第2話 マスク必須のご時世
***2***
私の言ってるあいつとは、かれこれまあ三十年以上の付き合いだ。
あいつは私を助手だとか言ってるけど、報酬をくれたことはない。まあ、儲かってないのだから仕方がないが、たまには気をきかせなさいよね。
私は宝物置き場――実家の私室にある一角を思い浮かべる。そこには友達がくれた思い出の品が積んであり、各人の思い出の多さこそが私の心の勲章なのだ。
たとえばね、高校一年の誕生日にワンコのプリントの入ったレノマのハンカチ、五枚。あ、最初は使うのがもったいないって思っていたけれど、ある日路肩に落ちてた猫の死骸が痛ましくて、迷わずそれをかぶせてきた。だから思い出の数は今は四枚。
猫の死骸の件をそばで見ていたあいつは、ものをくれようとはしなくなり、プレゼントは食べ物オンリーになった。そのせいか、この年になって豊満なボディがちょっぴりサイズオーバーしてきた。
コラーゲンとプロテインを毎日摂ってるから、女性らしいラインは保ってる。けど、気どったクッキーとか、パイとかあいつがよこすから、残さないようにしてたのよ。私はしつけの良い子なの!
愛犬のリリー(男の子)の写真を、思い出置き場に飾ってある。動物アレルギーだった私が小学生の頃に出逢った六歳犬。ずっとずっと一緒だったけれど、私が大学生の時に永遠のお別れをした。心臓が弱くって、体もちっちゃかったけれど十年も一緒にいた。それから私はペットは飼わない。リリーだけが、私の犬なのだ。
それなのに、あいつはといえば、アメリカンショートヘアーのくっさい年寄り猫を亡くしたばかりで、今度はスコティッシュフォールドを買ったというから、開いた口がふさがらない。普通、ペットを亡くして四年で別の子を飼うってする? 愛情を疑います。
あいつは「猫を失うと、胸に猫型の穴が空く」って言ってたけど、それじゃああんたは何個穴を空けたのよ。その痛みに耐えるから人間に深みが出るの。次々と新しい猫を飼って穴を埋めてるんじゃないわ。
あー、もうお昼か。なんにもしないうちに時間が経っちゃった。なんか食べよう。
そう思って私はあいつの家に向かった。
家の前のバス停から十分、上星川駅から電車でちょっと、最寄の西谷駅から歩いて十五分。
一月だけど、日焼け止めはするの。美肌は一日にしてならず。
マスクは必須。電車内でおしゃべりしてる人を見ると眉をひそめる。スマホがあるでしょうよ。DMできるでしょうよ、LINEもあるでしょ。なんで口でしゃべるの。うるさいなあ。
『聲の形』でヒロインがやったみたいに、メールを使ってムード出すのも、今どきアリだと思うわよ。
でもわざわざ言ってやらないんだ。やかましいおばちゃんだと思われてしまうから。しらっとした気分で車両を変える。リア充爆発しろ!
Twitterで彼にDM入れたら顔文字で笑うって返ってきた。そうよね。このご時世、リア充ってはた迷惑。マスクをしてればいいっていうんじゃないの。もっと小声でしゃべりなさいよ。……美川憲一のまね。
やれやれ、間に合った。
母が作ってくれたアジフライを土産に、呼び鈴を鳴らすと、二階のキッチンからあいつが顔を出した。
「ねえ、お昼食べたー?」
そう聞くと、あいつの背後からレンジの音がピーッと鳴った。
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