第9話 情報提供者
***9***
私は、イアラちゃんとやらが救急車に乗せられていくのを見送った。うっかりすると観察しに近づいていこうとする、由美をとっつかまえておいてと。
藤岡正美に話を聞こうと思ってキョロキョロしてたんだけれど何故か姿が見えない。
「管理人さんて。今、一緒に救急車に乗っていった人じゃない?」
由美が手でひさしを作りながら言うので、そちらを見たらバタンと扉は締まり、ピポパポサイレンを鳴らして行ってしまった。
「死んでないなら、そう言ってよねえ……」
私はガックリその場に膝をついた。
ん? なんか建物の隅でひそひそ話が聞こえる!
「ちょっといいですか……」
私は今救急車で運ばれた娘の、第一発見者なんです。
そういうと、マンションの住人がそろりと出てきて情報をくれた。
「五年前の事件と同じ……?」
五年前に全裸で転落死した男性が、このマンションで暮らしていたそうだ。家族構成はというと……大変だ。今日、窓から落っこちてきた娘の父親だったらしい。
告げると、由美は。
「後追いにしろ、悩みの末にしろ、このマンションにとっては厄介よね」
由美はいつも他人事なんだから。
「それよりホワミー、情報は? 早くはやくぅ」
そのくせ首をつっこむのよねえ。
今日の午後三時半ごろ『ウィリデ荘』の四階の角部屋の窓から『北園(きたぞの)イアラ』十五歳が転落した。
「で? 五年前に同じところから転落死した父親が西条(さいじょう)裕司(ゆうじ)? なんで姓が違うかな」
由美が郵便物を入れるピジョンホールの名前を確かめながら言ったので、私は親子にもいろいろあるんでしょうと返した。
あ、でも。表札は立派な筆文字だ。
四階のドアの正面にカードホルダーがついていて、そこには名前を書いた白い紙が入っていた。『北園』と。
「五年前にこの部屋から落っこちた西条は、北園イアラの実の父親なんだよ。夫婦が離婚したのでないなら、改姓は変」
「改姓っていうか、まず先に籍を入れてなかったのかもしれないじゃない」
そっか。複雑な家庭だったのね……。
「しっかし、母親は何してるんだろ」
「働いてるんじゃないの?」
なんでわかるの?
「察するに、シングルマザーなんでしょ。ほら、ここに二人分の名前が書いてある。普通に、働くぐらいはするんじゃないの?」
「生活保護かもしんないじゃん?」
「それでも、娘が救急車で運ばれたっていうのに家にいないんだから、連絡は誰がどこにつけることになるのかしら」
知らん。私に聞くな。
「お隣に聞きこみしましょう」
えーっ、いやだぁー!
「管理人さんがいないんじゃ、そうするよりないでしょう」
私がこんなに嫌なのに、顔の表情筋をめいっぱい動員して嫌がっているのに、こいつはーっ!
「んなこと言ったって、このマンション、人が死んでるんだよ? その娘も命がどうだかわかんないっていうのに……のろわれるよ絶対!」
「ホワミー、人はいつか死ぬものよ」
また! 人を喰った顔つきで悟ったようなことを言う。だまされないからね、私は。
「人の生死を他人事のように語るな!」
「そんなこと言ったってね……」
そのとき、隣の部屋のドアが静かに開いた。流れる空気でそれとわかり、私は身を縮めた。
「あのぉ!」
「はい! ごめんなさい、うるさいですよねお邪魔しましたっ」
私が九十度角に腰を折って頭を下げているのに、その声は。
「イアラちゃん、死んだんですか?」
ずいぶんと直截に聞くなあぁ。
「そんなこと、知りません」
由美は言い方がなんだなあぁ。ちなみに救急車は死体を乗せませんから。
「さっき、救急車の音がしたけど、自殺ですか?」
? なんかこの聞き方、ヤバくない? こわくて笑っちゃうんだけど。ふひっ。
「さあ、そうでなかった場合は事故というべきでしょう」
胸の音がどくどく脈打つのを抑えつつ、私は言った。
「なんだ。事故なんですかぁ」
えっ? なんでそんな、残念そうなの。おかしいの?
「お話、聞かせてもらえますか」
唐突に言って、由美がずかずか上がりこもうとする。私はというと、廊下に置き去り。待ってぇ!
「今、コロナがあれだから、玄関で」
「はい、それで結構です」
「実はね……」
実は、じつはって、真相がいくつあるんだこの話。
「行くわよ、ホワミー」
まだ五分も経ってない。どういう聞きこみ方してるんだ、こいつ。
「あのお隣さんは、夜中に働いてるらしいわ。男の靴があった。あの臭い、だめ」
もお、せっかく話を聞くチャンスだったのに、だめじゃないのぉ。伊藤(いとう)英(ひで)美(み)さんね、スマホにメモっとこ。北園家のお隣さん。
「でもわかったことがある。あの人、五年前の事件、知ってる」
「えっ、そんなに長くここにいて、お隣さんの事故でわきわきするの? 近所づきあいってものがあるでしょうに」
由美はちょっと考えたふうで、先を行く足を緩めた。
「そうよね? お隣で安易に自殺されたら、たまったものじゃないはずなのに、嬉しそうに情報提供してくれたわ。私、探偵だとも警察だとも、なんにも思わせぶってないのに」
「や、私と一緒だったせいだと思うよ」
「ホワーイ?」
由美には、私が薬草研究所の助手であると、管理人に名乗ったと伝えた。
「管理人がそれをいつ、あのお隣さんに伝えたの?」
「だから、救急車が来たときじゃないの? 確認しなかったの?」
らしくもない由美に、私は眉をひそめる。だけど、由美は鼻にしわを寄せて考えこんでる様子だ。なにか不快なもんでも見るように。
「目の前のどうでもいい情報を処理するので手一杯だったわ」
ふうん? 後でしっかり教えてもらおう。
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