第三章 呪い目の不動明王
第17話『江戸仇討ち巡り(上)』
佐渡より、十日ほどで江戸に戻る。
馬を返したところで、柳生宗矩に捕まった。
「兄上、明日は登城していただきます。なに、聞いていなかったなどといわれては元も子もないので、この宗矩、改めて来た次第」
「そうか、うむ、ご苦労。――」
借りた馬は、高田にある馬場である。
いっそ神田の馬場へ返してやろうと思ったが、柳生屋敷が近い故、目白の近く、この高田まで返しに来たのだ。
と思いきや、宗矩が待ち構えていたというわけだ。
別式若侍の姿となり騎乗していた鬼女ふたりも「さすが宗章どののご兄弟。考えてることは見透かされておりましたね」「逃げようとしてたからな、この男は」と宗章に諦めを促している。
「登城なぞ、俺には向かぬ」
「ご案じ召されるな。お会いになるのは、沢庵和尚でござる。故あって、御坊は江戸城にて雪隠詰めとなっており申す」
そこで下馬した三人は、小者に馬を返すと歩きながら宗矩と話す。
「まずはお勤めご苦労にござる、兄上」
「正直、俺は喘月を侮っておった。詳しくは、今夜話すとしよう。――」
と、宗章は杯を煽る仕草で目配せするが、ちらりとも見ずに宗矩は兄の言葉を無視し「所用ある故、ここで失礼致すが、兄上らは柳生――下屋敷へ戻られたい」と、静かに告げる。
「ともあれ、ことの報告は和尚とともに聞きますれば」
「だいたいのことは知っておるのだろう」
「ははは」と宗矩。
耳が早い喃と苦笑する宗章は、神田川手前で宗矩と別れる。
彼はいずこかに、そして宗章らは神田川を下りながら柳生下屋敷へ向かう。歩きもよいが、船を使うかと
「帰ってきた喃」
腰を下ろす故、喘月を鞘ごめに抜き、胡座の中に抱くように寛ぐ。しみじみと、宗章は空を見上げる。日中の角度か、月の影は見えない。だが、もうすぐ望月がやってくる。
次の仇が浮かぶはずである。
「藤斬丸。――」
「なんだ」
「次の
「しらん」
「は。――」ぽかんとする宗章。
御前は申し訳なさそうな顔をするも、「仕方がないのです」と言葉を引き継ぐ。
「喘月の解呪、その初手に成功したのは宗章どのが初めてにございますれば。次の仇は、いまだ喘月に浮かんだことはありませぬ。――」
「ないのか」
「その無念の総量は、わかり申します。十と、ひとりでしたが、日野資朝卿は先日昇天致した故」
「あと十人か」
「仇は、七人。うちひとりは本間入道ゆえ……」
「のこりは六人か」
ひとりの遣い手が、ひとりの贄だけを殺傷致したとは考えにくい。やはり、それなりの命をそれなりの数、文字通り喰い物にしてきたのであろう。
「そのすべての因縁を記憶してるが、思い浮かぶのはあの口上のときだけということか。ふうむ」
「日野資朝のときは、誓書と浮かぶ相貌から調べられたとのことだ」と藤斬丸。
正しくは、いや、恐らく正しくは、この藤斬丸、幽玄の中で『喘月』に刻まれし遣い手と犠牲者の記憶を読んでいるのだろう。それは鬼の力であろうか。
とりわけ、戦闘能力に特化してると思いがちな、
「だんだん底が見えてきたな藤斬丸。神妙なことをいいつつ、その術、自由に使えぬとはナ」
「むかつく」
「――と、苛めてもよいが、恐らく、いくら
「むぅ。――」
「口上の術のときのみ、制約が外れるのだろう。さらに時経た鬼となれば、もそっと強い使い方も出来るようになろう」
ふふ、とそのやりとりに落葉御前が笑いを漏らす。
「しかし、明日は御坊との面会ですか」
落葉御前は、少しばかり遠い目をする。
「聞けば、お主ら、ふたりとも沢庵宗彭と知己らしいではないか。鬼と坊主が、なぜ。水と油ではないのか」
「孰れ分かるとは思いますが――」
藤に目を向け、宗章へと話す。
「沢庵さまとは、長船の郷、その回向の折に知り合うたのでございます」
長船と聞き、(備前は長船の郷……吉井川の氾濫か)宗章はちらりと思い「和尚が備前に赴いた話は聞いたことがなかったな」と小首を傾げる。もっとも、宗章個人は沢庵とは知己でもないゆえかも分からぬ。
だが、犠牲者に手を合わせてくれたのなら、恩を感じる。
「十五年前、か」
「左様でございますね。妾が藤と出会ったのも、そのときにございます」
「ああ、言ってしまうのか」と不満顔の藤斬丸。
「どのようにせよ、明日明らかになります。それに、
「……。――」
納得したかのように、しぶしぶと、頷く。
「まあ今日はゆっくりと湯に浸かり、呑んで喰って寝て、明日に備えようではないか。俺ァもう疲れたよ。――」
船にごろんと横になる。
船頭が御する船は、東へゆるゆると。
(仇か)
胸に抱く喘月。振るうはあと幾たびか。
六度か――。
(いや。――)
宗章は目を閉じる。
やはり、面倒くさいことになりそうな予感は消えぬままであった。しかもこの男、こういった予感はだいたい、当たってしまうのである。
登城の途である。
大手門よりゆるりと入りゆく、武士ふたりに、鬼ふたり。
柳生兄弟と、僧形の尼鬼ふたりである。
「よもや、この俺が肩衣を着て城に登るなどとは。親父どのも思うまいて。――」
「そういえば、兄上は親父どのの見舞いは」
「正月に忍び込み、桃の花を象った目貫を枕元に置いてきた。寝たふりをしておったよ」
「親父どのが床の間に置いていたあの桃目貫は、それでござったか。得心。不器用なところは親子でございますな。ははは」
桃の花。
柳生兄弟の父、柳生宗厳、号は
嫁ぎ先から見舞いには来られぬであろう妹を慮り、彼女の名代として宗章はそれを選び置いてきたのだ。
これより宗章らが赴くは江戸城小奥の先、中奥。
二代将軍秀忠のプライベートな領域である。
城の守りの中でも相当な備えが施された場所であり、中奥自体には隙はない。が、その護衛、小姓らの詰め所ともなればそうではない。
向かうのはそこである。
進む先で、太刀を預ける。
喘月ではなく、宗矩から借りた
藤斬丸の評価によれば、壊滅した備前を支えるに充分値する上作であり、「とてもお主の腰には不釣り合いな逸品」と宗章に言ってしまうほどの作である。
形として、大小を腰に差していなければ登城は出来ぬし、大刀を預けねば上には上がれぬ。しかもこの登城に使うフォーマルな刀にも、規定がある。鞘は黒蝋塗りで柄糸なども黒でなければならない。喘月の拵えでは、無理である。
喘月を差していけば白の刀番に置いてくるしかない。
なので代わりの太刀を差してくる必要があったのだ。
では喘月は何処にといえば、これは落葉御前が桐の箱に収めた形で抱えている。
刀の持ち込み自体には、今はさほど厳しくはない。が、後年の武家諸法度改正改定により厳しくなっていくはずである。
ピリとした雰囲気の侍の中を過ぎ、やや異質な空気をまとう庭師らの中を通るとき、宗矩が「人払いをせよ」と命じるや、彼らは目礼し、散ってゆく。
(忍びか。――)と宗章。
「お庭番、とでも呼称しましょうか」と宗矩。
その内心の吐露を聞いたかのように、微笑む。
清濁併せねば、護衛も仕れませぬゆえ、と、重ね、ははと笑う。
中奥中庭、詰め所――その先にある石造りの蔵じみた平屋白壁の建物へと。深と静まりかえっている。防火耐火を施したここは、油などの倉庫のようであった。
土蔵の鉄扉を開ける――鍵が掛けられていなかったそれは、重い無音で開ききる。
「こちらにて。――」
たっぷりとした油の重い匂いと薄明かりの中、先導する宗矩が、二階へと促し上がる。
外から見れば平屋だが二階部分がある様子で、そこはしんと冷える石造りの――まるで
階段から漏れ入る灯りで、ようやく夜目が利く者ならば――といった具合だ。
無論のこと、鬼のふたりは平然としている。
柳生の兄弟も、歩みに遅滞はなかった。
石造りの一室、畳が敷かれた一画がある。八枚。八畳ほどの広さだ。
「夜番の昼寝場所にござる。さ、座って待ちましょう」と宗矩。
「密会に使っておるのか」
「使ぉております。なに、いざとなれば政敵諸共爆死できます故」かかか、と笑う宗矩。
「宗章、土壁の中から火薬の匂いがする」
呆れたような藤斬丸の呟きに、宗章が信じられぬ目で弟を見る。すると「さすが。まさか露見するとは思いませなんだ」とさらに大笑する。
油と火薬に囲まれた石造りの――いや、恐らくは蔵の外壁には分厚い鉄も使われているだろう。火災と爆発で内の圧は恐ろしいことになろう。
「だがまあ、こういうところにはな。――」
「兄上。――」
「おっと、まあいい。ふふふ」
実のところ、地下には脱出用の抜け道が用意されている。
城まさに危機に瀕したとき、神田川へと抜ける迷宮が作られている。将軍が私室近い油蔵に立て籠もり、首を護るために爆焼死するという筋書きの元、逃げおおせるための『火遁の術』に他ならないと宗章は看破したのだ。
きょとんとしている鬼のふたりは、火薬と油の匂いで気が付かぬだろうが、足の音が響く感覚が、なんとなしに違うのだ。
「なんのことだ」と不満の藤斬丸。
「人のいい、いや、いい鬼よな、お主ら」
「なんのことだ」と不満な藤斬丸。
脇腹を突かれながらも、四人は四人とも、やや車座に座る。宗章と宗矩の間が少し空いているのは、これから来るであろう客人のために空けているのだ。
それほど時を置かずに、階下より声が聞こえてくる。昏くて文句を言いつつ、なにかごそごそとやり、あとうことか――。
――カチカチ、シャ。
――ガチガチ、シャ。
と、火打ち石の音。
これには、さしもの宗矩も宗章も肝を冷やしかけた。
茫とした灯りが階段から漏れ来ると、すぐに
沢庵宗彭である。
藤と御前が「ひと月振りにございまする」と頭を下げる。
「喘月、うまくいっておるようだ喃」
「宗章どののおかげにて」
そこで胡座座りの宗章と、沢庵宗彭の視線が絡み合う。
その視線の色は、「これがあの。――」という色合いだ。
あの柳生宗矩が手を焼く御仁か。
あの柳生宗矩が手を焼く坊主か。
「喘月を御するとは、さすがは剣聖石舟斎の息子よな」
「油の最中で行灯に火を付ける御坊には敵いませぬよ」
「褒められてしもうた」
と、行灯を皆の中央に置き、沢庵も座り車座となる。
「
沢庵が「上さまではない、この俺がだが」と、苦笑する。
死相にも似た疲弊が窺える。
よほどの難業なのであろう。
「落葉の、喘月を」
「は。――」
沢庵の求めに応じ、落葉御前は桐箱より刀袋に包まれし喘月を出し、解き、恭しく袖に乗せ沢庵へと差し出す。
「南無」
合掌し、受け取る。
掌から感ずる魔性の気迫に、汗が流れる。「お前の兄は、何者ぞ」と、改めて唸る。だがしかし、鋭利な呪いを支える一画が、確かに解けてきているのを感じる。
「かの新月のおり、確かに魔性喘月の呪いが揺らいだのを感じた。おお、そうじゃ、おそらくお主が本間入道を斬ったときだろう」
左手に喘月、右掌手刀で拝みながら沢庵が再び口中で念仏を唱える。
「仏の言葉が届くは、この『喘月』根幹の怨念を刻みし者の中にも仏が住もゥておるからだ。成るほど喃、成るほど喃」
膝元に横たえる。
「兄上。山中の一件、夜半に呪いを受けた刺客と剣を交えたとか」
「うむ。――」
「御坊、
「そうか」と、沢庵。
「月の満ち欠け、昼夜の揺らぎ、そのなかで喘月の魔力もまた左右されるのだろう。しかし、どれほどの者が無念を抱えて居るか分からぬ世、また徒に被害者を出してはまずい。故に、このようなものを用意した。……宗矩」
「は。――」
宗矩が行灯をややずらし、沢庵は懐から三枚の札を取り出す。
札には不動明王の絵と、みっしりとした経文が書かれている。赤黒い墨だ。いや――。
「
落葉御前が呟き、やや眉をひそめる。
赤銀。硫化水銀である。これに沢庵が念と己が血液を混ぜ込み、破邪の触媒としたのである。
「喘月の鞘にこれを貼る。漏れ出る呪いは押さえられよう。されど……」
「抜いたとき、その反動が来るというわけか」と宗章。
「左様。だがまあ、お主なら問題あるまい」とあっさり。
「御坊、ほんとうの名は
油の中で火を付ける沢庵の所業を揶揄したのだが、言われた沢庵も「過分な評価だナ、ふふふ」と柳に風である。
とんでもない坊主である。
「これをこう貼る」
逡巡せずに沢庵は膠で札を貼っていく。三枚を縦に並べ、螺旋に鞘を巻くようにこれを封じてゆく。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あぁあ……」
見事な朱塗りの鞘にベタベタと遠慮なく札が貼られてゆくのを見て、藤斬丸が思わず腰を上げてオロオロする。
「わたしの逸品に、下手くそな札がべったりと。あんなに圧着されればうまくは剥がせぬ。お、おのれ沢庵、おのれ……」
藤の怨嗟。
悪いことをしたかなと沢庵も少し申し訳ない顔をするが、やらねばならぬことゆえ、三枚すべて貼り終える。
――ジッ。
硫化水銀の絵札が微かに焼けるような音。
確かな手応えを皆が感じている。
喘月の妖力の香りが、ぴたりと止まる。
沢庵が、鞘の鐺を持ってとなりの宗章にひょいと渡す。
さしもの坊主も、脂汗である。
「抜くなよ。抜けば押し込められた妖力がぶわりと溢れ――抜くなあァッ馬鹿者」
「そういわれると抜きたくなるではないか。抜かぬ、抜かぬ。抜く真似だけだ。ふふ」
「お主の兄は、なんなのだ。――」
「火打ち石の意趣返しでしょう。兄はそういうことをします」と
妙にスッキリした顔の宗章が傍らに喘月を置き、撫でる。
「さて、御坊、宗矩」
本題へと、入る。
「望月を前に、さては次の仇に目星がついておるのだな。――」
ふふ、と宗矩が笑う。
「左様にござる。この江戸にて、五人ほど。兄上には、この者らを斬って頂き申す。――」
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