第9話『佐渡の御嶽兵衛(上)』

「江戸より、女坊主たちが来るらしい」


 人足たちが晩飯を喰らう小屋のひとつで、たいそう人相の悪い大男が近しい部下に声を潜めて伝える。この巨漢の名は、御嶽兵衛おんごくひょうえという。垢じみた四角い顔も、瓜のような丸い拳も、つま先まで赤黒く焼けている。歳はもう、五十に手が届くほどであろうか。


 関ヶ原以前より江戸の町造りなどを担う建増方に従い頭角を現した人足頭のひとりで、佐渡に金山ありと成ったところ推挙された元井もとい兵庫助ひょうごのすけに取り入るかたちでともに佐渡へと大人数で渡った豪傑である。もとは漁師頭であったという流れ者であった。

 基は現在の佐渡奉行である。


 御嶽兵衛は佐渡人足頭になり、元井との共謀で、佐渡からの金の流通に関しての、も取り仕切っていくようになり現在に至っている。


「女坊主、尼ですかい」


 手下のひとりが訊ねると、御嶽は「山で死んだ者らに手を合わせに来るんだと」と、神妙な顔で両手を合わせて「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と、もごもどと口の中で念仏らしきものを唱えている。


「確かに、結構な数が死んでますからね」と、配下。

「だがァ、金銀はいい。銅は毒で死ぬからな」


 通常、鉱山開発と運営は山師と呼ばれる者らが担う。が、御嶽が佐渡に渡る前に、すでにふたりが何者の手によるものか死んでいたし、残るひとりの山師は報酬を手に南へと下ったという。


 ふたりを始末したのは、御嶽兵衛である。裏には元井もいたであろう。それほどのリスクを冒してまでも、金山経営のなんやかんやは絶大な利益を生み出すのだ。


「石見(銀山)の輩は上手くやったが、俺らもうまくやらなきゃならねえ。理解わかってるな」

「へぃ」と、三つ、四つの声が応える。


 実のところ、金の産出量をごまかしたり、また、江戸に送られる金の含有量や品質を落とすことで利益を得ようとすればたちどころに足が付く。

 幕府の目付はそれほど甘くはない。甘くないどころか、実に「見ているぞ」といった威圧を、あろうことか利潤を得ている元井を通して伝えてくる。


 実に三度、「このくらいなら」と産出量をごまかした御嶽兵衛の仕儀は、たちどころに明らかになっている。

 本土の直江津の港で、即座に帳簿を見破られている。


(こいつぁいけねえ、さすがは徳川の屋台骨、金そのものは御法度ときてる)


 しかし、働き手がいなければ金山経営は成り立たぬ。それなりの旨みがなければ、人は集まらない。鉱毒は少ないが、事故死は多い。経済の血脈たる人員がいなければ立ちゆかなくなる。

 これは人足頭の面目も潰れ、徳川も困る。

 水が清ければ魚は住めず。

 よって、小木の湊を始め、この佐渡の町や村々の経済については、かなりのお目こぼしという恩恵を受けている。


 みかじめ料もなにもない。

 この佐渡、漁師から人足まですべて御嶽兵衛の手下であり、古くより住まう流人や、集まってきた人足目当ての商売人たちも、自然、これに従っている。

 女商売の女衒ややくざ者などは、はじめ殴り込むカタチで佐渡に殺到したが、不幸なことに何度か事故で殺されてからは大人しくなり、これもまた御嶽兵衛の配下となった。

 旨みは、それらだった。


「公儀には迷惑を掛けておらぬゆえ、なにもないとは思うが、ノ。尼どもが去るまで、おい、余計なことは慎めよ」

「へぃ」


 飯を食らい、汁で流し込み、配下は寝床へと帰っていく。

 御嶽も碗の玄米を掻き込み、ひとつふたつ唸るように考え込む。

 もっとも、女ふたりと、共連れの侍ひとり。

 公儀の使者、十中八九、視察を兼ねているだろうが、何があろうと、押し込めて不幸な事故で殺してしまえばよいだろう。そう彼は考えている。

 もっとも、それこそが大誤算であるのは知らぬことである。





 越後直江津の港からの使者を迎えた佐渡奉行、元井兵庫は小木の湊へ荷物などを運んできた男女をみて「ほぅ」と嘆息した。


「よぉおいでに。奉行の元井でござる」

「お出迎えありがたく」と、こちらは宗章である。


 宗章は公儀の誰それのナンタラという、名前を覚えていないがその者の名代で来ている。浪人動禅の身分だが、元井に渡した書状が正式なものゆえ、身分が上の元井は宗章を同格のものとして扱っているのが窺える。

 元井は壮年の武士である。

 悪いことも、いいことも、たっぷりやっている顔つきと見るが、江戸に妻と子もいると聞く。腹を切らねばならぬほどの悪行はやらねども、次の奉行が決まるまでに経済を回し、利潤をたらふく持ち帰ることを考える悪党の類いであろう。


「尼と聞いておりましたが」と元井。


 御前と藤が僧衣姿であるにも拘わらず、髪を落としていないのを見ての言葉だ。挨拶ゆえ笠を取っているが、ふたりとも若く、どこぞの奥方のような立ち居姿である。


「とある家の子女でな。東慶寺に預けるまえに、修行とほとぼり冷ましのために、方々で回向をしている。お気になさらず」

「ほう、東慶寺」


 なるほど、と元井は頷いた。

 東慶寺は尼寺である。

 のちに、豊臣秀頼の正室であった千姫、その養女である天秀尼が入ることになる寺であり、鎌倉に於ける由緒正しい名刹である。とうぜん元井も知っている。

 そこが女が俗世(男)を隔て捨てられる『縁切り寺』であることも含めて。


 思い出し「縁切り行脚」――と、口にしかけ、宗章の頷きによって差し止め、元井は馬三頭を厩に預けるよう部下に言い渡し、三人を屋敷へと招いた。


 離島の屋敷であるが、奉行の邸宅を兼ねた趣のある造りである。古来より、身分あるものが配流されてきた地ゆえ、このような建物が多く残っているという。


 広い邸宅である。

 名のある者が使っていたものを改修しているのであろう。

 おそらく古木、杉の分厚い材木などふんだんに使用している。

 ふところ具合も、かなりよいのであろう。


「ではこちらに。一両日中には、寺の準備も整えますれば」

「いたみいる」と、宗章。尼のふたりも頭を下げる。


 離れの一室である。

 余人の気配が残ってはいないかと警戒していた鬼女ふたりだが、風の音が乱れなく、宗章も「そんなに気を張るな」と笑ったことでひと息つくことにした。


「なんだな、うむ。見事に『男と縁を切りたいふたり』と映ったようだな。訳ありな東慶寺の案件なぞ、突く者もおるまいて。なあに、これからやるのは――ええとすまぬ、どうすればいいのだったかな」

「男運のない女に見えたという件は、またあとで聞かせてもらうとして。――本間入道の邸宅跡、そこに近いところを見つけねばなりません。もしくは」


 と、御前が藤を一瞥しながら「日野資朝ひのすけともが首を刎ねられた場所を。――」と呟く。


 引き継いだ藤斬丸は「出来うるなら、日野資朝の肉体を葬った場所が分かれば尚よい」と重ねると、半開きの口で眉を寄せる宗章の膝を小突きながら「なんだ」と不満顔だ。


「日野資朝の骨でも拾いたいのか、お主ら」


 と言いつつ、少し合点がいったかのような宗章である。

 なぜ『たとえ生きていようと死んでいようと仇を呼び出す反魂香』を使うに、仇のゆかりの地へと赴く必要があったのか。

 なぜ行き当たりばったりな方便で連れ回したのか。


「――ほんとうに骨が目当てか」

「……。――」


 御前は、静かに頭を下げる。

 藤はばつが悪そうにそっぽを向いている。


「どうか、深くはお聞きにならないでくださいまし。これには、深き事情が……。――」

「ああ、よい。よい。気にするな」


 と、宗章は破顔して胡座をかきなおす。畳敷きの部屋だが、やや固きに過ぎる。


「よろしいのでしょうか」

「難しい話は苦手でな。――」


 顎を掻きながら、二度三度と頷く。


「すべてをはっきりさせたいとは思わぬ。ただ、ただ、この剣。新陰流、そして柳生の意地を汚さぬなら、お主らに任せる」

「柳生の意地。――」


 仁と義と勇。そのみっつである。

 常ならば納得ずくでなければ動かぬが本道である。過去の死者とはいえ、なかんずく現代に正ある者をも斬る可能性があるなかで、その方針そのものを他人に任せる――否、道義と柳生の意地に沿うならば――否、目的が沿うならば――みたび否、気に食わぬなら辞めるという闊達な自然の心胆。

 この無責任ともとれる境地に至るまで、この柳生宗章という男はどんな人生を送ってきたのだろうか。


「御前、油断されるな。この男、こういってるが注文付けるときは遠慮がないと思います。まず、その場でいいたいことをいい、聞きたいことを聞き、聞きたくないときは聞かないだけでございます」

「あけすけに言うでないわ」と笑う宗章。その通りなのだろう。


「ともあれだ」


 新月まであと三日。

 本間入道の邸宅跡。

 そして日野資朝処刑場、または墓。ともすれば、遺骨。

 どうにかして、そのふたつの当たりを付けたいところである。


「日が暮れたら、出かける。お主らも、どうせやることがあるのであろう」

「どちらへ?」

「なあに、男ばかりの世界には、女と酒がつきもの。ちと岡場所へ行ってくる。…………いや、女を抱きにいくのではない、そんな顔をするな」


 宗章は「男は男同士、話を聞いてこようと思うてな。なあに、酒くらいはいいだろう」と、杯を傾ける仕草をする。


「では、喘月を藤斬丸にお預けください。夜半を過ぎれば、またぞろ中てられる者がいても不思議はなく」

「香取新十郎か。さて、亡骸はどうなったことやら」と、腰から喘月を鞘ごめに抜き、藤へと手渡す。


 それだけで体が軽くなったような気がする。

 知れず、喘月の重圧が心身にのし掛かっていたのであろうか。


「お主らも出るのか。――」

「はい。喘月があるゆえ、藤は残しますが」


 落葉御前が、金の目で笑う。


「男は男で。では、妖魅は妖魅と会うて参ります。――」





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