淀み(3)
「や、やった……」
勝利した。ほとんど動きもないような存在だったが、確実に倒した。自分でも頬が紅潮しているのが分かる。心拍数が上がっている。全身が心臓になったみたいに拍動を感じる。
そんな僕の耳に、拍手の音が聞こえてくる。後ろからだ。僕は慌てて振り返った。
「ふむふむ、やるではないか」
偉そうにそう言いながら手を叩いていたのは……腰に日本刀を帯びた制服姿の染石だった。彼女は腕を大仰に組み、偉そうなポーズをする。
「初めての夢魔狩りだね。まあ、腕前はまだまだと言ったところだけれど、今日のところは褒めてつかわそう」
どういう立ち位置のセリフだ。というか、それ以前に。
「カッコつけてますけど、ここにいるってことは染石さんも居眠り中ってことですか?」
「うぐ」
遺憾の意をアピールしているのか、彼女はわざとらしく眉をひそめる。「そういうことは言わないのがお約束でしょ」と呟いている。
先程、兵士と戦う前に背後から感じた気配の正体がわかった気がした。十中八九彼女であろう。僕が夢魔と戦う様子を隠れて見ていたんだ。
……多分、見守ってくれていたのだろうと思う。
心のなかで半分感謝、半分は『助けてくれればいいのに』と思いながら、僕はメモリ化で剣を腕時計へ格納する。重いんだこの剣。染石はよくずっと日本刀ぶら下げてられるな。
そんなことを考えていると、彼女は僕の腕時計を指さす。
「それ、便利な能力だね。君の固有能力?」
「こゆ……」
復唱しようとしてとどまる。初めて聞いた言葉だ。素直に意味を確認しよう。僕はこの世界では何も知らない赤ん坊に等しい。
「すみません。聞いたことない言葉です」
染石は「そうだった」と言ってから、顎に手を当てる。
「……君、本当に初心者なんだね。……信じられない」
「信じられない、ですか」
そういえば、普通は幼いうちにこの夢の世界に来るのだったか。僕のように十五も過ぎてからというのは遅まきのデビューになるのだろう。
染石は「ほんとに珍しいんだよ?」と言って続ける。
「それで……固有能力だね。固有能力っていうのは一部の夢見だけが持ってる魔法みたいな能力だよ。きい姉が『筆術師(ひつじゅつし)』の能力を使っていたのは見たよね」
彼女は説明しながら右手で何かを描くふりをしてみせる。昨夜の師階田の空中ペンの物真似だろう。
「この世界は意外と不自由だけど、この能力に関してはまさに『夢の世界』って感じでファンタジーだよね」
この世界が意外と不自由だというのには同意だ。最初に空を飛べるかと試してみたら垂直跳びになってしまったのをふと思い出す。現実と比べて変なのは、人が居ないのと代わりに化け物が居るのと、空の色がおかしいくらいだ。
だから、あの空中ペンの能力……『筆術師』の能力がスペシャルなものであるというのは理解できた。そして、染石が僕のメモリ化に着目してきた理由も。
「染石さんは持ってるんですか? その……『固有能力』でしたっけ」
染石は首を振った。「持ってない」と口にもする。
「固有能力は夢見が自身の悪夢を乗り越えて、初めて手に入れられるらしいよ。私はまだ悪夢を見たことはない。……九空埜は何か悪い夢をみてたの?」
「いや……」
ウロの夢のことでいいのか。あれを悪夢というのかは微妙なところだと思うけど。考え込みそうになりながら、染石の腰に目が行く。女子高生が日本刀を持っている様子は創作ではしょっちゅう見る気がするけれど、いざ目の前にすると違和感が凄い。というか、この日本刀は能力じゃないのか。
視線に気づいたのか、染石は刀の柄に触れて「これは九空埜の剣と同じ。きい姉の『筆術師』で描いてもらったものだよ」と言った。
「でも、僕と違ってずいぶんと使いこなしていましたよね、剣」
昨夜の犬コウモリを両断した様子は普通の人間にできる動きのようには思えなかった。こんなに刀を使いこなす女子高生は、さっきも思ったように創作の中にしかいない。
染石は「あ、そお?」とドヤ顔で口の端を上げる。「さっき見てたけどさ。すごかったもんね、九空埜の戦い方」と含み笑いで付け加えてきて少しムカついたところで彼女は僕を指さした。
「九空埜はさ。運動とか苦手だな、って自分で思ってるでしょ」
「得意だったらもっと積極的に体育祭準備に参加しますよ」
皮肉で返すと染石は「ああ……」と合点のいった顔をする。自分で言っていて情けない気持ちになってきた。
彼女は少し考える素振りを見せてから「これはきい姉に教えてもらったんだけど」と前置きして話し始めた。
「夢の自分を形作るのは自分の認識なんだって。だからこの世界で何度も体を動かして、自分の認識へ自信を持つと現実以上に自由に動けるようになるんだ」
そしてこう続けた。「だからさ、少し練習してみない?」と。
僕は彼女のその言葉にある種の引っ掛かりを覚える。確かに夢の世界には人が少なくて関わる相手もいないから、これは彼女の気まぐれのようなものなのかもしれない。でも、普通だったらこんな風に深く関わってこないだろう。
そう。僕がいつも重要視している『普通』だったら。
「どうして、そこまで」
見返りもない。良いことなんてないだろう。それなのに僕におせっかいをかけてくる。その言動の違和感が引っ掛かりの原因か。……ポジティブな引っ掛かりではない。僕は彼女に対して疑念に近い感情を抱いていた。
だが染石はというと、呑気に「えー、どうしてって、理由……とかってこと?」などボヤきながら考えこんでいる。
「そうだねえ」
思い当たるものがあったのか、彼女は話し始める。
「……今日朝、君をちゃーんと認識してから見てたんだけどさ、なーんかいつも流されているよね。九空埜は」
随分ずけずけと言うな。苦虫を奥歯ですりつぶしていると、彼女は思い出したように「ほら」と口元へ人差し指を当てる。
「さっきの体育祭の競技決める時とかもさ。乙百とか新木田に流されっぱなしだったじゃん。……つまんないよ? やりたいことやらないと」
「それは……」
しっかり見られていたのか。恥ずかしいし、痛いところを突かれて不愉快に思う自分も出てくる。なんとか反論を紡ごうとした僕を遮るように染石は「だーかーら」とかぶせてきた。
「夢の世界でくらい自由に動けるようになったら良いんじゃないかなって、そんな感じ」
飾りのない言葉は尊いと世間では言われがちだが、装飾がない分まっすぐピンポイントに僕の心臓をえぐってくる。彼女の言った『やりたいことをやらないとつまらない』。どれだけ巷に溢れていて、何度聞いた言葉だろうか。
でもその言葉を発することができるのは一部の『強い』人間だけなのだ。僕みたいな『弱い』人間にとってはやりたいかどうかよりも、今、やることが自然なのかどうかのほうが重要である。
それに、だ。
「勘違いしてるかもだけど、僕にはそんなにやりたいことなんてない」
メモリ化の能力を手に入れても使い方を思いつかないんだ。ウロの夢だって僕の本質をよく示していた。やりたいこと自体が、そもそも無い。
そして訪れる沈黙。そりゃそうだろう。折角の誘いを無下にしたのは僕だ。ああ、流されるのが信条の僕なのに何をムキになっているんだろう。流されておけばよかった。後悔だ。
すると、静寂を打ち破るように染石は口を開いた。
「『そんなに』ね。『全く』じゃないんだ」
「……いや! それは言葉のアレというか……」
「はいはい。……じゃあさ、仮に『やりたいことなんてない』なら、一緒に『淀み』の原因を探さない?」
「『淀み』……?」
またもや出てきた新しい言葉に疑問を投げかける。それを『興味あり』と受け取ったのか、染石は「そう!」と元気よくうなずいた。
「共有夢には、夢魔が発生しやすい場所があるんだ。私たちはそれを『淀み』と呼んでる。『淀み』は誰かの悪夢が生み出していて、私も、きい姉も、それを探して取り除いたりしてる」
説明する染石に対して僕は「なんでそんな事してるんですか?」と返した。彼女は真面目な顔をして答える。
「夢の世界って、現実にはまるで関係無い切り離されたところにみえるけど、ここで死ぬと心が削れて死に近づくんだよ」
「死に近づく……」
急に物騒な話だ。でも、『近づく』である。直結しているわけではないのか。
僕の考えていることを見通しているのか、染石は首を振ってから話を続ける。
「それは、普段なら良いかもしれない。でも、心に元気がない状態で夢魔に殺されてしまえば、それは命にかかわるかもしれない。……心が擦り切れた人は、自らで自らを辞めるから」
自殺してしまうということか。一体どれだけの影響があるのかは知らないけれど、危険性は察することができた。
染石が自身を抱きかかえるように腕を組む。
「知ってると思うけど、普通、夢見に目覚めるのは小さな子供なんだ。だからその子たちを守るためにも、私はここできい姉と一緒に夢魔と戦い続けようと思ってる。……九空埜も、どうかな」
そして、彼女はこう続けた。
「剣を使って夢魔も倒した。固有能力っていう特別な能力(ちから)だってある。やってほしいなって私は思う。……よかったら、だけど」
差し出された染石の手のひら。彼女はまっすぐと僕の目を見てくる。口の端をきゅっと結んでいる様子からは彼女が緊張しているのだと感じ取れた。それだけに、本気を感じる。だから僕はその視線に耐えられなくて逸らしてしまう。
緊張、か。どうでもいいお誘いに緊張する人間はいない。緊張しているってことは、断られるかもしれないと思っているということであり、断られることに対する恐れを抱いているということでもある。
わからない。どうしてそうやって勇気を振り絞ってまで一歩を踏み出せるのか。僕だったら絶対にしない。出来ない。流される方がずっとずっと楽だから。
「えっと……」
僕は差し出された手を握り返すことはなく、「考えさせてください」と突き返した。
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