第5話 偵察

***5***


「こんにちはー」

 ドアをコツコツと叩く。返事がない。日光の当たらない位置にあるクリーム色のドア。管理人室ってここだよね。一階の角部屋。四階建てだから、表からは北をむいた玄関ドアが全室、日陰になっているのが見える。

 ちなみに表に人通りはない。部屋は全部で、ええと。十六。これだけ大きいマンションなんだから、遠くないどこかに駐車場があるはずだな。

「こんにちはー!」

 もう一回、声を張り上げてみて、ダメだったら建物の角を見て帰ろう。そこに毒草、あったらしいから。

「どなた?」

 いきなり背後からお声がかかった。しわがれ声。振り返ると、声からは想像もつかないほどお若い、おばあさんがいた。

 不況の割にはたっぷりお肉に恵まれた体形。目線が下になるから、身長百五十センチくらい。杖をついている。足がお悪いのだろう。洗濯でちりちりになったレースがついた、ピンク色のマスクがみすぼらしい。日に焼けた肌。まぶたがとろんと下がっている。

「このマンションの管理人さんにお尋ねしたいことがありまして」

 ド直球でいいのだ。今の私は朝ドラの『らんまん』の前情報に影響された、植物学が趣味の暇人、もとい、おねえさまなのよっ。

「事件のことなら私はなにも知りません」

「!」

 事件とな! ヤバイよ、由美。ビンゴだったよ。

「事件って、あの」

「ご近所の目のあるところで、やめてください」

 あ、この人が管理人だ。ご近所の目って言ったって、みんな不要不急の外出は制限されてるから、気にするべきは目じゃなくて耳だよね。

「こちら、ステキなお庭ですよね。夾竹桃、ベラドンナ、ジギタリス、すずらん。よく集めましたね」

「持っていきたければ、どうぞ」

「そんなそんな……悪いですから」

 全部毒草だ。しかも簡単に手に入る。

 細めた目で確認すると、おばあさんは委縮してよたよたと、ドアノブに近づき回そうとした。

「鍵、かかってますよ」

「わかってます」

 鍵束を出してきて、震える手でカチカチと鍵穴に入れようとしている。なかなかうまくいかない。

「私、やりましょうか?」

 おばあさんは見る間に緊張して、私を見上げた。

 目だけでにっこりして見かえすと、ドアと私を見比べて、素直に鍵束を渡してきた。うーん。

「どれですか?」

「これです」

 ピッキングに弱いシリンダーキーだ。

 開けてあげると、中まで見せてくれた。

 薄暗い玄関の上から、くすんだ布製の人形がいっぱいぶら下がってる。すだれかな。下がりびなというやつ? ひとり暮らしなのかな。

 人恋しいのか、警戒心がないのか、部屋にまで上げてくれる。

 でもこれって、私にとっては普通のことだ。人徳よ。ふっふっふ。

 おばあさんは、肘から下げていた鶯色のトートバッグから、からあげとナスの揚げびたしを出して薄暗い流し台に置き、サトウのごはんをレンジにかけている。

 あ、ヤバい。お腹が鳴る! と思ったら、食べていくかと聞かれた。

 うーん。この人が毒草を植えたんだよね?

 由美が見たところによると、土壌、水はけ、日照、温度、湿度その他もろもろの必要条件がまるっきり異なる毒草が植わってるんだ。

 ハシリドコロとベラドンナ、ジギタリスは日陰の草だし、生育条件も違う。丈夫な夾竹桃に至っては定期的な剪定が必要だけど、その剪定枝はゴミに出せない。燃やすと有毒ガスが出るからね。

 これだけ大量の毒草、どこから仕入れたんだろう。ちょっと変だと思う。

 部屋の中でも観察するかな。なんかの事件とやらの手がかりがあるかもだし。

 と、思ったら。ぷっ、まるで乙女。今どき珍しい黒電話にピンクのカバーをかけてある。こたつに座布団。これはキルト。ちょっと地区センターの文化祭みたいよ? 白い壁には刺繡の草花がかけられていて、そうだな。手作りですかって聞いてみよう。

「ステキな内装ですね」

 このあたりが無難な表現かな。

「あ、これなんかかわいいっ」

 ひけらかすように壁に飾ってあったビーズのネックレスをじっくり見る。ただのアクセサリーであれば、ここまでこだわらないだろう。ピンときた。暇にあかして趣味の手芸を楽しんでるんだ、きっと。

 桐ダンスに白いレースをかぶせちゃうセンス。これも手編みとみた。

「ステキですねえ」

「お友達がね、趣味の品を譲ってくれるの」

「へえ、お友だちが! もしかして手作りですか?」

「ええ」

「いいなあ。上品で」

 メルヘンチックで、ファンシーよ。どんぐりのペンダントに軍手の指人形まで小引き出しに飾ってある。こういうおばあちゃんの趣味、ちょっと引くなあ。年甲斐もなくってなんだかこわい。

「どうぞ」

 出してくれたのが、カントリーマァム。訂正。本格派なのね、おばあさま。味覚が特にステキです。

「どうぞおかまいなく」

「お客じゃないしね」

 言うじゃない。そうなの。私は偵察で来たのよん。

「このコロナ禍でどうにも暇で、体もなまるので散策してたんです。そしたらそこの角で」

 毒草ばかりが植わっているのを見つけてしまいましたー。えへ。

「そうですか」

 あら、薄いはんのー。

「事件ってなんですか? 最近のこと?」

 だったら、由美が一言、言うはずなんだけど。

「過去のことです」

 嫌そうにした。ああ、そうなんだ。最近の過去、ね。ググれば出てくるでしょう。

「お茶をいれますね」

「すみません、本当に」

「で、あなただれ」

 あれ。

「申し遅れました。コウ・ホワミーと申します。薬草研究会の者ですが、あいにくと名刺を切らせておりまして」

「おや、日本の人には珍しいお名前ね?」

「韓国人なんです。生まれは日本なのですが」

「それはそれは」

 ちょっとびっくりしてるかな。大した職もなしに親の世話になってるなんてちょっと外聞が悪いけど、外国籍ということで難しいことは言わないでくれるよね。ね? だって働いてるし、私。

「やくそうけんきゅうかいっていうのは……?」

「薬草の研究をしています。わたくし助手のアルバイトです」

 ほんとうは『自称・探偵俱楽部』の助手ね。

「そう。私はこのマンションの管理人、藤岡(ふじおか)正美(まさみ)です」

 普通の名前だな。

「で、本当の御用件はなあに?」

 ありゃ。

 参った。あらかじめ言っておこう。この人も知らないのかもしれない。

「こないだこちらで見かけたハシリドコロが見当たらないので、どなたかが処分なすったのかと思ったんです」

「ハシリドコロ……?」

 重たそうなまぶたがひきつった。知ってるなあ、これは。

「えっと、毒草なんですが、春先になると芽を出すので。山菜と間違えて食べると大変なんです。どなたかが持ち去ったならそれは危険ですよ」

 いろいろとね。

「藤岡さんがご存じで、処分なさったならいいと思ったんです」

「えぇ。……処分しました」

 ふーん。間があったなあ。

「そうですか、ではハシリドコロを植えたのはあなたではないんですね?」

 藤岡正美は黙って、台所から温めたお惣菜を器に盛ってきた。

「どうぞ」

 うーん。ナスの揚げびたしがおいしいな。

「ハシリドコロかどうかは知りませんが、雑草だと思って抜きました」

 それはおかしいなあ。私は毒草の話をして、彼女はそれを受けた回答をしている。今さら知らないというのは、矛盾する。

 雑草を抜いただけだと、そう言いはるのかぁ。ハシリドコロと知らないのに、処分したかどうかは憶えてる、と。妙ですねー。

 外の花壇は確かに雑草はない。手入れはちゃんとしている。もっとも毒草の中には土壌まで毒素を及ぼしたりするものもあるし、雑草を生えにくくする成分を持っているものもある。ぶっちゃけ、同じところにあった土で育った野菜が毒化しちゃうっていう話も。

「これからあったかい季節になると、雑草抜くのがたいへんですよねぇ」

「ええ、軍手をダースで買います」

「ハシリドコロを軍手で抜いたんですか?」

「ハシリドコロがどんなものか、わからないんですけどね」

 毒草ですよ。軍手って……具合悪くなりそうなものだ。ゴム手袋の間違いじゃない?

「どこに生えてる雑草を抜いたのです?」

「さあ、生えてるのを見かけたら抜いてますよ。外観が悪いですから」

 ほう。あくまでグレーってことか。

「あ、いけない。つい話し込んでしまいましたね。私、これから研究所へ行かないと」

「あら、もう?」

「バイトはつらいんですよ。使いっパシリです」

 てへへ、と笑って出てくる。

 一応、四隅に植わってる毒草をちょっと見てくか。

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