第5話『かささぎの庵にて』

 罪人は佐渡へと送られる。

 孤島へ配流されるということは、外界との隔絶、現世に関わることができなくなる境遇に貶めることに他ならない。権力者にとってそれは家督を譲るわけでも自裁するわけでもなく、ただただ死よりもつらい責め苦を味わわされることと同位だった。


 そんな佐渡に於いて罪人を隔絶させ続ける監視役は、さにあらず。定期的な船と、辺境僻地故に幕府よりもたらされる権力は、孤島という状況も相まって、それはそれは強いものであったという。

 鎌倉より信頼を置かれる本間が、世に私心なきことを顕し入道となったとき、この佐渡を任されることになった。

 そして時間は流れ、いわゆる鎌倉末期。

 件の日野資朝すけともが召し捕られ、関東からするがの港へ送られたのが夏の手前、佐渡に送り着いたのはすぐ後のことであった。


 罪状はもちろん、後醍醐帝をそそのかし、倒幕の軍勢を集めた罪である(所謂、『正中の変』)。いかに京の帝と雖も、鎌倉の世は武士の頭領が支配する世の中であり、口出しができぬ世界あった。

 故に、禁中並びに公家の不満が溜まりに溜まっていた時期ともいえる。自然じねん、幕府もそのような動きには注意を払っている。


 だが、将軍という幕府の頂点を任命するには朝廷という帝の後ろ盾がなければならず、この権威と武力の駆け引きこそが、鎌倉幕府を倒滅させるきっかけとなる元弘の乱を引き起こすことになる。


 引き渡された資朝が佐渡島でどのような境遇にあったのかは、詳しくはわかってはいなかった。しかし、罪人として首を刎ねられたのだけは伝わっている。

 その後に起こった事件とあわせて、長く語り継がれることになる、それは事実であっただろう。


「兄上が太平記、とはな。――」


 そのあたりまで思い返した宗矩が、かささぎ庵の縁側に腰を落ち着けながら茶を喫する。傍らにはまんじゅうがひとつ、まだ手は付けられてはいない。


「笑うな。だがしかし、まったく識らぬというわけではなかったのだ。が、なにぶん、人の名前は覚えられん。三百年も前の人間だぞ」

「難しい話は苦手でございましたからな」

「だから笑うなと」


 宗矩は、にわかには信じられませんなと独りごちると、まんじゅうを手に「それで、私に何を頼みたいので」と、餅粉をぱらぱらと落としながら聞いてくる。

 いま、このかささぎ庵には宗章と宗矩のみ。鬼のふたりは席を外している。このタイミングで柳生屋敷ではなく、兄が宗矩をここに呼び出したということは、何かがあるのは自明であった。


「鬼の掌で踊らされるのも、ちいとばかり面白くない。日野資朝を斬った、入道頭。――そいつはともかくとして、そもそも喘月とは何か。それを探って欲しい」

「その腰の刀ですな」


 と、宗章の腰に差されている太刀を目に、宗矩は嫌ァな顔をする。ここまで感情を表にするのは珍しい。余人を交えぬ空間に、宗矩も気を置いてはいないのだろう。


 腰の刀を鞘ごと抜き、ズイとばかりに宗矩に差し出す。


「嫌でござる」


 宗矩はにべもない。

 この兄は弟に妖刀を鑑定せよといっているのだ。


「鬼の言葉を鵜呑みにするのもいかん。目利きのお主に、喘月の時代と産地を特定して貰いたい」

「妖刀に魅入られれば、この宗矩が世に災いを為すやもしれませぬぞ。事実、大納言ひでたださまが魅入られしとき、視界に入れただけで心胆を持って行かれそうになり申した」

「夜に見たからだ」


 ぴたりと、宗章は断じた。


「日の下に観ると、妖気は抑えられている。実際、おれは先ほどまで観ていてな。確かにこちらへ何か訴えかけるものを感じ、隙あらばもっていこうとする魔性は充分に残っておる。が、お前なら問題あるまい」

「私が呑まれても、兄上が私を斬れば問題ないと。――」

「柳生宗矩ならおれでも危ないが、妖刀に斬らされてるお主なら問題なく斬れるさ」

「そうでしょうな」


 笑う。

 笑って、まんじゅうを置き、太刀を受け取る。


「兄上の見立てではどうでしょうか」

「鋒は、中鋒。ただ、贄を沸とし踊り狂うような叢沸、さいしょは薩摩は国広の縁かとも思うたが、時代が会わぬ。鎌倉の世の太刀だぞ」

「刀刃の特徴が変化へんげしておるならば、特定は難しいかと思いますが。――」


 といい、宗矩は「兄上、刀剣の眼は鍛えておらぬようですな」と苦笑する。「ほっとけ」と兄が拗ねているのをみると、宗矩はコツリと静かに鯉口を握り開け、作法に則り静かに鞘から引き抜く。


「……。――」


 陽光に浄化されてもなお、宗矩の心胆、その心臓を握り込むようなねっとりとした呪いが覆いかける。臍下丹田せいかたんでん、術理の中心を支えるそこへ気をため込むように、息を吐ききって邪念を追い出す。

 なるほど、これならば御せる。

 しかし、これを用いて戦うのは、宗矩とて至難の業であろう。


「兄上は、この喘月よりどのような思念を受け申したか」

「積み重ねたものが認められぬ境遇への怨嗟だ」

「得心いたしました。これは、剣の柳生に生きる兄上にしか使えませぬ。この宗矩、関ヶ原からこっち、剣者の苦悩を捨て申したゆえ。――」


 この執着因縁からの解脱が、のちに沢庵との交流を経て柳生宗矩を比類なき剣聖へと引き上げることになるのだが、このときの宗矩は己を徳川の歯車と、やや自嘲している時分であったのだろう。


「同じ懊悩を持つものでなければ、使えませぬ。――して、この刀刃、おんなには決して禍もたらさぬとのこと」

「思念呪いのほかに、情念を感じた。その喘月、おそらく――」

「女ですな」と宗矩。


 宗章も首肯する。

 宗章は喘月に塗布された椿油を拭い、姿、刃紋、地鉄を丁寧に観、凝っと陽光との角度をとりながらフムと唸る。

 弟が時間を掛け色々と考えている中、隙を突いて彼のまんじゅうを狙って手を伸ばした宗章だが、ピシャリと閉じ扇子で制される。


「喰うのか」と宗章。

「喰いまする」と宗矩。


 扇子――仕込み扇子であり、骨には手裏剣が仕込んである――それを差し戻しながら、喘月を鞘にも納め入れる。

 鑑定が終わったらしい。

 ひょいパクリとまんじゅうを頬張りながら、宗矩が太刀を返す。


「おれの見立てを聞いてみるか、宗矩。――」


 まんじゅうを喰っているので声には出さず、聞いてみましょうとばかりに頷く弟。宗章は太刀を腰に差しながら、静かに呟く。


「国光。山城伝、来の一派。――」

「ほう」


 餡を飲み込みながら、宗矩はほぼ同意した。


「されど、贄を沸としその刃紋を変生へんじょうさせているならば、また見えてくるものもありましょう。それに、来一派は、文字通り渡人の優れた技術者の流れゆえ、ここまでの沸をこだわり入れる背景はござらぬでしょう」

「おれには、そこまでの見立ては出来ぬ。どう観る、宗矩」

「姿は山城の掟が見えまするが、刀身の中程に向かい等しく弧を描く鎌倉末期の姿。例の太平記に於ける日野資朝の話を加味すれば、ひとつ思い至る刀工がございます」


 煎茶を喫しながら、宗矩は兄の腰に差された喘月を一瞥し、深く腕を組み直して嘆息する。


「相州、岡崎五朗」

「相州。――」

「いまだかつて実在したかも怪しい、正体の掴めぬ刀工」


 宗矩はまっすぐ兄を見ていう。


正宗まさむねにござる」









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