子女ほどになれとは言わぬが些か優雅さに欠けるのがやはり良くない。」

「と、スルト。キョウイクをカッテでられるのデスね。アルジさま」

「否。しない」

 ハルバニアが目をぱちくりする。リディはちょっと可愛いと思ってしまった。

「かわ…じゃなくって!!え!?え!??」

「ナゲっぱナしですか」

「そうではない。我輩には心血注いで育て上げた貴様らという配下が居る故。任せようと思う。信頼である。」

 面倒臭いのですね。

「では、旦那様は何をなさるのですか?」

「む………」

「飼育を申し出られたのは他ならぬ旦那様ご自身でございます。ご自分でも何か世話をされるのでしょう?」

「いや、僕は別に世話をされるほどの歳でも…」

「だまらっしゃい」

 リールテールはスカートの裾から覗く尻尾を振ってターンする。

「そうですね。では衣食の面倒は旦那様に見て頂くことに致しましょう。ヨロシイですね。ハルバニア」

「カマわぬヨ」

「我輩の自由意思は何処に行ったのだ。配下ども」



 とはいえ、メルクトは基本的にものぐさでありつつも真面目な人間だった。

 リディのサイズの子供服の手配もしたし(通販は慣れていた)食事も適当にあつらえた。

 言葉遣いに関してはリールテールが泣き叫ぶリディを引きずって別室でなにか教えているようではあったが、怖いのでハルバニアもメルクトも内容について尋ねることはなかった。

 ハルバニアは簡単な護身術と他の勉強を教えることとなった。

 思いの外リディの順応は早く、一月後にはアルバトールもメルクトの飼育しているぬめぬめも幾分か平気になっていた。

 アルバトール達は初日は面白がってか代わる代わる姿の整った主や新しい小さな住人を覗きにきたものだが、すぐに飽きたのか各々の仕事に戻っていった。

「ハルバニアさん。おはようございます」

「オハよう。りディ」

 今の所リディはハルバニアに一番懐いているようで、暇があると雑用や手伝いを率先して受けに行っていた。

「むー…」

 それを不満げに見つめるメルクトと、更にその主を冷ややかに見つめるリールテール。

「どうされたのですか。旦那様」

「我輩のペットなのに飼い主よりハルバニアに懐くというのはどうなのだ?可憐なリールテールよ」

「色々多岐にわたって問題発言ですね、わたくしは聞かなかったことにしても宜しいでしょうか」

 表情はぴくりとも動かさず侍女は答える。

元々トカゲに表情筋は無いのだから多彩な感情表現とも無縁ではあるのだが。

「宜しいのではないでしょうか、ハルバニアもあのように上機嫌でございますれば旦那様への小言も減るという物でしょう」

「しかしなぁ…我輩の暇つぶしだったのに…」

「カエルの合成は終わったのですか?」

 メルクトの表情がぱぁと明るくなる。聞いてくれるのを待っていたようだ。

「ふふふ、すごいぞぉ今回のカエルは。名前も付けてやらねばなるまい。ジョゼフィーヌ?アンリエットでもいいな」

「ぬめるのですね」

「それはもう!!アメーバ遺伝子の合成にはひやひやしたものだがスライムを触媒にすることで上手くいった。半透明ゲルカエルたんσと言ったところか、無論今回もカエルの生育に不都合になるような突起などは付けて居らぬぞ!あくまであのままの姿形でのより高い粘度とテカリをだなぁ……む…」

 気づけば回廊に立ち尽くすのはメルクト一人になっていた。

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