第6話『佐渡へ』

「正宗。――」


 この時代に於いても、腰刃の刀剣で優美利刀の代名詞となる『村正むらまさ』の師匠筋、または兄弟子ともいわれている、刀剣界に於ける謎多き刀工である。


 ひととおり情報を交換した宗章だが、「小半蔵を奔らせましょう。連絡の符丁あいずはご存じですな」との宗矩の提案に「難しい話は苦手でな」と、素直に知らぬと答える。


「小半蔵、服部半蔵の――二代目になり申す」


 細かい符丁の数々を教えながら、宗矩は兄に懇懇と説く。

 武士であり忍びの頭領である初代服部半蔵の後を継いだ、こちらは生粋の忍びである。素質よく心胆太く静謐、腕前は初代も認めるところだという。いまだ二十歳そこそこであるが、柳生屋敷のお庭番として、教育・修行の一環として宗矩の配下として働いている。


 それを宗章に貸し出すといっているのだ。

 手下てかとしては過分ともいえる。


「正宗は、藤三郎とうざぶろう行光ゆきみつの子として鎌倉の世に生まれたとされておりますが、工房自体がどこにあったのかが定かではないのです」

「喘月の生まれを探るには、その工房を探すほかなしか」

「如何様」


 宗矩が「ただ、親元を離れ、国光くにみつ――新藤五しんとうご国光に師事し、山城、備前、伯耆、相州の各地を修行行脚し、技術を研鑽。相州の掟を完成させたのは事実。足取りを追うならば、やはりこのあたりかと」と提案する。


 相州の掟、相州伝。五箇所伝のうちのひとつである。


「しかし、備前国は」


 言い淀む宗章。宗矩も天正一九年(西暦一五九一年)の大洪水で、備前長船の郷が壊滅したのは知っている。もともと三百年の時が経っているうえに、いま正宗の足跡を備前長船の郷に訪ねるのは不可能であろうと思われる。


「が。――」


 と、宗矩はひとこと置いて続ける。


「優良な鉄と、打ち上がった刀の履歴を辿ることで探れるものも多いはず。それに、半蔵配下の忍びの多くは甲賀と伊賀周辺より各地へ散っており、とりわけ名物たからものを監視する手配たちも備前・三原の周囲へと根を張っておりました」

「生き残りの忍者に、聞けるということか。ふむ、やはり人手は要る喃。――」


 畢竟、手を借りるに異存はなかった。小半蔵の仕事には宗矩が金を出すと言い含められたのが大きいところであった。


「正宗の工房、当時の状況など、そういう難しい話は小半蔵に任されたし。兄上は、まあ、鬼と一緒に幽鬼を斬れば、ふむ、宜しかろうかと」

「笑いを抑えているのを見せるのは笑っている以上に、クるものがあるな。……まあよい。では頼んだ」

「兄上は、何処へ」


 去りかけた宗矩が問うと、その兄はニヤリと笑って顎を掻く。


「佐渡へ向かおうとな」

「難しい話が苦手な兄上に申しておきますが、佐渡は今や、徳川の天領でござる。流刑の地とは昔のこと、関ヶ原からこっち、大金山として奉行所が置かれておりましてな」

「それくらいは聞き及んでおるわぃ」


 かつての佐渡を領地としていた武将が知れば、あの孤島にそれほどまでの金が眠っていたのを悔しがるほどの大金山である。とうぜん徳川が飛び地として実権を握っている上に、奉行所の権力と、流刑として送られる罪人という働き手と、それを束ねる人足・人足がしら・手配師たちの坩堝となっている。


「本間入道との対決を前に、御公儀と一戦交えるのは遠慮願いたく存ずる。……が、そうもいかぬのでしょうな」

「仇はの地で呼び出す必要があるゆえ、佐渡には赴くさ。まあ、俺らが佐渡に入る名分は宗矩に任せるとしてだ」

「最初からそれが狙いでしたか」

「それもある」


 宗章は金山に用はないが、金山を取り仕切る公儀権力と利鞘を狙う人足どもは外部からの侵入者には気を立てるだろう。


 どうせ柳生宗矩は、ただの柳生宗章おれが、この利権渦巻く飛び地を引っかき回して膿を絞り出すきっかけになればと思っているはずである。

 ここは気持ちよく利用され合うのが兄弟というものであろう。


「して兄上。鬼のおふたかたは、やはり僧形、尼の姿で征かれるのですかな。――」

「ツノかくし、上手くいくのがそうそうなくてな。親指ほどのデッパリだが、なかなかに目立つ。頭巾でも不自然に盛り上がる。笠などが程よいので、旅姿でもよいものかと思案してるところだ」


 そこでフフっと笑いながら、「それでも日の光の下で見る鬼は、たいそう普通に見えるものでな」と思い出すように眼を細める。しみじみと「喘月同様、お天道様の光りには不思議な力があるのかもしれぬなあ」と続けるが、これは宗矩も首肯する。


「僧形に笠でお行きなされ。金山で死んだ者たちの回向とむらいとして御公儀より派遣されたものといたしましょう。さすれば、無体なことには成りますまい」


 鬼とはいえ、女である。女に不自由している環境に放り込まれれば、なにをされるか分からない。角こそ生えているが、見た目麗しい女性には変わりがないのだ。

 もっとも、藤斬丸の腕前を知る宗章はもなかろうと判断する。いわんや、藤斬丸よりも歳経た鬼の落葉御前をや、である。


「決まりましたな」と宗矩。


 ひとつ、小半蔵が正宗の工房その足跡を探る。

 ひとつ、柳生宗矩が三人の佐渡行きの手はずを整える。

 ひとつ、柳生宗章らは佐渡に乗り込み本間入道の幽鬼を討つ。

 ついで、佐渡の坩堝で癒着した利権の妖怪を掻き回す。


「書状はすぐに持たせましょう。兄上は、どうかご存分に仕りたもう」

「まあ金も貰ってしまってるしな」


 ですな、と宗矩は静かに竹林を抜けて去りゆく。

 その背を見送り、受け取ったままの喘月を手に「正宗か」と呟く。名のある武将に、正宗を使うものは多くいた。

 通称が付いている物もある。

 いわく『石田正宗』――石田三成の佩刀であり誉れ傷ある栄誉の太刀などだ。かの真田信繁も関ヶ原以降は村正から正宗に愛刀を代えていると時代ときの記述にも残っている。


「存外、根深いやもしれぬな」


 太平記、日野資朝の一件よりこっち、かならず最後は毛利輝元に繋がるのだ。根が浅いわけはない。

 鎌倉幕府の壊滅の中で魂を喰ってきた妖刀が、徳川幕府を討滅せんと、室町幕府悲運の将軍義輝の一字を賜った輝元の手によってもたらされたのだ。


「だから、難しい話は嫌いなのだがなァ。――」


 喘月を腰に。

 ポンと柄を叩くと、ため息をひとつ。

 喘月よ、貴女おまえはどのようにして生まれたのだ。

 きっかけの無念と、情念。

 それを探るのは、宗章を置いて他にはいないのだった。






 翌日。

 宗矩からの書状はすぐに届いていた。

 それでも新月までに直江津へ、さらに佐渡に渡るには、歩き通しで征くか、馬を使い出るほかはないだろう。


「まあ鬼なら走っても疲れまい。忍者だってできるのだ、鬼なら楽であろう」

「毒を喰わせたのをまだ根に持っているのか」


 そのとおりであった。

 こうしてかささぎ庵の囲炉裏を囲みながら夕餉を取りつつ、事の次第を報告し合う三人であったが、思いのほか鬼ふたりの動きが不可解であった。

 一日自由にしていた様子だが、すっかり旅支度を調えている上に、その姿がかつての便女びんじょ、いまでいうところの別式べっしき――女侍の格好をしているではないか。

 しかも、その額に角はなく、まったき人間のそれである。瞳も黒い。――化けているのだ。

 僧形になれといわれれば、即座に僧へと化けられるであろう。


「狐狸とて人に化けまする。もと人である鬼が、帰化かえりばけられぬはずがありますまい」と、御前。

「とうぜん馬を使うだろうと思い、武士に化けた。術もかければ余人は不思議と思うまいよ」


 と、藤斬丸も得意げである。

 侍成れば、腰には二本の刀を差している。ふたりの女侍は、二本差しとなっている。食事を摂る側に置いているが、拵えはそこそこ上品な黒蝋塗り。柄に隆をとった明智拵えの逸品とみられる。


「ずいぶん良い刀とみるが。――」と宗章。

「私が打った。そこそこの自信作だ」と藤斬丸。


 重ねられる落葉の「この者は研ぎと手入れも達者にございます」との言に、宗章も「ほう」と素直に感心する。

 人であった時代、この藤斬丸という鬼女は刀剣に携わる世界に身を置いていたのやもしれぬと、少し思う。


「太平記曰く、資朝の息子が父にひと目会いたいと都から佐渡に渡るまで十三の日を掛けたとか。もとより走ってもよいのですが、馬を調達いたしましたゆえ、馬にて参りましょう」

「決まりだな」


 雑炊をすすり終わると、宗章は大の字になって伸びをする。ついで大あくびをかまし、腕を枕に刀を抱いて目を閉じる。

 明日に備えて寝るつもりなのだろうが、女ふたりを前に――しかも鬼を前にして、この心胆の太さはさすがとしか言いようがなかった。

 さしもの鬼女ふたりも、呆れることすら面倒な様子である。


(動くとなれば、そろそろ。江戸、関八州を出れば仕掛けてこよう。――)


 目を閉じつつ、宗章は思う。

 敵は喘月の呪いだけではない。さしあたっては、事の発端が明らかにされてはならぬ毛利輝元の手合いとの戦いであろう。


 佐渡送り。

 渡し賃はいかほどか――宗章。



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