第15話 毒の家系

***15***


 五年前。

 リアラは十歳の娘、イアラに泣きつかれた。

「あのね、ろうかをとおりすがるときに、ひじでおむねのところをぐりっとするの」

「! イアラ、それはいじめ?」

「わかんない。でもいたいしやめてっていってもやめてくれないの。ほかにもからだをさわったりしてくるの。ママ、どうしたらいい」

「相手は男ね! 金的してやんなさい」

「キンテキ……」

「イアラ、どこのだれだかはっきりと、この人だって言える? それならママは全力であなたを守るから。その人を警察に突き出してでもやっつけるから」

「ママ……」

 イアラは自分がいたらないのがいけないと思いこみ、自分で対処すると決めたようだった。

 そんなとき、リアラは夫の不審な行動に気づいた。

 イアラが入浴しているときに、脱衣所あたりをうろつき、「今入ってるのはだれだ?」などと言って風呂場のドアを開け放つのだ。

「あなた、私がここにいるんだから、中にいるのはイアラに決まってるでしょう」

 と抗議するも、夫はとぼけた。

「ああ、おまえ、いたのか……」

(そんな言い方ってないと思うけどな。BYホワミー)

 他にも、洗濯置き場で夫がなにか嗅いでいるのを目にした。

「なに? 臭いが気になるの?」

「……柔軟剤を変えたのか?」

「ああ、汗感知のセンサー付きのに変えたわよ」

「だめじゃないか……」

「臭うのかしら?」

「匂わないからだめなんだ」

「? ちょっと、洗濯もの戻して! 洗い直すから」

「ふざけるな!」

「香りがいやなんでしょ? 柔軟剤変えるから」

「あ、ああ……いや、いい」

 と言って彼が握り締めていた洗濯物を確かめると、それはイアラの下着だったという。

 リアラはイアラに確かめた。「あなたに性的な嫌がらせをしているのは誰なの」と。イアラは苦し気にしていたが、やがてたった一人の人間を示した。パパだ、と。

 リアラは混乱した。

「裕司さんが私の娘を虐待!?」

 こんなことはあり得なかった。自分の思い描いていた理想の結婚生活は、十歳以上年上の頼れる男性を夫にし、生まれてきた子をいつくしむ、理想の家庭になるはずだったのに!

 いや、考えてみれば出逢いのころから腑に落ちない点はあったのだ。三人の子供をもうけた先妻と離婚したことを武勇伝のように語り、自分にできないこと、知らないことはないと豪語し、子育てや家庭のことをできない女性を馬鹿にしていたことなど。

 リアラは努力し、質素倹約、節制をし、理想の妻になろうとした。そうすれば夫も変わってくれると信じていた。一生この人に尽くそう、そうすれば全てがむくわれる日がくると……。

 そんな夢がガラガラと崩れていくのを感じた。

「ロリ、コン……?」

 そんな言葉が胸をよぎった。夫は二十八歳年上だった。昭和の生まれだ。団塊の世代。何事も競争を強いられる激しく厳しい世を生き抜いてきたのだと母親は言っていた。リアラよりも父母に近い年の夫のことだ。プライドが高いのも、勝敗にこだわる気質もそのせいだと思ってきた。

 だが、本物の変態だったとは! 

 落ち込み、愕然としたリアラは、このとき思いもよらぬ情報を母から得た。

『女が生き抜くには、毒が必要だ』と。

 私には母がいる! なにがあろうと、自分を守ってくれる心強い母が! そして、イアラにとっての自分もまたそうあるべきと思った。

「別れてください。家は私が買ったのだから、あなたが出ていくべき。財産分与も養育費もきちんとしてもらいます」

 そのときの夫の言葉が、「おまえもか! リアラ」だったという。

 前情報もろくにないまま結婚してしまったけれど、夫がわかれた先妻の言い分もあったはずである。三人の子供を抱えてその後どうしたのかなど、夫からは一言も聞いていない。かつてのリアラにはその方が都合がよかった。

 ――自分こそが夫に選ばれた女性なのだ。夫は過去を捨ててくれた、他ならぬ自分のために! ――そう信じられたから。

 だが、勘違いだった。夫はロリコンで、リアラが若い小娘だったからうまうまと食らいついたのだ。そして今はイアラに関心を示している。こんなことが許されていいものか!?

 そう思っていた矢先、夫はふらりとマンションを出ていき、帰ってきたときは一文無しになっていた。なんと、ふたりでコツコツためてきた貯金を使い果たしてきたという。

「大穴狙いで五百倍はかたかったんだけどな」

 どうやら、競馬ですったらしい。以前はこんな人ではなかったのに、自分が悪いのか? リアラは悩んだ。夫を追いつめてしまったのは自分なのかと。

 しかし、その後で夫はこうも付け加えた。

「オレは文無しだから、養育費は払えない」

 はなから払う気がなかったのだ。ここまで人を裏切るまねをするのか? リアラは怒った。だがどうしようもなかった。

 金なら稼げばいい。財産がなんだ。どうでも出て行ってもらわねば困る、と言いつのると夫は「文無しのオレを追い出すのか。人非人が! パワハラだ! DVだ! 訴えてやる」とめちゃめちゃに暴れた。

(文無しなのに、誰に頼って、どうやって訴える気でいたのか、まずそこを正そうよ。BYホワミー)

 そうして日が暮れ、リアラは絶望しきって母親のもとへ相談しに行った。

 リアラは、母の気づかわし気な瞳に、ただ泣いた。泣かずにおられなかった。イアラもそれを見ていた。

「これはお父さんが食べたタラの芽よ」

 リアラははっとした。リアラの父親は、山菜中毒で確か死んだ。だから、シングルマザーになっても、北園姓のままだったのだとティアラは言った。

「これを食べさせなさい。数は三つ。一つ食べたなら、吐かせなさい。二つ食べたなら、救急車を呼びなさい。三つとも食べたなら、おまえは窓を開け放って、イアラをつれてここに来なさい」

 そう言ってティアラはリアラの頭を抱いた。泣くだけ泣いたリアラは必ずそうすると言って、実家を出てきた。イアラと共に。

 そういえば……リアラの父親は傲慢で、食卓に出されていた天ぷらを自分一人ですべて食べていた。

「自分の胃に入ったものだけが、自分のものだ」と。

 そのあとでどうなったかは憶えていない。ティアラが親せきにリアラを預けて、それ以来ずっと会っていなかった。

 つまり、同じことをすればいい。リアラは毒の山菜を持ってマンションに帰った。

「今日はタラの芽をもらってきたからね。パパの好きな……ね」

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