第二章 うつつの刺客ゆめの仇

第7話『魍魎斬り(上)』

 無宿人、という者らがいる。

 博徒や無頼漢などがイメージされるが、食い詰めた者たちも含む宿無やどなしの者らの総称であった。関ヶ原以後、戦の機運が渦巻きし武断の時代から、秀忠にだいめから家光さんだいめにかけて敷いた元和偃武という文治政治が為されるまでは、それでも数の多さでいえばそれほどでもなく、治世を脅かす不穏さは、さしてなかったものと推察されている。


「まあ、それでも働き口を求めて佐渡に行く者、もはや佐渡に送られるほかない者などは、この道を北に佐渡まで往く」


 調子よく説明してるのは、藤斬丸である。

 騎乗した若女侍といった風体である。


「佐渡から江戸は、『金の道』。江戸から佐渡は、『送り道』」


 こちらは落葉御前である。

 御前も化けたり、青年とした女侍。

 しかし双方、化けたとはいえ垂髪の上品な顔つきゆえに、場違い感が馬に乗ってるようなものである。腰に差した大小も、様にはなっていない。


「お主らに――」


 それでも鬼は鬼である。宗章は気にしないが、馬も気にしないのはずいぶんと拍子抜けしたものだった。

 先行するのは宗章だが、ふたりが遅れる様子もない。

 人から堕ちた鬼ゆえ、何某かの術を使った様子であるが、もとより化ける鬼である。しかも女の鬼である。どのような術で人馬をだまくらかしているのか想像もつかない。


「――少し聞きたいことがある。――」


 眉に唾を塗りながら肩越しに聞くと、鬼女らは小首を傾げて男の言葉を待つ。宗章は声を掛けたあとに前に向き直り、顎を掻きながら本題へと入る。


「藤斬丸は喘月に纏わる由来、来歴、斬られた者や斬った者の情報をすべて頭に入れていると……まあ似たようなことをいってたな。なぜすべて教えん。――」

「よく覚えていたな、そんなこと」と藤斬丸。


 あっけらかんと「半分はほんとうで、半分は嘘でもある。嘘とはいえ、騙すつもりはない」と、分からぬことを言い始めた。


「ぜんぶは知らぬと」

「望月の光、喘月の沸に浮かび上がるのは、魂の相貌だけではございませぬ」こちらは御前である。

「そのときにならねば、脳から浮かび上がってはこないのだ」


 そんな藤斬丸の述懐に、「記憶ではなく、記録のようなものか」と、「そしてそれは喘月を通し、必要になったときに浮かび上がると」と確認すると、ふたりは如何様と頷く。


 だとしても、脳の記憶(記録)がそのときに浮かび上がるのだとしても、常時の記憶に欠片も残らぬのはあり得まい。半分は嘘、しかし騙すつもりはない――という言葉の裏が、やはりしっかり用意されていると看るべきか。


 そこで宗章は「もうひとつ」と、こんどは落葉御前に訊ねる。


「この喘月かたな、『正宗』に相違ないか」

「……。――」


 答えはなかった。

 それが答えか、はたして。


「まあいいさ。どちらにせよ、俺は幽鬼を斬り、仕事を果たすのみよ」と呵々と笑う。


 隠し事はある。

 それはふたりの鬼も、宗章もそうだ。

 しかし、鬼女らの隠し事のひとつが現れるのに、そう時間はかからなかった。夕暮れ、宿場のひとつが見えてくる頃合いの雑木林、その小路を進んでいたときだ。


(五人、いや、六人か)


「宗章どの」

「承知。――」


 茜が差し込む日暮れ、雑木のそこかしこに白刃の煌めきが垣間出る。まるで乱れる柳の刃のように揺れる刀刃に、明らかな闘争の気迫が乗り始める。

 刺客であろう。


 さて、どうするか。


「仕掛けてくるなら相手をするが。――」


 誘うような言葉を漏らす宗章だが、馬を並べるように前に出た落葉御前がそれを制する。


「ここはひとつ、妾と藤にお任せくだされ」

「鬼の申し出、か」


 脇差しに手を掛けた宗章だったが、任せるとばかりにふたりに挟まれるところまで引く。


 ――雑木間の刀刃が動いた。

 ――同時に馬上からふたりが消える。


(跳んだ)


 宗章にそれが見えたのは、鬼という前提を知っていたからこそだろう。実に数丈も跳び、それぞれ木立の上へと身を躍らせている。

 彼女らは左右に控えた男らの背後へと降り立つや、押し殺したような呻きがひとつ……ふたつ。

 左右二手、三人部隊の殿が無力化されたのだ。


 茜色の夕闇に混じり、金の瞳が窺える。

 悲鳴にも似た呻きが、またひとつ……ふたつ。


「いっておくが、殺すなよ」


 その制止が間に合ったかなと思うタイミングで、呻きがひとつ……ふたつ。

 都合六つ、すべてが沈黙し、鬼女ふたりが姿を現す。

 落葉御前も藤斬丸も、襟首掴んでひとり、抱えてふたりを運び馬の横に転がす。全員、息はあるようだ。


「間近で鬼の目を見れば、こうなります」と御前。


 だがしかし、あの黒髪美しい落葉の君だったが、現した姿は異形そのものであった。

 かさりと土を踏むその足は、紫衣を纏ったかのような甲殻の足であり、やっつのそれが支えるのは、巨大な蜘蛛の胴である。そこから、見覚えのある女の胴体が生えているではないか。

 落葉の鬼女は、蜘蛛の鬼であったのだ。


「なるほど、糸で縛り上げたか」

「もう少しおののいてくださりませぬと、鬼の沽券に関わりまする。――」


 あっさりと看破する宗章に、さしもの正体を現した落葉御前も肩透かしの反応に、しゅるしゅると元の別式姿へと戻る。

 幻術の類いではない。


「こっちは馬鹿力と眼力だけか。まだまだ若い喃、はっはっは」

「余計なお世話だ」


 藤斬丸のほうは、かささぎ庵で見せたあの姿のままである。たしょう角は大きく出ている様子だが、された刺客を見れば腕前の程は窺える。なかなかのものだ。


「よぉ、殺さなんだ。見事だ、褒めてやろう」


 言われ、「そうはいっても、こいつらをどうする」と、つまらなさそうな藤斬丸であったが、「なあに、こっから先は楽しい尋問だ。――ふむ、宿に泊まるのもアレゆえ、そこらの河原で一晩過ごすか」とあっさり答える宗章に肩をすくめる。


「しかし、落葉御前の正体がジョロウグモとは、すこし上手すぎだな。その正体も化けてるのではないか」

「上手すぎとは、その、しかし女郎とは、宗章どの。――」

「すまんすまん。なかなかいいものを見せてもろうた。どのように生きているのかは知らぬが、八本の脚と人の半身の融合は、実に理に適っておる。その膂力で大太刀の類いを振り回せれば、敵はおらぬであろうな」

「はあ。――」


 本気で褒めているのは分かる。

 さらには「その糸の術、さしもの忍者もおいそれとは敗れぬだろうよ」と、しみじみ呟いている。が、藤斬丸を見て「それに引き換え。――」と残念そうに笑いかける。


「むかつく」

「ははは。……なに、鬼という者が人より変生した存在ならば、人のカタチのみが変わるとはいえぬだろうよ。こころもまた、その容れ物が変わればカタチを変える。藤斬丸、はたしてその真の姿はいかばかりか」

「むかつく」

「これでも褒めているのだ。鬼になりどのくらいだか知らぬが、先は長いぞ、藤斬丸。さ、その力でこの者たちを運んでくれ」

「やっぱりむかつく」


 文句を言いつつも藤斬丸が三人を抱え、どうしたらいい物かといった面持ちの落葉が三人抱える。どちらも人の姿でだ。


(正体を顕す顕さぬに拘わらず膂力は発揮できるのか)


 恐ろしいものだなと宗章は雑木林の先を行くふたりに声を掛ける。


「そっちに川でもあるのか」

「そこから北に少し歩けば、大川の支流にくだる降り口へ出まする。先に行っておりますよ」

「おい」

「馬は頼むぞ」と藤斬丸。


 

 残された三頭の馬が、所在なげに宗章にブルと鼻を鳴らす。

 放っておく訳にもいかぬ。宗章は馬の口を取って――「さすがに三頭は曳きにくいな」と文句を言いつつも、暮れかけた茜が薄墨に変わるまでには着かねばと歩を進めるのであった。







 六人の刺客の内、最初に目が覚めたのは新十郎という男であった。何か恐ろしく妖しのモノを見たかと思った瞬間、そこからの記憶がない。

 耳に届くは水の音、されど灯りの類いはない。背中の感覚より、礫砂の感触。水の匂いから川辺であろうと思われた。


「目を覚ましましたか」

「ひぃ」


 突如掛けられた声に新十郎は息を呑んだ。

 武士ならば心胆の太さは持ち合わせているであろうが、それでも息を呑んだのは、声を掛けられただけで息を呑んでしまったのは、その美しい声とは裏腹に――いや、その妖しの声色に相応しい異形が目の前にいたからである。


 よみがえる記憶。

 この黄色い眼光、暗いのはその巨体――蜘蛛の胴体が新十郎にのし掛かるように動きを封じていたからだ。月光越しに伺うその顔は、暗く闇に沈んでいるが、その眼だけは薄硝子に混じる蛍が如く茫洋と炎を灯しているではないか。


 ばけもの。

 そう叫ぼうとしたが、声が出なかった。

 女の上半身を持った蜘蛛の妖魅が、たった一本、人差し指をその唇の前に立てただけで、新十郎は何も話せなくなっていた。


 仲間はどこだ。部下はどこだ。

 周囲を見渡すも、首が動く範囲に姿はない。


「話す口はひとつで充分」


 鬼蜘蛛が、新十郎の頬に手を添えて自分を見るよう促し、その視線で術を掛ける。催眠に近い、心胆に楔を打つような抗いがたい呪いである。


「素性は」と、闇の奥から男の声がした。

「素性は」と、金の瞳が聞いてくる。

周防邦すおうのくに、国家老が三男、香取新十郎。――」と、答えていた。


 言ってはならぬ。

 されど、言わねばならぬ。

 いや、伝えねばならぬという気持ちがこれらを勝っていた。


 その後、曰く「佐渡に赴く男(宗章のことであろう)から太刀を奪え」と命を受けたこと、ふたりの女侍は捨て置けと、それだけを任務に手勢を連れてきたことを吐いた。


「喘月について知っているか」と、男の声。

「喘月についてしっていますか」と、金の瞳が訊ねる。


 ああ、それならば知っている。

 献上されし剣であり、姿美しいであった、と。

 ――実際に喋っているのか、頭の中を直接覗き込まれているのかも分からなくなっていた。

 金の目が、瞳が、みっつ、むっつ、いや、やっつに重複して広がっていく。


「もうよい。眠らせてやれ」


 そんな男の声を最後に、新十郎は意識を失った。

 次に目を覚ますのは朝であろう。風邪を引くかもわからない。

 岩場に寝かせた五人のところまで落葉御前が運ぶのを、ふうむとばかりに宗章が顎を撫でる。


「周防は毛利の邦、その家老の三男か。捨て石にはちょうどよかろうて。……しかし藤斬丸、よくあの男が徒党の頭だとわかった喃」


 宗昭にいわれて嫌々刺客の身ぐるみを剥いでいた藤斬丸が、「そいつの刀は、そこそこだった。あとは鈍刀なまくら」とつまらなさそうに呟き、「そこそこ。おそらく祐定すけさだ」と指さすそこには、十とふたつの大小かたなの山。

 湿気に曝さぬように、それでも丁寧に重ねられている。


「備前長船祐定。三男に持たせてやるには、充分すぎるか」

「祐定だ。備前特級でも備州一級でも長船上質でもない、ただの祐定。鉄はそこそこ、造りもそこそこ、ただ研ぎだけは上質作。門下若手のものだろう。拵えも、そこそこ」


(早口だな)


 得意げな藤斬丸に「そうか」と、宗章はとりあえず「足利の秘宝と申しておったな」と、人の姿――別式女侍に化けた落葉御前へと聞く。彼女は「そう申しておりました」と首肯し、こと、考えるように俯く。

 喘月の生まれに近づく情報は、あまり表には出したくはないのだろう。ありありと看て取れた。


「……御前」

「なんでしょう」

「この正宗、足利尊氏の手に下ったことが」

「はい。……あッ」


 簡単なカマをかけた宗章のほうが拍子抜けしたかのように笑う。


「正宗と認めおったか」

「いや宗章どの」

「もうばらしたのか」と藤斬丸の呆れた声。


 ひとしきり笑った後、宗章が何度か頷き、息を整えて立ち上がる。


「やはり、嘘がつけぬお主らが、あたら無駄な殺生をすることはない。これまでは知らぬ、が、この先は特に。人の世に生きるなら、この宗章の同胞として旅路を往くなら。――」


 そこで、その侍はふたりの鬼を見つめ、静かに頷きながら川の中州へと振り向く。

 誰もいない中州である。

 いや。


「ゆえに、この魍魎は、俺が斬る」


 宗章の言葉に、鬼らは中州へと向き直った。金に光りを強めた瞳が、観る。中州に佇む、真黒き人影を。


「これは。――」


 息を呑むのは、御前であった。

 彼女らの前に出ると、宗章は静かに脇差しに手を掛ける。


「襟首が、鳥肌立つ。かの者、であったな」


 中州に立つは、香取新十郎と名乗った男である。その手は、無手――いや、黒い霞のような刀刃を握っているようにもみえる。落ちくぼんだような眼窩に意識と生者の色はない。


「喘月に呼ばれたな」


 脇差しの鯉口が握り開けられる。

 カン――という静かな響き。

 兼定一尺五寸がゆっくりと引き抜かれ、武士の足はじゃぶじゃぶと川に入り往く。

 周囲は月と、星の灯りのみ。

 青き刀身が右の肩に担がれる。

 差し表には幽鬼の姿、差し裏によっつの金の瞳を映しながら。


 ツ――と、水面を滑る船の如き歩法で間合いを詰め、彼もまた中州へと立つ。


「柳生宗章、お相手いたす。――」

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