第12話『婆娑羅舞(上)』
金山のみならず、鉱山の開発はとかく命がかかる。
金銀銅、日本の誇る鉱物のほとんどは地の中。それも、地の底から山となって隆起したほんの一画を掘り出している。
そこから、さらに広く深く採掘していくのだ。
酸欠、落盤、鉱毒、その他の事故、殺人、過労、病、さまざまに人は摩耗し消耗され死んでいく。
ただし、実入りはすこぶるよい。
命を代価にする価値は充分にある――と思う者たちが集まっている。戦国に終止符が打たれて数年、まだまだ命を糧によりよく生きようという者らは後を絶たないであろう。
生きている者は、小湊から入ってくる。
では死んだ者は。
彼らは、ひじょうに手厚く葬られる。
大湊の北西にある
人も住まぬ無人の孤島とは古くからいわれていたが、配流される貴人からすれば公家の他は
しかし生活がある以上、人は定住している。
その長い暮らしの痕跡の中、人の出入りの果てが、この佐渡を今に残している。
とにもかくにも、妙生寺が造立されて以後はこの寺に仏を葬る慣例が出来ている。事情や身分によっては、大湊周辺の寺で弔われることもある。
翌日の昼過ぎ、回向――尼僧の読経による小規模な鎮魂祭が執り行われた。随伴の武士は五名、うちひとりは柳生宗章である。寺方は住職の
鎮魂祭。
しめやかな読経に、線香の煙が流され往く。
周囲は杉の木立に囲まれている。その広く寂しい一画に、八尺ばかりの高さの碑が立てられていた。
合同の慰霊碑である。
「骨が遺せたものは、まだ幸せで。山の中に閉じ込められた者はあっちの墓にも入れられやしません」
御嶽兵衛も、人足の頭として立ち合っている。
妙に畏まってふたりの尼の読経――般若心経を聞きながら、となりの宗章にぼそりと呟く。視線は、伏し目で慰霊碑を向いたままだ。
(墓か。――)
墓と雖も、土まんじゅうに柱木。荼毘に付した後、骨のみを粉砕し埋葬してるのだろう。
土葬にはならない。
火葬の手間を掛けたとしても、数を考えれば場所を取らぬ方を選んだのだろう。
「弔い方は、事前の遺書でこの御嶽が聞き入れております。焼かれ骨のみ葬られることは、みな、受け入れております。それでも墓など要らぬと申し出た者は、獣に喰わせ、山に還しております。海に帰りたいと申す者がいれば、海に。――ただ、野ざらしにはさせません。人足頭の、矜持でございます」
「
こうまでしてか細く雑談ができるのは、実に風呂屋で奉行の元井に「金山に興味なし」という立ち位置を素直に吐露したことが大きい。人足頭の御嶽とともに最後列で佇立してる姿は、どこか隔世した存在のような印象を受ける。
「……。――」
だがしかし、宗章は瞑目し手を合わせた。
死ねば、みな仏。
愛憎怨怒の気持ちを離れた、弔いの心である。
都合、半刻ほどでことはつつがなく終了した。
尼のふたりは「他の墓にも手を合わせたく」と願い出、随伴していた奉行所付けの武士四人もこれを認めたため、尼ふたりと宗章、そしてなぜかついてきた御嶽兵衛の四人は、妙生寺の離れへと身を遷していた。
かささぎの庵にも似た、小さな庵であった。
それでも、四人を含め、あと五、六人は泊まれるほどである。
「では本日はこちらにて。明日の朝、迎えに参ります」
奉行所からのお目付役は、そう言付けて帰っていく。この寺という囲いの中にいる限りは、余計なことはできない。人足頭の御嶽兵衛が目を光らせている故、出し抜かれはしないだろう。
獣の如き勘働きをさせる御嶽兵衛への、奉行所側からの信頼が感じられる。
「さて。――」
「へ、へぃ」
さてはて、これはどういったことなのか。
膂力強かそうな巨漢が、落葉御前の一挙手一投足にビクビクしているではないか。宗章は腕を組み小首を傾げる。
「昨夜のことをお話ししましょう」
「へぃ」
平伏したまま、ざざっと端まで身を引く御嶽。
(ははあ、さては
御嶽が女性を怖がる謂れはない。
だが鬼女なら話は別であろう。
どうやら酷い目に遭ったらしい。
「――かくの如しでございます」
と、御前が昨夜の顛末を、恐らく比較的穏やかに伝え終わると、何か言いたそうな御嶽兵衛と柳生宗章の視線が、ハタと合う。
「ま、常ならおいそれと信じられぬ話ではあるが、化生は化生同士で話し合うと言ってたから、まあお主も化生なのだろうとは察しがつく。が、よもや……」
「つ、つまらぬ猪頭にございますれば。――」
(なにをされたのだろう)
「……女は、怖かろ」と彼に小声で同情する宗章。
「とんでもございませぬ」と、びくりとして顔を上げ、また叩かれたように伏せてしまう御嶽。
落葉御前は「そこなうり坊のことは、ともかくとして」と区切ると、「やはり日野資朝の葬られた場所は、この妙生寺の何処かかと」と紡ぐ。
「佐渡奉行、元井の
「承知いたしました。藤――」
話を振られた藤斬丸が、懐から油紙に包まれた一通の書を出す。さらに厚手の奉書紙に包まれたそれを開き、ぼろぼろになった誓書――その紙片があらわれる。
達筆である。いや、達筆であろう。
赤茶けた紙魚おどるぼろ紙に奔る墨の色も、どこか禍々しく見える。染み込みと乾燥に併せ、錆にも似たざらつきが見えるようだ。
スン――と、平伏したままの御嶽が鼻を鳴らす。
血の、それも酸化した鉄錆のような匂いを感じたからだ。
「そも、刀工である五郎入道正宗に刀を注文したのは、日野資朝でございます。これはその約束を認めた誓書――その紙片でございます」
「話が繋がってきたな」
以前に「正宗か」と鎌を掛けてボロを出させなければ、未だ尚、このふたりはとぼけていたであろう。
ニンゲンを信用していないのだろうなと、微かに宗章は思った。 思って、(ここに居るニンゲンは俺だけではないか)と笑い出しそうになってしまう。
「この紙片、誓書、日野資朝の血で書かれております」
「なんと。血誓書であったか」
以降の時代にも、血の誓約、連判状の類いは多い。血判がメジャーであるが、血液そのもので誓願する内容にまで言及した書面を
武家にも、これは、これらは、
とりわけ、血の盟約。決闘の誓願、そして真実の告白。さらには、七生生まれ変われども晴らせぬ恨み言など、見た者、読んだ者に書き手の本気を伝えるため、よく用いられている。
「喘月の生まれ出でる一件、その根幹にこそこの誓書がございます。喘月を、喘月たらしめる、最初の呪いゆえ」
「何が書かれておる」
「正宗に、後醍醐帝が腰に帯びる太刀を鍛つよう求めるもの。最良の鉄、技術、すべてを以て仕上げ、『相応しきただひと振り』を鎌倉に向ける刃とす……と」
「それが、呪いか。いや、そうではあるまい」
御前は宗章に頷く。
確かにこれは、鎌倉幕府に向けた呪いの剣やもしれぬが、さにあらず。
その言葉を引き継いだのは、藤斬丸である。
「
「
いわゆる『影打ち』とは最終選考にまで残った、いわば採用されし刀の兄弟であり、その後速やかに鋳つぶされるべき忌み子でもあるのだ。
「喘月とは、岡崎五郎――入道正宗がふた振り鍛えし極上作、その影打ちとして葬られしひと振り。優美に欠け、帝の
「……なるほど、喃」
嘘では、あるまい。
しかし、能くあることではないか。影打ちは、常の倣いである。消えて行く影打ちもあれば、銘を刻まれずに世に流される玄人好みの特級品として流されることも多いと聞く。
たかが――といってしまえば、礼を失するであろうか。
たかが金属の板が、影打ちとして消え去るとして、はたしてそれを怨みに、怨恨として身に刻み込むであろうか。
刀剣の気が刀剣の気をはずれ、妖刀に生じることになるのであろうか。
(――喘月の茎に刻まれし、『月』と、打ち消しされた鏨の一傷の銘。その謎は残るが)
「問うまいて」と、宗章は腰の喘月をポンと叩く。
「積み重なりしものが認められぬ無念、か」
「――日野資朝の血で記されたこの誓書、出来うることなれば、日野資朝の血で塗りつぶし、焼き清めとうございました。が、この落葉御前が生まれしときにはすでに亡く。さすれば、喘月の呪いを解けうる兆しが見えたとき、改めて日野資朝の骨なり灰なりを以て浄化すべしと考えておりました」
「筋は通る。もし叶わなくば、縁者血族のそれを以て行う算段ではあったろうが。――」
鬼はそれには答えない。
答えも、人は求めてはいなかった。
「陽光が隠れ、新月がその真黒き姿を浮かべるとき。あの墓場、大いなる碑の前にて反魂香を焚きまする。この落葉が舞いたるは
静かに伝える落葉御前と、確かに頷く藤斬丸。
昼下がりの空、太陽が落ち始める斜の木陰が差し込む。
「反魂香」
がくがくと、御嶽兵衛が震えている。
はっと、さすがに顔を上げると悲鳴にも似た声を上げる。
「あ、あんなものを使うので。――」
御前は、冷たき笑いで御嶽を黙らせると、答えずに宗章を見る。宗章は、あんなもの、という言葉の意味を考えてはいない様子であった。ここで躊躇いを取られたら、ことが上手く運ぶはずがない。
御前にしても、やはり真なる喘月の解呪は本懐であるため、いつニンゲンである柳生宗章が下手を踏むか心配であるが、個々は背中を押すほかない。
(どうせ、黙っていることがまだまだ多いのであろう)
宗章はそうとしか思わなかった。
「まあなんにせよだ」
宗章の心胆より、鉄の気迫が滲み出す。
間近の御嶽兵衛は本能で冷や汗を垂らし、鬼女のふたりはあらためて肝を冷やす。
「斬れるよう、斬るまで」
そう呟き、また再び喘月の柄をぽんと叩く。
「人であろうと、鬼であろうと、妖怪の類いであろうと。仏であろうと神であろうとな」
破顔する。
「俺は自分の意地を徹すまで。なれば新陰流、存分に振るい申そう」
鬼女は無言、猪は息を呑む。
なんだ、このニンゲンは。
そのような目であった。
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